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北柏ふるさと公園

           北柏ふるさと公園        2024.2.29

↓ 菜の花が綺麗に咲いていました。

↓ クリスマスローズ

↓ 日本水仙

河津桜でしょうか? 1本だけ咲いていました 

↓ サルノコシカケ 
広葉樹の梅、桜、くぬぎ、などの
古木に多くみられる

↓ 餌やりをしている人がいたので、ハトが集まっています

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湯島天神

    友達8人で梅まつりに行きました    2024.2.17

結婚式

↓ 右側が女坂 左が男坂

半分に分かれて歩きました 私は女坂です

↓ 賑やかでした 

和人形  パフォーマンス 

和人形 動画

 

↓ 東大の学食を食べに行く途中 春日局の像
麟祥院にお墓があるそうです

↓ 東京大学医学部付属病院

↓ 剣道場 なかで練習していました

↓ 三四郎池、方面に向かっています。

三四郎池

↓ 学食方面

↓ ランチメニュー

↓ 東大の名前が書いてあります

大学の構内は広いですね 初めて中に入りました

↓ 構内の中にバスの乗場がありそこから上野公園山下行 循環に乗りました

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岩名運動公園

岩名運動公園  2024.2.11  2024.2.11

プロ野球、読売巨人軍の終身名誉監督である長嶋茂雄氏の佐倉市市民栄誉賞授与を記念して
平成25年7月12日に野球場は「長嶋茂雄記念岩名球場」と名称を変更しました。
小出義雄監督の業績や佐倉の貢献を後世に伝えるため、令和2年2月15日(土)に
陸上競技場は「小出義雄記念陸上競技場」と名称を変更しました。

↓ 土俵 この土俵にもお相撲さんの名前が付くといいですね。

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千葉厄除け不動尊

         徳道寺 千葉厄除け不動尊     2024.2.11
マップ

鎌倉時代中期に開山された寺院で、現在では関東厄除け三不動のひとつと数えられている。
厄よけ、厄払い、方位除け、交通安全、祝祷等の祈願、人形供養等、祈願と供養の寺として知られている。
境内には、恋の願かけ巡りの「縁結び大社」、名僧、七福神を巡る「ご利益めぐり」、とげぬき地蔵などもある

↓ 学業天神
菅原道真公をお祀りする神社
江戸時代には寺子屋で書道の神とて親しまれ、現代では学業の神とし
て多くの人々の信仰を集めています。

↓ 願い石

↓叶う石

↓ 幸福の神  大山昨神(おおやまくひのかみ)

↓ 夫婦岩

↓ 円満和合の神 円満道祖神(えんまんどうそしん)

↓ 吉祥天 

悪縁切の神様 吉祥天(きっしょうてん)
良縁を得るためには 様々な悪縁を切ることが大切であるといわれ繁栄と
幸福を招く吉祥天が悪縁を切る

↓ ざんげ地蔵 

↓ 守り地蔵

↓ とげぬき地蔵

↓ 名僧の小道
14名の僧が祀られてる

↓ 法然(ほうねん)1133~1212 満78歳没
平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の僧 浄土宗の開祖
9歳のとき、父死亡、母方の叔父の僧侶・観覚のもとに引き取られた
観覚は法然に比叡山の勉強を勧める その後比叡山延暦寺に登り源光、に師事した
建暦元年(1211)には京に帰り、吉水草庵に入ろうとしたが荒れ果てていたため、近くにある大谷禅房
(現・知恩院勢至堂)に入っている。

↓ 明菴栄西(みょうあんえいさい)114~1215 75歳
臨済宗の開祖、建仁寺の開山
平安時代末期から鎌倉時代の僧
14歳で比叡山延暦寺で出家
鎌倉に寿福寺 京に建仁寺を開いた

↓ 聖徳太子
父は用明天皇、母は父の異母妹、蘇我一族の穴穂部間人皇女です
用明天皇は在位2年で急病死
聖徳太子が日本初の摂政として初めに行われたのは、仏・法・僧の三宝を興隆することでした
太子は、仏法の大乗思想を中核にすえ、道・法家・儒教思想を採り入れ、愛民治国の政治を行いました
推古天皇12年(604年)十七条憲法を制定しました。太子31歳の時です。
太子は病で薨去されました。御年49歳


↓良寛様

↓ 良寛さま  1758~1831
良寛さんは18才の時に出家する 
出雲崎を出てから、備中玉島(岡山県倉敷市)にある円通寺(えんつうじ)という曹洞宗の禅寺で12年間修業し、その後は諸国行脚の旅に出ました、寛政7年(1795)、良寛さんの父親が
京都の桂川に身を投げて自殺をしました。
良寛さんは家々を回り、お経を唱え布施をし、里の家からは米麦などの喜捨をいただいたのです。
五合庵から里への登り下りが辛くなったことから、良寛さんが59歳のときに、より麓に近い乙子(おとご)神社の草庵に移り住みました。ここで過ごした10年間が、良寛芸術の最も円熟した時期と言われています。
草庵での厳しい暮らしや老齢を心配した、まわりの方々の勧めで、良寛さんが69歳の時に木村家(現在の長岡市和島地域)離れの庵室に移り、良寛さんはここを終の住処として、豊かな晩年を過ごしました。


↓ 修行中のお釈迦様
紀元前463年の4月8日誕生日
花まつりは「灌仏会(かんぶつえ)」といって、お釈迦様の誕生日をお祝いする仏教行事です
お釈迦様の像(誕生仏)に甘茶をかけてお祝いします、これは生まれて
初めて言葉を話した瞬間と、9匹の竜が天から清浄の水を注いだという伝説を表しています。
お釈迦様に甘茶をかける行為は、お釈迦様への信仰の表れ。

↓ 魔除け角大師

↓ 七福神 すべて祀ってある

↓ 1番 布袋尊  円満笑福の神

 

2番 寿老人 健康と長寿の神

↓ 3番
 毘沙門天 出世勝運開通の神

↓ 4番 福禄寿 子孫繁栄の神

↓ 5番 恵比須天 商売繫盛の神

↓ 6番 大黒天 蓄財増進の神

↓ 7番弁財天  弁天池でお金を洗うと金運が増す

↓ 交通安全祈願

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21世紀の森と広場

友達と3人で行って来ました  2024.2.1
東京ドーム11個分の広さ
池は東京ドーム約1個分(5ヘクタール)の大きさがあり湧水量は1日で約1,000トンもある池です
五本木口(ごほんぎぐち)から入ったのは初めてでした。

パークセンター(公園管理事務所)
千駄堀池

↓ あそびのすみか

↓ 八重の梅の木

↓ 自然観察舎
千駄堀池などに集まる野鳥を観察できる場所で
望遠鏡や野鳥観察ガイドブックが備え付けられている

↓ 自然観察舎の中から

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