① 「国書」の描き方のちがい
■実物コピー ※元の皇帝の意図と訳文が、社によりかなり異なっている。
【育鵬社】
【自由社】
【東京書籍】
【帝国書院】
【教育出版】
【日本文教】
【清水書院】
【学び舎】
■①「国書」のまとめと考察
1 索引語・頁数
有史以来、日本国は国土に外国軍の本格的な侵攻を受けたのは2回しかなく、「元寇(蒙古襲来)」はその1回目。
これは国家存亡にかかわる重大事件。
したがって、索引語にしないのは×。1頁以下の取り扱いは△。
2 国書の意図についての本文の表現
育鵬社・自由社・東京書籍・帝国書院・教育出版は、「属国」「服属」「従え」「朝貢」と、同様の表現で史実と合致。
<ウィキペデア:元寇 「1268年(文永5年・至元5年)5月、クビライは使節団の帰還を待たずして「朕、宋(南宋)と日本とを討たんと欲するのみ」と日本征服の意思を表明し、高麗に戦艦1,000艘の造船を命じている。」>
一方、日本文教「国交」、学び舎「通交」、清水書院にいたっては蒙古皇帝の意図を書いていない。
これはかぎりなく「ねつ造」に近い。
もしかすると、3社の著者・編集部は、《中国亜大陸皇帝の意図を中学生に知られたくない》と考えているのだろうか?
3 翻訳内容と表現
翻訳なのでその表現(翻訳意図など)が問われる。
ウィキペデアの訳文を標準とすると、日本文教と東京書籍には問題あり。
① 日本文教の「・・・仲よくしていこう」
「服属関係」のことを「仲が良い」とは決して言わない。これは(中共流の?)ねつ造としか思えないが…?
② 東京書籍の「(考えて)ほしい」は微妙。
中学生は 「・・・ほしい」という表現を《お願い》や《対等な立場からの希望》と理解するかも…?
~次回、②「文永・弘安の役」の描き方のちがい~
<全リンク⇒1へ> 元寇(蒙古襲来)<91・92・93・94・95・96・97・98・99・100(この項終り)>
《著者:松永正紀 h22(2010)年度 唐津地区(佐賀県唐津市+東松浦郡)小中学校校長会長》