劇団夢桟敷 ☆2018.6〜山南ノート5

熊本アングラ万華鏡〜演劇とプライベートの徒然

熊日連載10「わたしを語る」(19)

2020-05-07 00:48:31 | 2020-2022 日記

「アングラ」と言えば、何やら怪しく暗い、難解で社会や権力に対して危険な思想の持ち主だと思われているのではないだろうか。或いは、エログロのドロドロした陰湿なイメージを持たれているのではないだろうか。…ハテナ?である。
ムキになってそれを否定しようものなら、益々、「アングラ」は無味乾燥、世の中ミーチャンハーチャンの流されものになってしまう。
(注。それで私は昨日、スキンヘッドになって黒メガネでイメチェンした。)
私はミーハーの恐ろしさは知っているつもり、馬鹿にはできない。集団で騒ぎ出すと世の中がひっくり返ってしまうエネルギーも感じる。大衆は右にも左にも転ぶことはある。
「アングラ」は受動的なミーハーではなく、自主的アッパラパであると位置付ける。アッパラパは混沌から主体的創造的に生み出される。
なんちゃって思う。それは本気である。スキンヘッドがピカッと光る。
時として、無駄口に聞こえかねない本気なのだ。今の時代だ。

熊日連載「わたしを語る」19回目は2006-2009に熊本で行われた「演劇大学」(日本演出者協会主催)を語る。
開催にあたって「アングラの人が何故、政府の文化庁の僕(しもべ)になった。県の無駄遣い箱物劇場で行うか。アングラの化けの皮が剥がれた。」と痛烈な悪口が聞こえた。
日本演劇界団体の動きに無知な方からだった。当然、自分のことしか考えていない了見の狭い人だ。
地域でコツコツと演劇活動をしている若い世代や地域でも演劇に興味を持ってもらうための「演出家や俳優を育成」する事業であった。
第一線で活躍している演劇人を迎えての演劇講座や実践的なworkshopが熊本で展開された。
ここにはアングラも新劇も伝統芸能も現代劇も関係ない。講師の方々から「今」を学ぶ演劇の所在は見えた。
全国へと広がりを作ろうとするネットワークの演劇運動だった。文化貧困国ニッポン チャチャチャを現場から波紋を広げる活動を体験した。