東京下町・新小岩駅の不動産屋二代目のつぶやき

東京の下町・葛飾区新小岩で今年創業49年を迎えました不動産屋の二代目が気ままに書き綴った独り言ブログです。ブツブツ・・・

長崎「ひとり」ぶらぶら節・軍艦島

2011年09月19日 09時45分23秒 | ひとり旅の話

ホテルをチェックアウトし、市電に乗って今回のメインイベントである「軍艦島上陸ツアー」へと出掛ける。しかしなかなか市電が来ず、時間が迫って来たのでタクシーを拾い、乗り込んだところで市電がやって来た・・・  

では軍艦島をもう一度おさらい・・・「軍艦島」とは、長崎港から南西約19kmの海上に浮かぶ孤島「端島」の通称。1890年(明治23年)から三菱の経営によって主として八幡製鉄所に向け製鉄用原料炭を供給し、日本の近代化を支えてきた海底炭坑の島である。当初、この島は、草木のない水成岩の瀬にすぎなかったが、採掘技術の発達とともに、島の周辺を埋め立てながら護岸堤防の拡張を繰り返し、今日の島の形状となった。炭坑の開発と並んで従業員のための住宅の建設が盛んに行われ、1916年(大正5年)以降高層鉄筋アパートが、次々に建設された。最盛期5,000人を超える人口を擁した高層鉄筋アパートが島内に林立して、さながら海の要塞の観を呈し、軍艦の「土佐」に似ているところから「軍艦島」として知られるようになった。昭和30年代後半から、エネルギー改革の嵐を受け合理化が進み、1974年(昭和49年)1月15日閉山、同年4月20日に無人島となった。(今回乗船した「やまさ海運㈱」ホームページより。ちなみ1997年に上陸ツアーを初めて行ったのがこの会社である。)

午前9時、長崎港ターミナルから片道約60分、上陸約60分の約3時間の「軍艦島上陸ツアー」の始まりである。天候や波の具合によって上陸出来る確率は2/3とのことだが、私は最初から1/3になることは考えてもみなかった。出港してから女神大橋、三菱重工100万トンドック、伊王島大橋を通り過ぎ、しばらく景色を眺めているとすると遥かかなたに軍艦島が見えてくる。文字通り「軍艦」である。その昔、実際に軍艦と見間違えられて魚雷を打ち込まれた事があるそうだが、これには納得の形状である。

船が岸壁に少しずつ近づく。開店前のおば様のように胸を躍られて船の出口付近で上陸の準備に入る。島内には日陰が一切無いとの事なので、船で無料貸し出しの麦わら帽子を借り、小学生以来の麦わら帽子着帽姿で百名近い乗船客の中で一番上陸をした。島の入口の門には施錠がされていて、まるで監獄島に入れられるかのように島内へと進む。

見物客は3班に分かれ、3つある見学広場へとそれぞれ分かれる。私たちは第一見学広場からのスタートである。画像上の右奥に見えるのが端島小中学校で、1~4階までが小学校、5~7階までが中学校、6階には講堂、図書館、音楽室が設けられていたそうだ。また隣接している左の建物は体育館や給食施設で、給食を運ぶ島で唯一のエレベーターがあったとのこと。

高台にそびえ立つ3号棟アパート。この建物だけ「内風呂」が付いており、「高級マンション」と呼ばれていた幹部クラスのみが使用出来るアパート。一般の鉱員さんたちは様々な気持ちでこの建物を見上げたのだろう。

第二見学広場へと移動。総合事務所と竪抗坑口桟橋跡。ここが島の中枢部である。画像中央の穴の部分に共同浴場があり、海面下1000m以上で採掘し、気温30℃湿度95%の悪条件の中、8時間3交代の24時間フル作業で採掘した白い部分が白目と歯だけの真っ黒に汚れた海底炭鉱員たちが第一の海水浴槽に着衣と靴を履いたまま入り、順番に汚れを落としながら合計3つの浴槽に入浴して行ったそうだ。それにしても日差しが辛い・・・本当に日陰が無い。麦わら帽子が無かったら大変な事になっていただろう

第三見学広場へ移動。右が1916年(大正5年)に建てられた日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造りの高層アパートで別名グラバーハウスと呼ばれる鉱員社宅の30号棟。内庭には明かり取り用の吹き抜けの廊下と階段があった為、台風時にはかなりの雨が入りこんだそうだ。左も鉱員社宅の31号棟で、地階には一般用の共同浴場や郵便局、理髪店も設置されていたが、岸壁に面しており、島の中央にある炭坑設備を守る為の防波堤としての役割も担っていたとのこと。この島では「人<炭坑」だったようだ。約100年前の建物なのにまだしっかりしている事に感動する。

1958年(昭和33年)に完成したプール。閉山1~2年前まで海水を使用しており、小魚と一緒に泳ぐ事があったそうだ。当時の軍艦島はそれはそれはかなり裕福で、まだ高価だった家電の普及率が100%になったほどで、家賃や水道代は無料だったそうだ。島内には病院は勿論の事、映画館やパチンコホールや飲み屋などの娯楽施設もあり、この島だけ十分生活が出来たが、火葬場だけが無かったそうだ。子供たちが元気に駆け抜ける足音や、好景気の鉱員たちの笑い声が聞こえて来そうである。 

小さい頃、近所には必ずと言っていいほど廃墟があり、そこを秘密基地にしたり、かくれんぼをしたものだ。軍艦島にはそのワクワク感がたくさん詰まっているのだが、栄華を極めた島民たちが閉山と共に島を離れる時に見たであろう帰りの景色を眺めながら、少しだけ複雑な気分のまま船はターミナルへと到着した。何だか悲喜こもごもである。

【おまけ①】もし軍艦島ツアーに参加するのであれば、船の進行方向右側の窓側がおススメである。遠くから軍艦島が一番に見えるし、島をぐるりと回る時もずっと見ていられる。

【おまけ②】船内には自動販売機がないので、夏に行くのであれば水分確保は欠かせない。私は1/3残ったペットボトルを持って乗船し、行きの途中で飲み切ってしまい、帰りはもうカラカラ状態だった・・・ 船内に自販機があれば1本500円でも購入するだろうに・・・

【おまけ③】B’Zのシングル「MY LONELY TOWN」のPVは軍艦島で撮影されている。これはなかなかいい感じである。 

【明日20日(火)~21日(水)は連休となります】

有限会社やな瀬不動産

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