JR長岡駅大手口から西に向かい、信濃川に向かってまっすぐ伸びる大手通を進むと、商店街が終わる表町交差点の一角に「まいまいひめ」がいます。「まいまいひめ」というのは、笛のような楽器を抱えた少女がカタツムリの上に腰掛けている、メルヘンチックでどこか謎めいた雰囲気が漂う白い像で、長岡市民にはおなじみの存在です。
はい。これが「まいまいひめ」の像です。ボクの記憶にあるもっとも古い「まいまいひめ」の思い出は、昭和30年代後半のボクがまだ就学前か小学校低学年の頃のことです。
当時ボクは身体が弱く、日赤病院の小児科に定期的に通院して酸素吸入を受けていた時期がありました。ボクを病院に連れて行くのは祖母(と言っても、計算すると今のボクよりも若い)の役割で、ボクは祖母と一緒に約30分間バスに乗って、この「まいまいひめ」の像の近くのバス停(長岡駅の一つ手前)で下車していました。
当時のボクは「乗り物酔い」もあり、バスに乗っている時間は苦痛でした。バスを降りたボクと祖母は、しばらくこの「まいまいひめ」の像の近くで休憩し、少し落ち着いてから日赤病院まで歩いて行く、というのが毎回の通院時のパターンでした。
ちなみに当時の日赤病院は、現在ウオロクがある大手大橋近くの日赤町にありました。当時はまだ大手大橋はありません。今、日赤病院は信濃川対岸の川西地区に移転していますが、この地に「日赤町」という町名だけが残っています。
この「まいまいひめ」の像のところで休憩している時、当時のボクには「いつも楽しみにしていること」がありました。それは、像のすぐ近くに建具屋さん(材木屋さん?)があり、そこで1人の職人さんが木工の仕事をしている仕事場を見ることでした。今思い返すと、その職人さんは既に現役を引退していて、趣味で木工や木彫をしていたのかもしれません。作業をする彼の周りには、たくさんの木像が置かれていました。
ボクはいつも時間を忘れて職人さんの作業を見つめ、夢中になってそのノミや木槌を使う技に魅せられていました。それはまるで、魔法のように思えました。祖母がよく「この子は子どものくせに変わっているよ」と、父や母にそれを話していたことも思い出されます。嫌な病院通い、嫌なバス乗車。そんな通院の日の嫌なできごとの中で、「職人さんの魔法のような仕事を見ること」は当時の幼いボクのささやかな楽しみだった気がします。「まいまいひめ」の像は、そんなボクの思い出の中に存在しているのです。
時は流れて30数年後。ボクは仕事上のお付き合いでNさん(女性:ボクよりも少し年上)という方と知り合いになりました。親しくなっていろいろお話しをさせていただいたところ、Nさんは「まいまいひめ」の像の近くにお住まいだということがわかりました。で、ボクは幼き日の「まいまいひめと職人さん」の思い出話をNさんにしたのです。
「それは義父です、まちがいありません」なんとNさんは、ボクが仕事の様子を見入っていた職人さんの息子さんと結婚されていたのです。「まだ義父は生きています、八百政さんの小さい頃の話をしてみますね」なんということでしょう。ボクの人生の中で、全く別々だと思ってた2つの点が線で繫がりました。
それから数週間後、Nさんからお義父さんがお亡くなりになったことを聞きました。そして「義父がこれを八百政さんに差し上げてほしいそうです」と、1つの木彫像をくださいました。それがこれです。
手彫りの大黒像です。材質はケヤキかな?ずいぶん硬い材質を彫った木像です。この像はそれ以来30年以上わが家のサイドボードの上に飾られ、ずっとわが家の歴史とともにありました。不思議なご縁ですね。
「まいまいひめ」の像の周りには高層ビルも建ち、風景は随分変わってしまいましたが、ボクは「まいまいひめ」の像を見るたびに、幼き日に夢中で見ていた「職人さんの魔法のような技」を思い出すのです。