劇団夢桟敷 ☆2018.6〜山南ノート5

熊本アングラ万華鏡〜演劇とプライベートの徒然

週刊月曜日 第8号

2022-02-28 15:27:26 | 2020-2022 日記

劇団夢桟敷「週刊月曜日」

〈第8号 2022.02.28発行〉

https://yumesajiki.jimdofree.com/

 

【告知】

もうすぐ春ですね。

劇団夢桟敷主催

自然発生的「桜を見る会」

321()14:00-17:00

熊本市北区八景水谷公園

飲食各自持参。

 

 

市街戦と市街劇

 アングラ劇「小劇場」試行

 劇団夢桟敷2022

 

1979615日に劇団夢桟敷(旧名 劇団ブラックホール)を東京早稲田で結成して今年で43年を迎えます。

結成当時の演劇への〈初心〉を思い返し、拠点となっている熊本の地で何を為すかを模索と点検中です。

「アングラ劇」を旗印に演劇の活動を始めた私達でしたが、それはアングラ四天王と呼ばれた天井桟敷(寺山修司)・状況劇場(唐十郎)・早稲田小劇場(鈴木忠志)・黒テント(佐藤信)を模倣することでした。

知れば知るほど追いつかない!超えられない!

この時代と向き合うことから進みましょう。

 

1980年代より演劇の波は〈商業〉や〈芸術〉へ加速する時代となり、演劇の現場は経済や権威に尺度が変わってきたようにも思えます。

若い世代の日常批判が演劇では弱体化してきたのだろうか?

日常とは?非日常とは?

日常の中に「劇」を持ち込む革命や魔法の面白さを試行する演劇が少なくなったようです。

他劇団ではなく、内部でも感じとられるようにもなりました。

「日本アングラは古典になっている」と言う人もいます。

伝統の演劇?確かに現代演劇史には大きな足跡になっています。

歴史を辿りながら未来に向かいます。

 

寺山修司の、

「家出のすすめ」自立論

「書を捨てよ町へ出よう」町の読み方

これから市街劇へ向かうのは結果、偶然が積み重なった必然だったように思えます。

市街戦が政治的概念だとすれば、市街劇は文学的概念とも受け取られます。

書物から飛び出す演劇。

「家の中から町へ出る」

「劇場」から飛び出す演劇へ!

都市論は「文明も石だたみ一枚めくれば砂浜である」という現実から出発し、想像上の体験と現実の生活とが不可分であることを直視させる演劇の広がりとして市街劇を想定実践したのだろう。

 

昨年2021年より劇団夢桟敷はテラヤマプロジェクトと題して、新型コロナ蔓延する中、「疫病流行記」(寺山修司)を引用して「あたしはあなたの病気です」上映を試みました。

想像上の体験と現実の閉じ込められた生活が重なってしまったのです。

市街劇のように見せたかったロケ現場、

警察から密集を咎められると思いきや、

それは時節柄、空振りに終わってしまいました。

市街劇が目的にはならなかったからです。

撮影が終わって課題に残ったのはドキュメンタリーとしての意図を持つべきだったと!

反省して以降、プロジェクトは書簡劇-訪問劇へ試みました。

しかし、演劇ワークショップの方式では見世物としての面白さに欠けてしまい、アングラ劇「小劇場」アピールにはなりません。

更に模索を続けることになりました。

 

演劇「遊戯療法」

これを課題に取り組みます。

第一部 映像ドキュメンタリー

第二部 劇中劇

3月末脚本 出演者決定

4月〜ロケ・稽古開始

10月 熊本市国際交流会館()

尚、ロケ現場としての市街劇を計画中。

ご注目、宜しくお願いします。


プーチンは同級生

2022-02-26 00:14:25 | 2020-2022 日記

弁天の湯(温泉)にてウォーキング。
ツルッと滑りそうになって反テイ反スタにタイムスリップする。
現在、ロシア軍はウクライナに侵攻し、ヤクザ縄張り(戦争)の情勢。
ロシアでも反戦デモが広がり、多くの拘束者がいるらしい。
気運は第三次世界大戦か?
核戦争か?
破滅?
反戦デモは世界で広がるか!
備えて、
裸でウォーキングしながら足腰を鍛える高齢者マークの極私的一服。
プーチンも古希だよね。


親に貰ったこの身体

2022-02-23 14:17:25 | 2020-2022 日記

身体の件。
メタボリックシンドロームと判定された。糖尿病の疑いあり。
要精密検査の案内がきた。
心筋梗塞、脳梗塞、腎不全、認知症等の重症化を防ぐために再検査を勧められた。
病院へ行こう。
イシャとは切れない関係になっている。
「ブンブンブブブン、親に貰ったこの身体」♪

使い切ろう。
ハア❗️
(写真は春が近い梅と椿の声)


週刊月曜日 第7号

2022-02-21 12:04:22 | 2020-2022 日記

劇団夢桟敷「週刊月曜日」
〈第7号 2022.02.21発行〉
https://yumesajiki.jimdofree.com/

■夢先案内人
 レミング〜世界の涯てまで連れてって
「TERAYAMA WORLD」寺山修司全仕事展より抜粋
 演劇実験部編集人 TNS

四畳半の下宿から、独身サラリーマンが消えていった。
壁にかこまれたその部屋にはドアが一つで、ドアには鍵がかかっていた。
「これは密室の完全犯罪だ」とトリメの刑事は言った。
だが、こうして壁の中で消えゆく人たちの数は、東京だけでも年に数千人は居ると言われる。
壁…それは部屋を仕切るだけではない。ときには内面化の喩として、個人の身体をも仕切っているのだ。そして、ときには自分自身(という身体)の中で、蒸発してゆく人たちだっているのだ。
「レミング」の主題は、ひとことで言えば、壁の消失によってあばかれる内面の神話の虚構性の検証である。
今日、われわれは無数の壁にとりかこまれている。
キャンバス、スクリーン、地表、顔、ありとあらゆる「表面積」の文化。
壁はもはや実存主義ばかりではなく、世界の暗喩として存在しているのである。
歴史的には「天変地異が起きたとき、その一年前には、必ず打物を片手に道を踊り歩く人々の姿が見られた」(ええじゃないか)ことは、壁を抜けて集団自殺に向かう旅ネズミ(レミング)との類似性において論じられてきた。
壁とその消失、そして方向を失った大衆の群れを描こうというのが、この作品の狙いであったとも言える。
しかし、壁の消失は個の内面の消失の問題でもある。
「レミング」は、結果が原因に先行する時間倒錯を、劇空間の中に再生しながら、地球の内部が空洞とつりあっているように、個の内部もまた無に支えられてきたことを証明しようとする試みの作品でもあったのだ。

※注 1979年暮に肝硬変と診断されるが、本人に知らされたのは1981年1月だった。その間、そしてその後、入退院をくり返しながら、演劇、映画、著作と、表現活動の速度は変わることなく続けられた。一つ一つの作品に命が賭けられていたと言えるだろう。
映画の撮影現場、演劇公演の稽古場には、かならず寝椅子が置かれた。
1982年「レミング」の公演を最後に演劇、映画活動に終止符を打ち著作活動のみにしぼる決意をした。だがしかし、それもついに実現しないままに終わった。
映画「さらば箱舟」は寺山修司の遺書として誰の目にも映った。

■遊戯療法(5)
 半分子供人間
 山南純平

大人になりきれない人間をピーターパン症候群というらしい。
(心理学者ダン・カイリーが提唱したパーソナリティ障害とされたもの)
心理学云々?…知ったかぶりをしたくないから、ピーターパン症候群を俳優術に重ねるつもりはありません!
しかし、子供の頃は引力に反して空中を浮かぶ遊びをよくしていた。
鳥よりも高く飛べる。
それは子供の頃、アメリカ映画「スーパーマン」に憧れていた故だろう。
風呂敷をマント代わりに高い屋根も飛び越える。
子供ながら落ちると死ぬとわかっていても、飛んでいるつもりで遊ぶことができた。
悪を倒すこともできた。…戦争ごっこである。
第二次世界大戦、米英(民主主義)が正義の味方で日独伊(独裁)が悪役。
悪は滅びる。…子供の頃の戦争ごっこは日本戦後の民主主義教育に反映されていた。…アメリカのテレビドラマ「コンバット」に影響された子供時代だった。
戦後、〈民主主義・自由主義〉と〈共産主義〉の対立構造が表れ、1948年朝鮮戦争、1959年キューバ革命、1965年ベトナム戦争などで米ソ対立(アメリカと旧ソ連)代理戦争は核戦争や第三次世界大戦へ拡大するのではないかと危機が深まる。
世界は若者を中心に反戦運動の輪が広がった。
関係あるのかどうか?
1960年代は若者文化サブカルチャーが保守的な芸術文化に牙を剥ける時代だったと思える。
今や、その若者たちの年齢は70代から80代に達している。
大人の一部だろうが、身体は老いても気持ちが子供人間に出会うと元気になる不思議よ。
ピーターパンは年老いても空を飛んでいるだろうか?
ネバーランドに飛び続けているだろうか?
パーソナリティ症候群がドラマに登場すると世界の見え方、価値観の切り口が良い方向か、悪い方向か?喜劇か悲劇が見えやすくなる。
注意すべきは引力には逆らわずに踊ろう。
現実、高いところから飛んだら落ちて死ぬ。
それを子供ではなく、高いところにいる人間たちに警告しましょう。
彼らは草や木、動物や低いところの人間たちまで死を巻き添えにしてしまうだろう。
危機論ぶって、どーもすいません。
と頭をかくこの頃です。


水俣曼荼羅 原一男監督

2022-02-19 09:59:04 | 2020-2022 日記

昨日2.18Friはdenkikanにて映画「水俣曼荼羅」(原一男監督)を観る。
原監督には「ゆきゆきて、神軍」にも衝撃を受けた。

6時間3部構成。長時間に飽きることはなかった。
上映後、監督のトークがあった。
水俣の悲しみにも顔が緩むトーク。
最近、心の中で「水俣へ!」と風が吹く。
匿名ではない人間たちが生きている。
タブーへの挑戦か?本音が見えるドキュメンタリー。

熊本上映denkikan#水俣曼荼羅は2.24Thu迄。