目指せ!ゼロウエイストな暮らし

モノを減らして、ゼロウエイスト。田舎でイラスト描いて暮らしています。

脱原発にむけて地道に頑張っている人々

2011年10月13日 | 核のこといろいろ
都心に住む友人から一通のハガキが届きました。

「原発のない社会に向けて、自分なりに頑張ろうと思っているのですが、
都会は「のど元すぎれば」というのかな、
もう事故以前のような生活を求めているように感じます」
というような内容でした。

「自分なりに頑張ろうと思っています」と結んではあったけれども、
始めたばかりの原発の運動に対し、少々お疲れ気味なお手紙でした。


「そうかあ、都会はそうなのかあ」と田舎に住む私は、
彼女の心理状態に切なさは感じたものの、
ハガキの内容自体に対しては、悲観せずにいられました。


田舎(私)と都会(彼女)では、原発に対しての意識に温度差があるからでしょうか?


いえ、そうではありません。
どちらかというと、
「脱原発な社会に向けて頑張って地道に努力している人たち」が発信する言葉に、
励まされているケースが多いから、
意気消沈している場合ではないな、と思うところが多いからだと思います。



その人たちの言葉を読むと、
ああ自分も何かしないとな、とか、
今はできなくてもいつか必ず何かしないとな、とか、
少なくとも元気なくしている場合じゃないな、と自然と思えるのです。

とても幸運なことだと思います。


今日はその方たちの活動と行動をご紹介したいと思います。


まずは、十日町に住む友人の自然食品屋さん「わらべ村」


店長さんが発行している「わらべ村通信」
A4のコピー用紙にびっしり書かれています。



ご自身のご自宅も、3月12日の震災で半壊されたのに、
震災で被害にあわれた福島の人たちの疎開を助ける活動を積極的に続けていらっしゃいます。
その様子が、毎月届けられるたった1枚の通信に、
とても丁寧に描かれていています。


また自らとても熱心に本を読んだり、セミナーに参加して勉強され、
その内容を私たちにわかりやすく伝えてくれています。
(その本を販売もされています)

内容は決して楽観できるものではないのですが、
決して悲観せず、希望をつないでいます。


全て手書き文字で書かれたものを、コピー機で印刷しておくってくれているのですが、
まるで本当の手紙のようで、いつも見入ってしまいます。

お店のHPもなく、通信機器も限られたお店ですが、
彼女の行動の大きさには、一人の人間ができる限りのことを精一杯やっている、
それゆえの強さを感じます。

彼女は、子ども達の福島現地での、被爆拡大を防ぐためにも
短期間でも疎開することを自身の考えとして、行動しています。

彼女の通信の中で、

「北海道に行って来ました。
放射能に苦しんでいる子ども達のために私たちも何かしたい、と思ったからです。
知床半島のつけ根の標津(しべつ)町では、
移住促進のために住宅や土地を用意しています。
使われなくなった教員住宅を改修して安く貸し、10年住んだら土地も家も譲渡してくれるのです。
120坪ほどの土地を無償提供し、自分で家を建てて住むプランもあります。」
という情報もありました。



また、事故後たった3ヶ月後の6月に緊急発行された
「調べ、行動するために」という冊子も配布してくれました。
(この冊子は好評のため、その後2集、3集がでているそうです。)


滅入りそうな情報が氾濫する中で、
彼女のくれる1枚の通信がたくさんの勇気をくれました。



次に、何年も前からお付き合いさせていただいている、
無農薬・無化学肥料の種のお店「たねの森」さん



彼らが季節に1回発行している種カタログで、固い意思表明をしていました。


彼らは、今回の事故の責任を東電だけでなく、電気をつかってきた自分たちにも
責任がある、と考え、地域循環型の暮らしを進める日高市民の会
というものを立ち上げたそうです。

彼らが住む、
日高の自然資源を活用して暮らしていくために、
市民出資による小規模な発電所やバイオガスプラントの設置、遊休農地の活用による油の自給、
山林や竹などに取り組んでいこうとしているそうです。



そんな中で、「必要なエネルギーは地域で作り出す」
という考え方には、深く共感します。

(「地域」だけで作りだす、そんな小規模なエネルギーで
年間エネルギーをまかなえるわけないじゃない、というマスコミ的な批判はとりあえず、
おいておいて。)


いい意味でも、悪い意味でも、グローバルになりすぎたこの社会の中で、
こうした「自分たちの暮らす地域」から始まる考え方は、
新しい考え方としても、受け入れられていくんじゃないかな、と思っています。


「自分たち自身の暮らしを見つめなおし、足元の地域から変えていきたい」
小さな種を一粒一粒広めていくことを生業としている種屋さん。

その彼らの活動を、心から応援したいと思っています。



最後に、「日の出の森・支える会」
友人が精力的に活動していて、その姿に感銘し、会員になりました。


東京の西多摩郡日の出町にある巨大ごみ処分場が引き起こす環境汚染に対し、
いつも知られざる情報で(マスコミにはあんまり載らないという意味で)
驚愕させてくれる、東京でもおそらく稀な行動力を持つ環境団体・「日の出の森・支える会」



今回の事故に関しても、「ゴミ」という視点だけでなく、
多方面からの「危険性」を訴えていて、
その内容は新聞などではあまり取り上げられない内容も多く含まれています。


そんな沢山の情報量の中でも、この日の出の森・支える会代表の方の手記は
象徴的であり、インパクトが強かったです。

彼の手記はこんな風に始まっています。

「ごみ焼却で発生するダイオキシンの基準は4pgとされた。
1pgでは大部分の日本人は基準はオーバーするからである。

原発の放射線の基準は一般住民は20msvとされた。
1msvでは福島原発周辺ではオーバーするから。

作業員は250msvとされた。
100msvでは原発建屋に入れないから。

米のカドミウムの基準は0.4ppmにsれた。
現在の1ppmではTPPを通じて日本の米が外国に売れないから。

これらに共通することは「基準」はきわめて場当たり的に、
財政会に都合のよいように決められているということである。」



そして、「われわれは利権の財政界やマスコミを信じるわけにはいかない。
われわれは多様な学習をつうじて、財政界の嘘や無責任を追及しよう。
原発による放射能汚染の責任を取るべき人に取らせよう。
そして、持続社会に必要な人間活動を応援する輪を広げて行こう」
と結んでいます。


つ、強い・・・。強すぎる。
こんなに強いからこそ、
東京都を相手に、何十年にわたる運動を続けてこられたのだろう、と思うと、
自分にはない強さでありながらも、強く励まされたりします。



こんなに頑張っている人が日本全国にいることを、
忘れてはならんよなあ、と思います。


こんな言い方は失礼なのかもしれないけれども、

あんなにも無責任な企業が「最大大手」である日本が、
まだ三流国家にならずにいるのは、こうした人たちの地道な活動のおかげなのではないかな、と
秘かに思っています。



始めたばかりの「原発の運動」に疲れていた友人には、
「どうか気負わないで」と書き伝えました。

「どうか希望を失わずに、できることを見つけてやっていきましょう。

ありがたいことに、できる小さなことは、以前よりも増えたし、
見返りも、以前よりずっと見込めるようになりました。

希望すら見えなかった事故以前よりも、見込めるようになったのは
ありがたいことです」
と。

もちろん、それは自分自身への言葉でもあるのですが。












「希望とは戦うことなり」と詠んだのは、無名の1人の俳人。
東京で、戦争反対の署名を連日一軒一軒家を集めて集め続けて幾十年の、80代の男性だそうで、
深く感銘いたしました。
「ソンナデクノボウニワタシモナリタイ」。




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3 コメント

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希望 (maro)
2011-10-14 03:25:07
ドイツでは、地域発電のプランと設置運営を商品として提供している企業がすでに複数あって、あちこちでそれにのっ取って新しいエネルギー生活にシフトする試みをしている自治体が結構あると何かで見ました。あれ?教えてもらった情報で見たのかしら。もう定かでなくて申し訳ないのだけれど。
ドイツにいて友人たちに聞いてみると、みんな別に自国が環境国だとは思っていなくて、その国に住む人ならではの問題意識をもって国を見ているようです。でもそれは同時にどこの国にも、もちろん日本にも、他国にないよいところがあるということだと思います。お互いにお互いを見習いながら、希望をつないで行ければいいですね。
大学のときの先生の教えてくださった言葉で、「戦争への道は安心でしきつめられている」というような(確か「安心」だったと思うのですが、平和だったか、正義だったか・・・)言葉がありました。安心という敷石が崩れ去った道は不安も多いけれど、そこにむしろよりよいところへ進路を切り換えられる可能性を見て行けたらと思います。
いつも情報をありがとうございます。
返信する
追加 (maro)
2011-10-15 07:56:12
昨日寝ながら思い出しました。先の投稿の中で書いた言葉、
「戦争への道は『善意』でしきつめられている」
だった気がします。
返信する
Unknown (maroへ)
2011-10-17 18:11:10
こんな難しいテーマのブログにコメントを入れてくれてどうもありがとう。嬉しいです。
ドイツの人にとって、
自分の国での出来事は「当たり前のこと」なんですね。脱原発にシフトを変えた政治をできる政治家をもった国が、それを当然と言えるのはすごいことだと思います。
脱原発という壮大な理想にむかって、リーダーシップをとれる政治家がいないのが現在の日本だけれども、といっても、それはとても難しいことだよね。
声をいっぱいにあげられたら、と思います。
うまく答えにならずごめんね。
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