3月も残り1週間になって 半ば諦めていたのだが いきなり主治医から今月末で退院しましょう・・という有難いお言葉が。それからは 退院前の検査だのリハビリの仕上げだの 病棟の看護師さんにも挨拶せねばならんし 退院前の主治医の説明もあるしで 結構ばたばたした。病院の垢落としにシャワーも浴びたしw んなこんなで 3/31に無事退院の運びとなった。当日は荷物もあったので(といっても使わなかった紙オムツやらパッドなのだがw)友人が来てくれて 春の日差しの中を帰ってきた。3ヶ月入っていたので 病棟の方は看護師さんとも仲良くなったが みんな忙しいのでこちらで探し回ってご挨拶。まあ 退院しても毎月外来で来るので 挨拶できなかった人はまたその時・・ということにして 最寄り駅が拝島なので そこまで歩く。初めて歩くのだけど15分くらいか。タクシーで710円らしいが 春風が気持ちいい。生還確立が10%にも満たないので 良く生きて帰れたものだな・・と感心するのだが 実感は無い。まあ一度死んだようなわけで(意識失って倒れた時はもうダメだと思った)なんか 考え方というか意識がかなり変わった気がする。これまでは死ぬ・・てのは もうしんどいから薬飲んで・・とODしてたのだが これが実感無かったのだが こういう病気で肉体的に死にかけるとやっぱり生きてるというのは大事なことなんだなぁ・・と痛感するのである。全く勝手なものである。倒れるまでは死ぬ・・という意識(まあ誰でもいずれは死ぬのだが)は無くて 死を意識することは無かったのだけれど 退院して来てからは いずれは死ぬのだ・・という意識を強く持つようになった。生に執着するようになった・・とも言える。まあまだこの世でやり残してる事があるので それをするまでは死ねないんだろうなーなんて 訳のわからん死生感なんかも芽生えちゃったしw そんなこんなで4月になったが 病院では調子良かったのだが 帰ってきたらお腹の調子は悪いし 長く起きてると背中が痛い。結局4月は外来で通院した以外は一歩も出ずに寝たきり引きこもりであった。調子悪いのも 夜中に30分間隔でおしっこに行くので 外来の時に相談したら泌尿器科をアサインされて そちらにも行く羽目になってしまった。3月の入院中は調子が良かったのに 退院してから足が冷えて痺れるし お腹の調子が悪いしで 散々である。4月に一度外来で行って 退院した時に会えなかった看護師さんを病棟に訪ねちゃぁ挨拶してるのである。普通は退院したら 病棟なんか行かないんだけど あたしは病棟のスタッフがいなけりゃ死んでただろうなぁ・・と思うので 看護師さんも命の恩人なのである。世話になった人に礼を尽くさないの嫌なんである。まあお菓子でも配れるなら そうしたいんだけどお礼の品は一切受け取りません・・という病院なので 言葉で伝えるしかないので 用も無い(まあ実際はあるけどw)外来で行く度に 病棟をうろついているのである。5月に入っても相変わらず不調が続いて 5月の13日に泌尿器科 19日に心臓血管外科の外来で行ってきたのだが 19日の心臓血管外科の外来で造影剤入れてヘリカルCT(3次元CTだな)を撮ったのだが これの造影剤が合わなかったらしく 追加された動脈硬化の検査を待ってる間に震えが止まらなくなりダウン。結局追加された検査はキャンセルして車椅子で診察を受ける羽目になった。まだまだ本調子で無い様である。主治医言うところ 大手術だったから自律神経がおかしくなってて 落ち着くまでには1年はかかるよ・・とのこと。こんな不調続きで1年も我慢するのか?と思うとうんざりするのである。まあ検査結果を見た限りではかなり良くなってるらしく 心臓血管外科の次回の診察は3ヶ月先である。でかい病院は待ち時間だけで何時間もかかるので 次回はかかりつけの内科医の方に話を通してくれるそうで6月の末に地元のかかりつけの循環器の先生にかかる予定である。連絡はしといてくれるらしい。いろんな意味で医者には不思議と恵まれるあたしなのである。
2月は回復期だったのだが 検査の数値も順調に回復し 体力もかなり回復して3月に突入した。さすがに元気になってくると 薄味の病院食では辛い。お腹はすくのだがほとんど味の無い野菜ばっかり出てくると もううんざりである。もうかなり安全になってるので そろそろとコーヒー持ち込んでいい?とか密輸品wを持ち込むようになった。まあ急変しても病院なので安全というのもあるけどw 3月に入ってから 病状が安定したので たまに検査があるくらいでもうほとんど放置である。本人も心臓の上の大動脈が人工血管に交換されたマイルドサイボーグwなのを全く意識してないので始末が悪い。普段だと3日も頭洗わないともう痒いのだが よく考えたら1月の初めからもう2ヶ月近く頭洗ってないのだが 不思議と痒くない。まあでももう傷もくっついてるので仲良くなった看護師さんが 頭洗ってあげよーか?なんて言うのでついついお願いしてしまう。美容院みたいな洗髪台があるので そこで洗ってもらったのだが気持ちいいったらありゃしない。若い看護師さんだったのだが 来週には地元に戻るらしい。地元は横浜なんだそうだ。横浜から昭島まで通ってるのは大変だなぁ・・と思うのだが 彼女もプロ意識がはっきりしてて 横浜には戻るけど この仕事は続けるそうな。みんな偉いよねぇ。感心する。体の調子が良くなってるので 毎日ほとんど放置プレイである。朝にたまに採血があるのと 昼前に血圧と体温を測るくらいで後は何もすることがない。窓の外には道路を挟んで イトーヨーカドー(1Fにマクドナルドがある)隣にタイラヤという食品スーパー(ブローニュの森なんて安くて美味しいパン屋が入ってる)を指くわえてみてるだけである。病院が昭島なので 隣は福生なんである。福生といえば米空軍の関東最大の基地である横田がある。ちょうど病院の上が進入コースらしく空軍のC-130が腹に響く爆音を立てながら旋回しながら高度を下げていく。たまに金属音がするかと思うと 米軍の767か 入間へ降りるらしい空自のC-1が頭上を通過していく。刺激ってそれくらいなのよねぇ。デイルームの本はみんな借りちゃってもう遠くのデイルームまで行ってたのだがそれもネタ切れ。それでも体が元気になってきたので とうとうシャワーをお願いする。介助いる?とか訊かれたのだが まあ20くらいの看護師さんに洗ってもらうのも仕事増やしちゃって悪いし とりあえず大丈夫だろうと丁重にお断り申し上げて2ヶ月ぶりくらいのシャワーへ。介護用の風呂椅子が置いてあるのだが あたしは風呂椅子は嫌いである。ぺたっと座るといらん所がつくわけで 潔癖症のあたしとしてははなはだ気分が悪い。なのでしゃがんで洗うわけだが 筋力が落ちてるので もう手すりを使わないと立ち上がるのも困難なのには めげた。まあでも気持ちいいのよねぇ。3月は3回ぐらいシャワー浴びたのだが シャワーがこんなに気持ちがいいのかと思うくらい至福の時なのである。体調が戻ってきたので落ちた筋力を戻す為にリハビリが始まって 足首にウェイトつけて 上げ下げしたりなんかしてる。最初のうちは8Fのリハビリルームまで歩行器を使っていたのだが これも取れて普通に歩けるようになる。ポータブルトイレも歩行器も取れて 検査の結果も急速に良くなってるので もうそろそろ退院したいのである。主治医がたまに回診しにくるので 訴えるも色よい返事が得られず悶々とした日々が1ヶ月続く。3月も終わりに近づいて せめて結婚記念日までには出たいよねぇ・・と主治医に言ったら その方向で検討します・・といよいよ退院の秒読みに入る。嬉しかったなぁ。看護師さんが美人ばかりでも やっぱり病院暮らしは 3ヶ月もしてるとうんざりする。この期に及んでもまだ夜間だけは尿瓶だし パンツタイプではあるけれど パッドを入れたおしめである。まあ 退院の話は話だけで なかなか進展しないのだけどw