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モノを減らして、ゼロウエイスト。田舎でイラスト描いて暮らしています。

福島のお母さんの座り込み、応援激布できました。

2011年11月17日 | 核のこといろいろ
半月前のブログ
「福島のお母さん達の国会前座り込みを応援するための、激布つくっています」で書いた激布ですが、
なんとか1週間で仕上げ、速達でお送りしました。
ご報告が遅れてしまい、ごめんなさい。


メッセージを寄せてくださった方、ありがとうございました。

こんな感じに仕上がりました。
「世界一安全な原発をつくります」と宣言した野田総理への、精一杯の「暴言」です。



シーツを黄色く染めたり、
刷毛を使って青ペンキで絵を描いたり、っていう大がかりな作業は、

今までPCや、ペンに色鉛筆で、ちまちまと絵を描いていた人間には、
えらく疲れる作業でした(笑)
慣れない作業だったせいで時間がかかってしまいましたが、ダンナの協力の元、
なんとか期限までに仕上がりました。



メッセージを激布に書いていただく作業も
実質的には3日程度しかなかったので、限られた人にしか頼むことができなかったのが
心残りでしたが、
それでも頼んだ人は皆、快く書いてくださって、とても嬉しかったです。
改めてありがとうございます。


頼める人が少なかったので、
普段はあまりそういうことを頼まないのですが、
実父にも頼んだところすぐに快諾してくれ、

「今、原発を捨てることは、子孫に誇れる決断だと思う。絶対」


というメッセージを書いてくれました。
60代の父の意外な一面を見る気がして、胸があつくなりました。



私たちがとるべき選択によって、
決してまだ見ぬ子どもの命や未来を守るだけでなく、
過去の過ちの修復作業にもなりうるのではないかと感じました。



友人一家には、私が持参した布おむつに熱いメッセージを一家総出で書いてくれました。
これは嬉しかった。
なので急遽、激布の下部分に縫いつけました。

せっせ、せっせ。急げ急げ。



ダンナもメッセージ、書いてくれました。


この激布を託した友人は、
「佐渡の潮風と一緒に、激布が届きました。
これから寝袋と傘を持ってこれから出掛けます。」
とメールをくれました。





この「福島のお母さん達の国会前座り込み」は、
決して小さい個人的な活動とは言い切れない動きを見せました。


9月22日、ニューヨークの国連首脳会議で、
野田総理が「世界一安全な原発をつくります」と宣言したその外で、
「福島の子どもたちを守れないで、原発に安全を言うのは卑怯だ!」

福島のお母さん達が、座り込みを開始したのです。

座り込み主催者のサイトはコチラ
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火事で町を全焼させた人間が、
その後始末を終えないうちに町の人に
「もう火事をおこさない日本一の町にします」とか言うことは
かえって恥ずかしいことですし、周辺住人を怒らせることですよね。




この座り込みを知った新穂の友人も、
東京に行くついでに経済産業省前に寄っていってくれ、
ギターで歌を5曲披露してくれたらしく、これもまたありがたかった。


友人曰く「原発は、使うとか、やめるという論議をする以前の『問題』だ」
と憤慨していました。





原発を使うことが間違いであるのには、もう疑いようがないんですよね。
あらゆる方面から見て、あまりに未来への犠牲が、現時点で、
もうすでに確約されてしまっています。

だからこそ目をつぶってしまうんですよね、
とくに「経済成長」を追い求める方々は。
でも、今「目をつぶること」は、同じ事故が再び起こることを確約してしまうことにつながると
私は思います。
















1990年から94年まで、統一ドイツの大統領に就任した
ヴィツゼッカー首相は、ドイツ敗戦40周年の演説で、こう言いました。

「罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。
全員が過去からの帰結に関わっており、
過去に対する責任を負わされているのです。

問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。
後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。

しかし過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも盲目となります。
非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、
またそうした危険に陥りやすいのです。」
と。


野田首相もヴィツゼッカー首相と、きっと同じ立場だと思うのですが。









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