花 風景 自分のため日々の出来事を記録する。
58の気の向くまま日記帳
② 初夏の風を受けながらの爽やかウォーキング 2日目
6月5日は右周り 今回は左周りです
ひまわりプラザ~大津ヶ丘中学校~福満寺~柏リハビリテーション病院横~道の駅しょうなん~ひまわりプラザ 約7.3km
2017.6.19
見学場所ではないので素通りです
香取神社
↓ 福満寺
↓ 鐘楼門
↓本堂 奈良時代の創建
准四国八十八ヶ所霊場として、境内に祠が88ヶ所安置されている。
↓ 観音堂
↓ 弁財天 右は布袋尊かしわ七福神
↓ 歩いている途中に見かけた・・・?
ネムノキ マメ科
手賀沼が見えてきました。
↓ 1日目もこの道を通った。
↓ 稲荷神社 不動堂
JR 駅からハイキング 千葉駅~千葉みなと駅(京葉線)
歩く会の人と駅からハイキングに参加しました。2017.6.17
千葉駅~千葉公園~チーバくん物産館~千葉神社~千葉市美術館~
亥の鼻公園~(千葉城 千葉市立郷土博物館)~きぼーる千葉市科学館~京成千葉中央駅を通り 千葉みなと駅まで行く予定だったが
京成千葉中央駅から京成船橋駅に行き帰る。
↓ 千葉公園
大賀ハスまつりは25日まで
↓ 蓮華亭
1951(昭和26年)大賀一郎博士たちは千葉県検見川の東京大学農学部厚生農場内(現・東京大学総合運動場)の泥炭層を掘り進め、地下約5.5メートルの青泥層から古蓮実1粒を発見しました。作業に参加していた花園中学校の生徒がふるっていた土の中から発見されたのです
1952年(昭和27年)に千葉公園に分根された。
↓ 綿打池
↓ モノレール
↓ 象鼻盃(ぞうびはい)
ハスの葉を杯代わりにお酒を注ぎ、象の鼻に見立てた茎からストローのようにして飲む体験 お酒又はジュース
土日だけ100名
↓ 千葉公園
↓ 千葉神社(千葉妙見本宮)
↓ 社殿
8月16日から一週間だらだら祭りが行われる。
↓ 陽明豊禄
↓ 千葉天神
平安末期・寿永元年(1182年)9月25日、千葉神社境内に勧請された学問の神様(菅原道真公)
↓ 千葉市美術館 平成7年(1995年)に開館した
1927年(昭和2年)に建てられた、旧川崎銀行千葉支店の建物を保存、修復 中央区役所との複合施設です。
見学後11階レストランでランチ
↓ 亥鼻公園
↓ 上に行くと千葉城(千葉市立郷土博物館)があります
千葉城(千葉市立郷土博物館)
無料でした。
根木内歴史公園
根木内(ねぎうち)歴史公園 2017.6.11
北小金駅に行く途中にある公園に寄る
1462年、千葉氏の家老・原氏の分家である高城胤忠(たかぎ たねよし)が築いた「根木内城」の城跡を整備した公園
空堀、土塁、土橋と、常緑広葉樹を中心とした樹林地や
湿地がある公園です。
ザリガニとりをしていました。
見る所は何もないですがボランティアに管理されています。
↓ 上に行くと芝生広場があります。
↓ 芝生広場
初夏の風を受けながらの爽やかウォーキング
6月5日と19日の2日間の1日目 2017.6.5
柏 沼南ひまわりプラザ出発
手賀の杜ニュータウン~沼南高校~将門神社~沼南道の駅~ひまわりプラザ 7.2km 約2時間10分
沼南高校 左に行く
↓ カシワバアジサイを見ながら
↓ 龍光院の中に将門神社があります
創建は長亨2年(1488)真言宗豊山派の古刹 本尊は不動明王。
↓将門神社
平安時代の中期に活躍した武将・平将門は天慶3年(940年)坂東8国を支配し「新皇」を名乗り、関東に新しい国家を作った。
将門の三女の如蔵尼が父の霊を収めるべくこの地に祠を祀ったのが始まりで、社殿は江戸末期安政6年(1859)再建された。総欅材・寄棟片流造・破風構え神社造で各壁面には精巧な彫刻が施されている。
↓ 彫刻
↓ 地蔵堂
↓ 新四国第七三番
↓ 蓮の群生地
↓ 道の駅で休憩
↓ 稲荷神社 不動堂
38年再建の神明鳥居
通り道にあり、素通り。 二宮金次郎の像
↓ ひまわりプラザ(沼南近隣センター)到着
我孫子 湖北駅北コース
湖北駅北コース 2017.6.2
前に湖北駅南コースを歩いたので今回は北コースを我孫子の友達と歩きました。
9:30分集合 2時間となっていますが昼食に時間をたっぷり取り湖北駅に戻ったのが3:30分ごろになりました。
↓ 江戸時代中期、正徳元年(1711)の 中里の庚申塔
↓ 天照神社(てんしょうじんじゃ)
日本武尊の東征を記念して住民により創建されたと伝えられている。
↓ 半分しか見えないです 創建年代は不詳
銅板葺、檜造り。
↓ 中峠上地区の庚申塔群
庚申塔は庚申信仰から作られた石塔で、単に「庚申塔」「青面金剛」
と文字だけ彫ったものや6本の腕を持ち、髪が逆立ち憤怒の形相をした青面金剛を中心に、日輪と月輪、邪気,三猿(見ザル、言わザル、聞かザル)などを彫り込んだものが多い。
↓ 法岩院(ほうがんいん)
天文11年(1542)創建 芝原城主河村出羽守勝融が開基
↓ 古利根沼
大正時代中期までは、利根川の本流であり千葉県我孫子と
茨城県取手市県境ともなっていた
利根川の流路が急激に湾曲していたため堤防が決壊したので明治45年(1912)河道を直線化する際に残った部分。
↓ 波除不動尊
不動様は古利根沼の南岸に、コンクリートで土留されて崖中腹にある。石碑には平安の弘仁年間に手賀沼の草庵で弘法大師が自ら
波除不動尊の像を刻み安置した。
↓ 古利根公園観察の森 芝原(しばら)城址跡)
小田原北条氏の家臣であった河村氏の居城
↓ 観察の森から古利根沼
↓ 追分道標
追分とは道の分岐点をいう
東は布佐、木下 西は布施
南は中峠村(なかびょうむら)西は足尾山(筑波山系)
江戸時代の石の道標
↓ 不動尊の入り口
↓ 照妙院不動尊
創建年代は不詳ながら元文5年(1740)の中峠村の記録に正明院として記載されていることから、1740年以前には創建されていた。
新四国相馬霊場88ヶ所60番です
↓ 大師堂
石塔群
↓ 愛宕神社
↓ 龍泉寺
新四国相馬霊場88ヶ所76番です
山門
↓ 大師堂
↓ 本堂
創建年代等は不詳ながら、弘法大師が関東巡錫の折に中里字東原に
創建した。境内に幼稚園がある
↓ 湖北一里塚
江戸時代日本橋を起点に一里(4km)ごとに築かれた。
↓ 日秀観音(ひびりかんのん)
安政年間の創建
将門の守本尊で観世音像を安置している。
↓ 首振り地蔵
成田新勝寺は平将門調伏のために建てられた寺なので、
平将門は成田不動尊を嫌い、成田に顔を背け成田は見ない、案内しないということ。