安彦忠彦さん(神奈川大学)が語った「6.3の切れ目、発達状況とずれ」(朝日新聞)の記事を読んで
「子どもの生理的成熟が50年前とくらべて1~2年、前倒しになっている」という内容に
非常に興味を持ちました。
小学校高学年の子どもたちをみていて
それを痛感することが多いのです
「50年前」という期間表示は日本の「6.3.3制」が1950年代に確立しているからです
不登校や問題行動が目立ち始めるのは小学校5年生頃から。
かつては、自尊感情の可否は中学1年生くらいで、逆転していましたが
最近は、小学校5年生で逆転しているといわれています
「自分は価値のある人間だと思う」>「思わない」と。
高校に勤務していた立場から眺めると
授業妨害や、先生への暴言などは
小学校4年生にして、すでに「高校生並」の子たちも少なくはありません。
家庭で保護者が、子どもたちにどんな接し方をしているのか?
どんな語り方をしてるのか?
詳しく調査したい衝動に駆られます
「自尊感情」「安彦忠彦さん」というキーワードが気になり、
次のページをみつけました
うむうむ…と、頷くことが多かったのでご紹介します
いじめる子は、自尊感情が低い。自尊感情を育まなければ、誰だっていじめっ子になる可能性がある
http://www.insightnow.jp/article/7284
子育てナビ
http://kosodatenavi.net/090/post-159.html
保育士の友人の話では
子どもに対しては、「誉める」ことが「愛情」を伝える一番の伝達方法といいます。
そして、子ども同士のトラブルや、先生の手を煩わせる子どもの保護者に対しても
その子の「良いところ」をみつけて
保護者の前で、誉めてあげることが大切だと言います。
トラブルを起こしやすい子のお母さんは、どこでも注意を受け続けている
我が子の非を咎められることは、お母さん自身の子育てを否定されていることにつながり
それは親としての自分の否定につながる
親は、ますますかたくなになり、周囲の言葉が心に届かず
子どもにも「優しい環境」をつくれなくなる
…そんな悪循環に陥るというのです
親も子どもも
誉められれば嬉しいものです
素直に嬉しいと表現できなくても、笑顔が増えていくなど
少しずつ、保育者や教員にもその変化は見えてきます
ここで、ひとつ注意したいことは
「誉めることと、甘やかすことは違う」ということもあります
一方で「叱り方が分からない」という相談を受けることも多くなりました
どちらにしても…相手がどんな年齢であれ
「子どもだから」と、見下すことなく
子どもの成長しようとする心に真摯に寄り添えば、
子どもにかける言葉の違いは、わかってくると思います。
「子どもの生理的成熟が50年前とくらべて1~2年、前倒しになっている」という内容に
非常に興味を持ちました。
小学校高学年の子どもたちをみていて
それを痛感することが多いのです

不登校や問題行動が目立ち始めるのは小学校5年生頃から。
かつては、自尊感情の可否は中学1年生くらいで、逆転していましたが
最近は、小学校5年生で逆転しているといわれています

高校に勤務していた立場から眺めると
授業妨害や、先生への暴言などは
小学校4年生にして、すでに「高校生並」の子たちも少なくはありません。
家庭で保護者が、子どもたちにどんな接し方をしているのか?
どんな語り方をしてるのか?
詳しく調査したい衝動に駆られます
「自尊感情」「安彦忠彦さん」というキーワードが気になり、
次のページをみつけました
うむうむ…と、頷くことが多かったのでご紹介します

http://www.insightnow.jp/article/7284

http://kosodatenavi.net/090/post-159.html
保育士の友人の話では
子どもに対しては、「誉める」ことが「愛情」を伝える一番の伝達方法といいます。
そして、子ども同士のトラブルや、先生の手を煩わせる子どもの保護者に対しても
その子の「良いところ」をみつけて
保護者の前で、誉めてあげることが大切だと言います。
トラブルを起こしやすい子のお母さんは、どこでも注意を受け続けている
我が子の非を咎められることは、お母さん自身の子育てを否定されていることにつながり
それは親としての自分の否定につながる
親は、ますますかたくなになり、周囲の言葉が心に届かず
子どもにも「優しい環境」をつくれなくなる
…そんな悪循環に陥るというのです
親も子どもも
誉められれば嬉しいものです
素直に嬉しいと表現できなくても、笑顔が増えていくなど
少しずつ、保育者や教員にもその変化は見えてきます
ここで、ひとつ注意したいことは
「誉めることと、甘やかすことは違う」ということもあります
一方で「叱り方が分からない」という相談を受けることも多くなりました
どちらにしても…相手がどんな年齢であれ
「子どもだから」と、見下すことなく
子どもの成長しようとする心に真摯に寄り添えば、
子どもにかける言葉の違いは、わかってくると思います。