西南戦争に関する仕事には不思議なめぐり合わせがある。
明治10年(1877年)の戦争から120周年にあたる昨年、
当時の大分県警察部の秘密文書「明治十年騒擾(そうじょう)1件」を所蔵する
大分県警OBに出会った。
百十年の1987年には、薩軍に呼応して参戦した熊本隊軍艦古閑俊雄が、
獄中で病死するまでつづった「戦ぽう日記」を古書市で、偶然、見つけた。
「子どものころは本ばかり読んでいた。
出版業はずっと夢でした」。
業績好調だった印刷会社をたたみ、熊本市で
「図書出版青潮社」の看板を掲げて28年。
世に送った史料は100種類を超す。
出版社といっても家内工業だ。
本人が取材や編集、販売を担当し、貞子夫人が事務と経理をみる。
厳密をきわめる校訂作業ゆえ、刊行まで4、5年かかる本はざらだ。
古代から中世まで九州の歴史を佐賀藩士が叙述した2000ページ近い大著
「歴代鎮西志」の場合は、索引の編集だけで1年あまりを費やした。
借金のため、足を運んだ信用保証協会で「いい加減にしたら」と
あきれられたことも一度や二度ではない。
良心的な本づくりを支持する顧客は、作家や研究者に多い。
司馬遼太郎さんは、第一作の「肥後國誌」から購入してくれたし、
田辺聖子さんは西南戦争の史料は必ず注文する。
田辺さんは「青潮社はもの書きの間では有名よ。
ここの本なら間違いないって、定評があるわ」。
4代前の大祖父は幕末の万延元年(1860年)、
遣米使節に加わった熊本藩士から米国事情を聞き書きしたが、
その記録は長く埋もれていた。
いわば無名の史家だ。
そうした血が、草莽(そうもう)の人々の記した歴史の発掘に
駆り立てるのかもしれない。
選挙結果は、私の選挙区では、現職の自民党をやぶり、無所属が勝利しました。
たったの0.2%の僅差に、ヒヤヒヤ状態でした。
当選おめでとうございます。
日本的には、残念な結果になりました。
現実はこうなのか、と思えば、とても残念至極ですが、
こういう事実に大きなショックを受けるべきではないんだろうな、と
思っています。
ショックを受けて、ここでおしまいにしてしまったら、
それこそ思うつぼだと思うし。
しかし本当にいいんだろうか?
私ごときが言うことではないにしても
改憲阻止のために動き続けた政治家の人たちの血のにじむような
命を削った、命を守る活動には
賛同の票があがってもいいと思うんだけれどね。
フクシマが忘れられ、原発がもはや触れてはならない言葉に再びなり、
原発推進の黄金期が再びきたけれども、
私は絶対に、やめないぞ。
ささやかな決意。
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