劇団夢桟敷 ☆2018.6〜山南ノート5

熊本アングラ万華鏡〜演劇とプライベートの徒然

週刊月曜日 第23号

2022-10-31 16:43:53 | 2020-2022 日記

劇団夢桟敷「週刊月曜日」
〈第23号 2022.10.31発行〉
https://yumesajiki.jimdofree.com/
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 HP表紙左上の三マークを押すと古い順から見ることができます。

◎1.お知らせ
井上弘久独演「椿の海の記」
原作 石牟礼道子�時 11月23日(水)祝日
開場16:30  開演17:00�会場 熊本市国際交流会館A広間
入場料2000円
予約お申込先 090-4581-5190 劇団夢桟敷
期日が近づいてきました。予約はお早めにお願いいたします。
尚、11.26水俣市おれんじ館(熊本県水俣市月ノ浦195-2)でも開催されます。予約080-1790-6961(高平)

◎2.MINAMATA PROJECT YUMESAJIKI

前号22号では【「怨」の狂気と優しさは共存する】と題して劇団夢桟敷の旗揚げ(旧名 ブラックホール)1979年の東京時代を振り返りました。
当時を振り返ると、ルサンチマンressentiment〈怨念〉を演劇で色濃く表わそうという試みはありました。
サスペンスではなく、怨念劇として「犯罪や事件」をテーマとしていたのです。
ホラーhorror(恐怖)とは違い、日常にある「狂気」をテーマとしていた劇を試みていました。
日常の狂気?それは犯罪や事件が通り魔的に日常生活の中では隣り合わせにあるのではないかと問いかける劇であったと思います。
人を楽しみ喜ばせる演劇の裏街道まっしぐら?笑…〈喜怒哀楽〉の〈喜楽〉NEEDSに逆行する〈怒哀〉の演劇へ。
希少価値の演劇でしょうか?絶滅種でしょうか?いずれにしても笑えます。
何がおんねん?
「そのように思われていたのでした」と断定して良いのかどうか?…ナマの演劇はご来場されたお客さんに委ねられますが…。投げっぱなしでは困るが、回を重ねると演じる側はその場のお客さんの顔色でわかるようになるから摩訶不思議。
人の顔色を伺う、目の色を伺うことは役者習慣病でしょう。演劇の生活習慣であります。「病」であるのかどうかは個人の引き出しに仕舞いましょう。
本当はわかったようでわからないのだが…。演じる側も見る側もメンタルは強くなる!と長年に渡って都合の良い実感はあります。
「意味がわからなかった」という無言の圧力を感じていましたが…。どちらかと言うと感情に赴きを置いた劇作りでしたから「意味不明」で動じることがなくなりました。
上演後の打ち上げ酒宴の席ではお客さんも混じって「演劇に対する評価」は論の外。ひたすら社会事情に対しての批判などが隅っこで愚痴られていたのでした。
言い換えれば静かな井戸端会議風。
ルサンチマンは未熟ながらも不平不満に対する空虚な慰めだったのかも?
青春に対しては優しく、正常だと思われる日常に対しては狂気に!
狂気と優しさは天秤にかけても止まることなく揺れ続けていたのです。

新たな劇的展開を!さぁ、水俣へ。
不知火海撮影のためのロケハンに向かいます。
不知火、光(妖怪)が点滅しながら夜の海を渡る。目を閉じると見えることがあります。
一部、
映画シナリオは後回し。まずは不知火海を見る・聞く・海と話す、人や自然との出会いからSHIRANUHIを物語ることを探します。
直感的に言えば「不知火は生き物」であり、そのイキモノ(幻想も含めて)をどのように見えるか・見せるか・物語るか?を探します。
幻想と現実が向き合う時、狂気は逆転することもあると思います。
直感的に!不知火には魅せられる。甘かろうが辛かろうが、水俣に関して勉強不足だろうがとり憑かれたことは確かにあります。
動画や写真を撮りに(資料となる素材、発見を求めて)現場に行き、撮られた景色や人の営みや声を集めて後出しでシナリオを作ります。
二部、
夢現ひとり芝居「苦海浄土」(石牟礼道子)では膨大な文学やドキュメントから絞り込む作業となるでしょう。
絡んだ糸をほぐすように、時の糸が切れないように…。
必要条件として石牟礼道子さんや水俣関連の著作権についての手続きも発生して参ります。
演劇特有の空間とカラダ!何が飛び出して来るのやら?謎を楽しみましょう。
夢現(坂本真里)にとっては沖縄地上戦「1945漂流記」につづく老女ヒューマン劇になる見込みです。

一部(映像)と二部(芝居)の関係で全体の企画が見えるようにしたいものです。
全体が〈景色と命の営み〉が見えてきますように願いを込めます。
尚、
公演期日と会場は来年の春を予定していますが、今のところ予定は未定であって決定ではないのですが、制作スタッフとキャストを固める段階に入りました。
もうしばらく準備に時間がかかります。
映像班ロケハンでの試撮影では関係者には点検のために見せることは可能ですが制作過程の一般公開は写真の一部となる予定です。
じわじわと進めて参ります。
(山南)


呪術のハロウィン

2022-10-30 05:41:02 | 2020-2022 日記

◎ハロウィン
古代ケルト民族で秋の収穫祭が起源とされるハロウィン。
日本で言えば秋祭りのようなものか?
先祖の霊が戻ってくる日でお盆のようなものか?
仮装は悪い霊から身を守るためだったと聞く。
呪術は演劇的とも思えるが、キリスト教は渋谷の騒ぎを何と思うか?
悪霊退散を無意識にオドル。…自然界へ!


小さい秋の陽

2022-10-29 04:17:23 | 2020-2022 日記

朝顔と向日葵の季節は終わり、
冬を迎える花とネギ。
淡い朝日のあたる浅い秋。
咲いた花は目に美味しい。
刻んで薬味となるネギを目に入れる。
読書の秋?…どっこいしょ!
小さい活字で目が疲れる年頃となりました。
小さい花で癒されよう。
今日は座長と孫の子守唄の日。
コンビニで買い食いさせよう。ひひひ


熊本歩き(1)妙泉寺公園

2022-10-28 17:09:07 | 2020-2022 日記

熊本歩きシリーズ(1)
妙泉寺公園 熊本県合志市須屋
10月28日(金)
よく晴れた日の一歩二歩散歩。
足の筋力維持のための散歩である。
近所だが初めて訪れた。
縄文-弥生時代の古代人を幻視できる。
水の枯れることがない泉の公園。
次は弁当を持って行くことにした。
今日は隠れ家にて昼食。


週刊月曜日 第22号

2022-10-25 16:17:56 | 2020-2022 日記

劇団夢桟敷「週刊月曜日」

〈第22 2022.10.24発行〉

https://yumesajiki.jimdofree.com/

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【「怨」の狂気と優しさは共存する】

①劇団史生成の1979

いずれにしても迷走することが生成-発展-消滅のエネルギーになってきた。

 

ressentiment(ルサンチマン)は日本語で「怨念」と訳される。

劇団を旗揚げした1979年の前年は「怨」の字が躍る同人誌BLACK HALL(黒い社交場)をガリ版刷りで200部程度、第4号まで発行していた。

「怨が躍る」とはいかにも怪しい。しかし、この「怨」は社会に向かうのではなく内向的なものだった。失恋、貧乏生活、アレが食いたいコレが欲しい!など無臭の屁のようなヘッ、文芸同人誌。

ブラックホールは、現在の劇団夢桟敷の前身であり、一見怪しげな文芸集団に思われて熊本の狭い少数派からは面白がられた。

面白がられた理由は流行に乗り遅れた化石のような古いことを愛好していたからか?

例えば「自由な言論」や「わいせつ・暴力」など。心情新左翼崩れ屁のような!ヘッ。

その後、熊本から東京早稲田へ場を移し、劇団ブラックホールの演劇活動に変容した。

変容した演劇は遅れて現れたアングラ劇だったか?

カビが生えている、と言われたことがある。

社会活動や市民運動とはほど遠く、「怨」と言っても「私怨」そのもの。

私念は自分のことを不幸だと思う「私の不幸探し」だったろうか?

「私探し」は「私の不幸」か?若者の特権でもある。不幸に同調する。

若者特有の将来に対する不安や劣等感に悩まされた犯人探しのようなもので、抽象の反権力反権威、私闘の旗印に過ぎなかった。

抽象の!ヘッだったと言えば自虐か。()

当然、商業演劇や芸術路線には向かわず、これまた抽象のアングラ演劇やサブカルチャーとして自らを強引に位置づけた。

1979-1984年の東京時代のルサンチマン劇は〈私闘〉だった。

公的には新聞や週刊誌から引用された事件や犯罪がタイトルとなった。

謎が残る。…20世紀末の犯罪は貧困化が原因では治らないのか?

 

②黒い幟旗に「怨」の字を染め抜いた水俣病闘争(デモ)1971年頃、私(山南)が学生時代を送った熊本市繁華街(アーケード街や花畑公園)でも見られ、その光景が焼き付いていた。

ニュースで見ていた水俣の闘争が目の前にあった。

熊本で過ごすようになって水俣が遠い世界ではなく、近くの日常に思えるようになった。

それは水俣の友人ができたこともあり、何度か水俣に行く機会があったからだった。

私が学んだ大学のサークルには水俣研究会もあり、公害に関する本などもそこで読んだりしていた。ここでの研究スローガンは「よみがえれ水俣」だった。公害から環境問題まで幅広いテーマに及んでいた。

何よりも人間!このサークル周辺は心優しい女子たちが眩しかった。

難問は連帯が容易なことではないことも見えた。

公害闘争には生活困難や身体の不自由、チッソの企業や国、行政の理不尽な扱い、患者さんを補償する認定や裁判は今でも続いている。

「学生さん、水銀の魚を食ってから革命や解放を語れよ。」

これは地元の人たちの本音として聞こえた。学生が鬱陶しく思えたのだろう。

生活者と学生との間には見えない壁を感じた。

学生集団の中には新左翼党派拡大(オルグ)や内ゲバもあったようだ。

水俣で闘うことは単なる主導権争い、政治レベルでは解決できない問題もあるようだ。

ベトナム反戦や沖縄返還の次に水俣は扱われていたのではないだろうか?

デモを見ると「怨」の旗の中に、ぽつんと一本「人間」の旗があった。水俣研究会の学生だった。

 

③黒い旗の光景「怨」が1970年代当時のアングラ演劇の登場と重なって見えたから、今でも不思議に思える。

新たな!公害という現実の問題、アングラ文化という新たなサブカルチャー。

悶々としながら若者たちは既成の生活に疑いを持ち、反戦や反公害、音楽や美術、演劇までも新たな世界を拓く、暴れる、挫折を繰り返す時代が1968-1972の激動だったのだろう。

激動は内乱の様相にも見えた。

 

1979年。座長夢現(坂本真里)が早稲田大学文学部に編入し、私(山南)が熊本から追っかける形で東京で劇団の公演活動をするようになる。

右も左もわからない東京体験だった。

遅れて来た演劇青年たち。なんちゃって、演劇青年という自覚は一切なかった。

運良く、出会ったのが演劇団(現在の流山児事務所)の流山児祥氏、それを機に転位21、天井桟敷、状況劇場、黒テントなどを追っかけた東京で5年間を過ごす。

(注、「など」の中には暗黒舞踏や早稲田界隈の演劇、アングラ第三世代の劇団も含まれる。)…

 

④【現在】

劇団の旗揚げから43年、

何故、MINAMATA PROJECTと銘打って劇団夢桟敷は本年よりスタートしたか?

社会的問題も含めて、演劇で表現し得る「人間」ドラマを追求しよう。

これまでも1945年沖縄地上戦「劇」や1908年からの日本人ブラジル移民「劇」に取り組んだことがある。終わらないテーマだ。

戦争も移民の歴史も生存者が亡くなる一方、水俣病も同じくあらゆる方面から語り継ぐ必要を感じる次第です。

演劇は〈時の歴史教科書〉に止まらず、時を越える時間旅行だとも思える。

その力を信じて「不知火」と「苦海浄土」に映像とひとり芝居で挑戦する。

 

私たち劇団夢桟敷のスタート地点「怨」の点検と少なくとも地元熊本での若い世代との確認の時期に来ていると思われる。

 

つづく