劇団夢桟敷 ☆2018.6〜山南ノート5

熊本アングラ万華鏡〜演劇とプライベートの徒然

熊日連載18「わたしを語る」(28)ねじ式 札幌市

2020-05-16 23:37:57 | 2020-2022 日記

新左翼、全共闘、全学連、日大・東大紛争、労働組合ストライキ、プラハの春、パリ五月革命…
1968年は叛乱が世界的規模で広がっていた。
革命を巡って〈権力〉に叛旗を翻し〈闘争の時代〉を思わせた。
権力も反権力も暴力が表面化し激しく対立した時代だったと言える。
日本を見る限り、大半は無関心を装い〈豊かさ〉という日常を守ろうとしていたのも現実だったように思う。それは敗戦の貧困から日本経済が急速に成長し、あたかも明るい未来が到来するかのように見ていたのも国民だった。

つげ義春「ねじ式」漫画の登場は「貧困」と「豊穣」のアンバランスの時代に現れた。特に悩める若者たちに支持されたのは対立の関係を時代のアンバランスに気付かされる衝撃があったからではないだろうか。
貧困にノスタルジー(原風景)を求めながら暴力と平和のアンバランスを彷徨うことによって、何故か癒されてしまう。
私は1968年の当時はこころのヒダが異常に活発に動いていた高校生だった。
「ねじ式」の不思議さを解明できず風景と吹き出しの言葉に酔った。
高熱でうなされた時に見る夢はリアルに「ねじ式」が迫ってくる。呻きではなく、喘ぎである。

人はみんな原風景を持ち、それは今という時代の中で無意識に育まれている。
「私」が「私たち」としてある演劇はお客さんも交えて、どのように共鳴できるだろうか。
「ねじ式」を取り組む時、未知と概知のアンバランスが対立しながら調和されてしまう。
この感覚がたまらない。

熊日連載(28)…残すところ2回で終わる。
口止め料をいただこうなんて、浅ましい気持ちは失せた。
やばいよ、やばいよ。…それは考え過ぎだった。
熊本アングラ万華鏡。
次に向かってススム。劇だ、映画だ、美術だ、音楽だ。
難産覚悟の共同作業が楽しみだ。慌ただしくなる。