東京下町・新小岩駅の不動産屋二代目のつぶやき

東京の下町・葛飾区新小岩で今年創業49年を迎えました不動産屋の二代目が気ままに書き綴った独り言ブログです。ブツブツ・・・

岡山へ行って来た・前編

2016年06月27日 09時36分19秒 | ひとり旅の話

18時の終業後、新小岩駅から羽田空港へと向かう。やはりこの時間が一番楽しい。浜松町でモノレールに乗り換え、まだ陽が高い街並みを高揚感と共に眺める。新小岩から1時間足らずで空港に到着し、573kmの距離を1時間余りで私を初の岡山に運んでくれる。リムジンバスで30分ほど走ると岡山駅に到着、22時近くにようやくホテルにチェックイン

翌朝7時に起床し、日本三名園のひとつ岡山後楽園まで散歩。手入れの行き届いた広大な庭園にただただ感動。そして庭園に感動する自分にもまた感動。時間の関係で岡山城はチラ見して、今回のメインイベントである吹屋ふるさと村を目指す。

出雲行きの特急やくもに乗り込み、岡山駅から30分で備中高梁駅到着。この「高梁(たかはし)」という地名が、妻の旧姓の一文字と私の苗字の梁との組み合わせだったので何かご縁を感じつつ、バスに乗り込む。ちなみに備中はびちゅうではなく「びちゅう」と読む。

駅前でバスに乗り込む。出発時に数名乗っていた乗客も30分も経つと貸切になり、アクロバットなドライブテクニックを見せつけるように細い山道をグングン登って行き、約1時間で標高550mの山間に忽然と現れる吹屋ふるさと村に到着。終点のバス停で事前に申し込んでおいたガイドさんと笑顔でご対面。

吹屋ふるさと村とは・・・赤銅色の石州瓦とベンガラ色の外観で統一された、見事な町並みが整然と続く吹屋の町並み、この町並みこそ、江戸末期から明治にかけ、吹屋の長者達が後世に残した最大の文化遺産。豪商が財にあかせて建てた豪邸は、全国各地に見ることができます。しかし、吹屋の特異な点は、個々の屋敷が豪華さを纏うのではなく、旦那衆が相談の上で石州(今の島根県)から宮大工の棟梁たちを招いて、町全体が統一されたコンセプトの下に建てられたという当時としては驚くべき先進的な思想・・・(高梁市観光ガイドホームページより)

 

ガイドに参加したのは私ひとりだったこともあり、山上社、「近世ベンガラ商家の典型」旧片山邸(本片山)、郷土館(片片山)と順番にとても親切にゆっくりと分かり易く説明して頂き、気が付けばガイドの時間を30分以上も延長して頂いていた。長崎の軍艦島といい、愛媛の別子銅山といい、栄枯盛衰の歴史はいつも儚くも美しいものである。そして映画「八つ墓村」の広兼邸は徒歩で1時間ほど離れていると知り、愕然としているとガイドさんが営業日外にも関わらずわざわざレンタルサイクルを手配して頂いた。Tさん、何から何まで本当に色々と有難うございました。

電動自転車にまたがり、銅山とベンガラの原料であるローハ製造で巨大な富を得て築かれた広兼邸を目指すもののアップダウンが激しい山道で、自転車のバッテリーが悲鳴を上げる。20分ほどで広兼邸に到着。個人邸とは思えないお城のよう石垣に圧倒されつつ、山本陽子は出迎えてくれなかったがショーケン気分で入館。

ただバスは平日わずか行き帰り共2本しか出ておらず、私は15時45分の最終バスに間に合うように、途中にあるベンガラ館を捨て、笹畝坑道だけを見学し、再びふるさと村へと山道を登る。平成24年に閉校するまでは現役最古の木造校舎だった旧吹屋小学校は平成32年3月まで改修工事の為、シートが被っていて見学は出来なかったが、それは4年後のお楽しみにしよう。

自転車を返した後、バス出発時刻までメイン通り沿いの喫茶店で吹屋出身で吹屋小学校卒のママさんとあれこれ話しこんでいたら、あっという間にバスの時間となった。

ママさんに見送られる直前に雨が降り出しした。やっぱり晴れ男なんだな~と思いつつ、私以外誰も乗っていないバスに乗り込み、素敵な吹屋の街並みとお別れした。(つづく)

【総武線・新小岩駅 賃貸専門店】有限会社やな瀬不動産

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