やおよろずの神々の棲む国でⅡ

〝世界に貢献する誇りある日本″の実現を願いつつ、生きること、ことば、子育て、政治・経済などについて考えつづけます。

【中学歴史教科書8社を比べる】624  29 日米関係 -188- 《戦後》 Ⅺ 占領期(1945-52)-22- ■まとめと考察 ⑵GHQの占領政策 ②経済のしくみと国民の動き6/6

2018年11月12日 | 中学歴史教科書8社を比べる(h28-令和2年度使用)

29 日米関係 -188- 《戦後》Ⅺ 占領期(1945-52)-22- 

■まとめと考察 ⑵GHQの占領政策 

②経済の仕組みと、国民の動き 6/6



 

3 「朝鮮特需」の描き方 

■基本知識の確認  ※全社に疑問があったので調べてみた。 

・疑問2 日本の復興における「朝鮮特需」の実態はどうだったのか? 

・解答 米軍と「国連軍」による《一部かつ一時的な軍事的需要》であり、日本全体の経済復興にどれほど寄与したのか、はっきりとは分からない。

 私のおぼろげな記憶によると、50年ほど昔の学校で、《「朝鮮特需」によって日本の経済的復興が始まった (あるいは、できた?)》と習ったような印象がある。しかし、猪木武徳氏の次の文章を読んで疑問が起きた。

 戦後世界経済史」中公新書:2009発行>p70より引用

「日本に対しては米国は朝鮮戦争が始まるまで、積極的な復興プログラムを提示したわけではなかった。しかし朝鮮戦争の勃発は、米国の対日政策を大きく転換させる。この転換と、朝鮮戦争の特需自体がどれほど日本経済の復興から成長のへの転換を早めたのかについては、議論は分かれる。少なくとも特需自体の効果は、いわれるほど大きくはなかったというのが経済史家の結論である。」

 ここでは、特需だけでなく、「対日(経済)政策の転換」の効果でさえも、疑問視されている。

 そこで、<ウィキペディア:「朝鮮特需」>から、「むしろ阻害要因」と書かれている部分の記事を引用すると…

しかしその一方で市民生活が戦争で潤ったわけではなかった。確かに朝鮮戦争によって日本は4億3000万ドルの貿易外受け取り超過を得た(1951年度)。しかし特需を除くと貿易外経常取引は2億ドルの支払超過、貿易を含めた経常取引で4億8000万ドルの支払超過になっていた。なぜにそれほどの莫大な赤字を抱えたかと言えば、戦前戦中において行われた朝鮮、満州などからの安価な輸入がGHQによる対中貿易禁止令で閉塞されたために「アメリカから資源を買い、アメリカのために生産し、アメリカの言い値で売る」状況に陥っていたからである。

 

 「さてこれらの特需なんでありますが、朝鮮特需、これはつまり朝鮮のための軍需資材なんでありますが、これが現在二・四億ドル、日本の金にして九百億円かに上つておりまして、これは関連産業は非常な好景気になつたのでありますが、併し現在むしろ欠之インフレというような形になつて来ておりまして、例えば物調法、現に問題になつております物調法の統制下におきますところの銑鉄とか、ニツケル、苛性ソーダ等の物価が上つております。加うるに中日貿易、我が党の最も主張しております中日貿易を禁止いたしましたために、中国から買えば一トン十二ドルで買えるものをアメリカからわざわざ二十五ドルで買つておる。粘結炭を中国から買えば十六ドルで買えるものを二十八ドルで、塩を中国から買えば八ドルで買えるものを二三ドルでわざわざアメリカから買つておる。こういうような国の政治の結果、非常に日本の経済が疲弊しておる」 10 - 参 - 経済安定委員会 - 10号 昭和26年03月29日 兼岩傳一(共産党)

 

 「…事実また八幡製鉄所のようなところでも、実際生産能力を超過し、そうして非常に臨時の注文であり、納期がやかましいし、値段も引合わないというようなことで、非常に首をひねつているというような、今までの案例もあるのであります」 10 - 衆 - 通商産業委員会 - 25号 昭和26年05月14日 風早八十二

 

 この年の対日援助の総額が2億ドルであるから、日本の経済は朝鮮特需で回復するどころか、朝鮮の兵站線を支えるために国内の物資の流通を統制してまで軍需生産に追い込まれたのである。このような状況で輸出が伸びるはずもなく、産業はますます特需に依存の度合いを深め、やがては日本そのものが戦争を前提とした産業構造に「特化」する危険さえあった

 

 「しかしながら日本の経済の現状は、先ほどの輸入引取り資金の問題、輸出滞貨の問題、さらに朝鮮特需の中止あるいはキヤンセル等の問題によつて、恐慌寸前にあるということすら、われわれは考えられるのであります」 10 - 衆 - 大蔵委員会 - 63号 昭和26年08月01日 深澤 義守(共産党)

 

 「…結局大阪、兵庫、岡山を中心とする阪神地区の産業は、特需産業を除いて、全般的には朝鮮動乱による好影響ということもさほどではなく、従つて只今のところこれが失業問題の解決に寄与するなどということからは程遠いという感じをもつた次第であります。つまり、各企業とも、今後の経済の見通しに対する不安感から、成るだけ雇傭を差し控えておるようで、朝鮮特需に対しても、これを雇傭量の増加によらず、専ら労働生産性の向上で賄うという方向をとつておるようで…」 12 - 参 - 労働委員会 - 2号 昭和26年11月02日 原虎一(社会党)

 

 「一時我が国の産業界に活を入れるに役立ちました朝鮮特需というようなものは決して長きに亘るものではなく(中略)今こそ今後の貿易対策を最も真劍に考えねばならん時だと痛感するのであります。この意味におきまして、貿易問題を担当される通産大臣として、我が国に対するこの各国の態度を柔らげ、先ずガツト加入、又各国の最惠国待遇を獲得するためには、どういう具体的な策を考えておられるか」 12 - 参 - 平和条約及び日米安全保… - 14号 昭和26年11月09日 加藤正人

 

 「これは統制ははずされたけれども、事実においては非常にさんたんたる状態である。もう六千カロリー以上の石炭が全部朝鮮特需として、作戦命令でもつて向うに持つて行かれる。天然資源局にお願いしてもどうにもならぬ。そうして石炭局長自身認めているように、ボタ山がどんどんつぶされている。そうして七割もボタをまぜたような租悪炭が市中に出まわつている」 13 - 衆 - 内閣委員会 - 8号 昭和27年03月25日 今野武雄(共産党)

 

 1953年には輸出額12億7000万ドルに対し輸入24億1000万ドル、実に11億7000万ドルの輸入超過に陥っており、7億ドルからの特需関連収入とは日本に「戦争に適した産業構造」への適応を強いるもので、各種物資がなお統制下にあることを考慮すれば準戦時下とも言えるものであった。日本はGATTへの加入などによる自由貿易体制への復帰で生存の道を探ろうとしていたが、1948年に加盟した西ドイツと異なりイギリスを筆頭とした強烈な反対に直面していた。日本が「不況」を脱したとされるのは1955年11月の神武景気からで、朝鮮戦争は日本の復興に必ずしもプラスであったとは言えず、日本の発展には地域の安定に基づく自由貿易が不可欠であることを考え合わせるならば、むしろ阻害要因でさえあった

 

 

 ウィキペディアでは、「経済成長にプラスした要因」と、「阻害した要因」という、まったく反対の見解が併記されている。(いずれにしても、米国は自国の国益を追求しただけだったということは言える。)

 したがって、私としては冒頭の結論に至った。

 

 では、「朝鮮特需」についての各社の描き方はどう評価するか?

 「プラスマイナス、はっきりとは分からない」という見解からすれば、《各社とも「プラス要因」に偏っている》と評価できる。しかし、その表現が ”現在日本の歴史教科書として適切” かどうかについては、今は判断・評価を保留することにする。

 ただし、繰り返すが、《「朝鮮特需」は米国が自国(連合国:国連)の国益を追求した結果》であることはまちがいない。したがって、個人的には、《米国のおかげで日本がうるおった》というような「エコノミックアニマル」的発想・評価・表現はすべきでないと思う。なぜなら、開戦も、日本全土にわたる都市の焼け跡も、原爆投下も、その(主な)要因は「アメリカの国益追求」の結果だったのだから。

 

~次回から、⑵③「言論・メディア」

全リンク⇒1へ <29 日米関係  Ⅺ 占領期 ■まとめと考察⑵②619620621622623624・③言論625626627・④憲法628629630631632633634635636・⑤教育

者:松永正紀  教育評論家 /h22年度 唐津市・玄海町:小中学校校長会長》

※記事の不備等に関するお願い…《ブログ「やおよろずの神々の棲む国で」の記事》が原典。3つのサイトで同時連載中。不備等の後日修正は原典のみで実施中ですが、事情により原典ブログではコメント機能を止めています。ブログの内容に疑問がある場合は、2つの<同時掲載のブログ>へのコメントで教えてください。