Music Mania

No Music No Life

山下達郎問題

2023年07月15日 | 邦楽
山下達郎がジャニーズ批判をしないことでバッシングされている。
きっと山下達郎なら厳しい態度で発言してくれるに違いないと思い込んでた人たちが、期待外れなことしか言わなかったので怒ってるのだろう。
どうせ今怒ってる人たちも、数ヶ月もしたら忘れてしまって12月にもなれば例年通り「クリスマスイブ」を聴くんだろうけど。

ジャニー喜多川が多くの少年に性暴力を行っていたのは重大な犯罪であり、これはもっと大騒ぎしていいことだ。
どうも男同士ということで、そこまで問題視されてない気がするけど、これがもし秋元康がアイドルの少女に性暴力を行っていたらもっともっも問題になったはずだ。
少年も少女も関係ない。
ジャニー喜多川は故人となっても有罪にならなければおかしい。

というわけで、一番悪いのはジャニー喜多川本人で、次に悪いのはそれを黙認していた事務所の人間である。
どれくらい知ってたのかわからないが、時としてかなり重大な共犯者になりうる。
そして、次に悪いのは、そんな噂を耳にしながらもジャニーズに忖度し続けたメディアである。
ジャニー喜多川が死ぬまで公に出来なかったのはメディアの責任だ。

それらの悪事に比べたら山下達郎の発言なんてどうってことない。
わりと偏屈なところのある彼のこと、まあ仕方ないよね、と思う。
それよりも、SNSは一切やりません、サブスク配信もやりませんってのは時代錯誤だし、老害と思われても仕方ないだろう。

サロメの唇

2023年04月08日 | 邦楽
サロメの唇という昭和歌謡に強い影響を受けたバンドを知ったのはつい最近のことだ。
残念ながらちょっと前に解散してしまったのだが、彼らの残した音楽は今も聴くことが出来る。
そのセンス、楽曲のクオリティーの高さ、歌や演奏のスキルの高さに驚き、すっかりはまってしまった。

サロメの唇は、ベースの水のさとしが仕切っていて、楽曲制作だけでなく、総合プロデューサーとしてのイメージ戦略、さらにマネージメントまでやっていたようで、彼がいかにディープな昭和マニアなのかがよくわかる。
おそらく歌謡曲だけでなく、昭和40年代から50年代はじめくらいの映画、テレビ番組、さらに現代に残る昭和的施設(ドライブインや怪しげな秘宝感など)も研究していると思われる。
そんな水のさとしの思い描く昭和的世界観を見事に表現しているのが、ボーカルの橘京子(芸名っぽい)だ。
昭和の女性ボーカルといってもいろいろなタイプがいるわけで、曲に合わせてあるときは美空ひばり風、あるときは和田アキ子風、そしてあるときは中島みゆき風だったりするのだ。

彼らの音楽を聴くと、僕のような昭和生まれ昭和育ちの人間には、いかにも当時そのものの歌謡曲のように聴こえるが、よく聴くと決して昭和の頃にはなかった現在のロックであることがわかる。
昭和歌謡の演奏は基本的にビッグバンド形式であることが多いが、サロメの唇はシンプルにギター、ベース、ドラム、フルートだけで、せいぜいたまにピアノが入るくらいだ。
こんなにシンプルなロックサウンドで歌謡曲のバックを固めているような曲は昭和の頃はほとんどなかったはずだ。
それでいながら、ここまで昭和を感じさせるメロディ、アレンジ、歌唱などはさすがだと思う。

もう一つ彼らの特徴で取り上げねばならないのは、民謡や音頭といった日本古来の音楽を取り入れているところだ。
岡林信康なんかもエンヤトットのリズムを取り入れたりしてたが、サロメの唇はもっと高度に民謡とロックの融合が成功していて、違和感がない。
好き嫌いは分かれるところだと思うが、これはいい試みだ。
それだけに、解散したのが惜しい。

サロメの唇 / サルビアをわたしに

カネコアヤノ

2023年02月10日 | 邦楽
カネコアヤノ「タオルケットは穏やかな」

生まれてくる時代を間違えた女ことカネコアヤノの最新作だ。
今回のアルバムは初めて聴いた瞬間から良さげな予感がして、聴き込むほどにジワジワ良さが倍増してきた。
シンプルなギターロックで、オーバーダブも最小限に留められていて好感度が高い。
前作までバンドアレンジ版のほか、弾き語り版のアルバムも発表されてたけど、今回は今のところバンド版のみとなっている。
基本的にポップで親しみやすい曲を丁寧に歌っていて、バックバンドもそれを邪魔せず引き立て役に徹してるようだ。

カネコアヤノ - わたしたちへ / Kaneko Ayano - Watashitachihe


カネコアヤノ「単独演奏会2022秋」

昨年9月26日に横浜の関内ホールで行われた弾き語りライブだ。
サポートなしの完全ソロライブで、約1000人の客相手に歌っている。
全18曲、おそらくフルセットだろう。
この人は最近のアーティストにしては珍しくスタジオ版とライブではだいぶ印象が異なる。
やさしくポップなスタジオ録音と違い、ライブでは生身の身体を全力でぶつけてくる。
その熱量がすごい。
時には音程が外れたり声がかすれたりするのもお構いなく、激しくギターをかき鳴らし、声の出る限りをつくして歌うのだ。
大人しく歌うときは、聞き取りづらいほど消え入りそうな声になり、盛り上がるところは叫ぶように歌う、その落差、表現力も秀逸である。


4K【カネコアヤノ Ayano Kaneko 新宿駅前ライブ🎸 No War ☮️】2022.3.5 @新宿駅南口バスタ前

オールオーバージャパンダ

2023年01月28日 | 邦楽
ギターパンダ「オールオーバージャパンダ」

ギターパンダの新作が出たので早速DLして聴いているがとてもいい。最高傑作かも。
今回は今まで以上に自分の内面に切り込み、弱さを曝け出している。
実際ギターパンダのようなインディーズ系ロッカーにとって、コロナ禍の社会は相当生きづらいものだっただろう。
1曲目の「虹の向こうから」では、ロックがお金に負けて名古屋の工場で素性を隠しながら働いてる男のことが歌われている。
インディーズ系のロッカーの現実だ。
また「中庭のヘビイチゴ」では発達障害の人のことが歌われていて、なかなか胸が締め付けられる詩になっている。
「見て見ぬふりをしていたので」では現在のSNSなんかで流行りの陰謀論について、ストレートに言っちゃってる。
ギターパンダさん、応援してます。

ギターパンダ「見て見ぬふりをしていたので」【Offical Music Video】


上田正樹とサウス・トゥ・サウス「この熱い魂を伝えたいんや」

みのミュージックで流れてた「ムカデの錦三」が気に入ったので、それが入ってるアルバムをDLした。
内容は1975年発表のデビューアルバムにしていきなりライブ盤で、しかも唯一のアルバムというレアなもの。
そして、異常なほど熱くすごいグルーヴのソウル/ファンクてある。
曲は上田正樹のオリジナルと思われる曲とソウル/ファンクのカバーで、それらが全く違和感なく同列に並んでいるのだが、それを可能にしているのが超強力なリズム隊だ。
ドラム、ベースのテクがあるというより、彼らの持つ天性のリズム感の相性が抜群なのだろう。
オーティス・レディングのカバーなんて、本家を超えてるのでは、と思わせるほど凄いノリである。
僕は上田正樹といえば「悲しい色やね」しか知らなかったんだけど、これは今まで聴いてなかったのがもったいないくらいの名ライブ盤だ。

上田正樹 & South To South お前を離さない

ロックが死んだのではなくオマエが死んだだけ

2023年01月06日 | 邦楽
昨年末くらいにみのミュージックで「ロックは死んだとかいってるやつへ」という動画がアップされた。
内容は、巷にいる「ロックは死んだ」とかいってる古いタイプのロックが聴きたい人に対し、こういうのが聴きたかったんでしょ?と2022年に発表されたオールドテイストのカッコいいバンドを紹介するというもの。
まずは、その動画を見ていただこう。

ロックが死んだとか言ってるやつへ


動画見ましたか?
見てないですよね、わかります。
だって面倒くさいもんね。
たとえ見たとしても、これはマジカッケーから聴いてみてと言われても聴きませんよね。
わざわざアーティスト名から検索してサブスクとかYouTubeで聴いてみるのって超面倒くさいから。
たぶん、ここを読んでる方で、ここで紹介されてるアーティストを実際に聴いてみた人って10人に1人くらいだろう。

動画で紹介されたアーティストは以下の5つ。
彼らの一番新しいアルバムをDLして全曲聴いたところ、どれも60年代から70年代のテイストを色濃く感じるサウンドで、なかなか面白いと思った。

・家主
・ゆうやけしはす
・すばらしか
・フーテン族
・工藤裕次郎

家主「DOOM」、1曲目のヘヴィなイントロにまず期待感が高まるけど、ボーカルがちょっと弱い。
この傾向はどの曲にもいえることで、曲そのものやアレンジのセンス、とくにディストーションギターのカッコよさは相当なものだけど、ボーカルの弱さが気になった。

ゆうやけしはす「怨恨戦士!! ルサンチマンvsシューマイ少女と神谷組 第一回戦 シケた街から風のように去れ!!」。
長すぎるし意味不明な題名、それだけでインパクトがあるが、中身は濃すぎるくらい濃い。
まるで60年代後半から70年代初めくらいのブリディッシュロック、というより昭和40年代の汗臭いロックと言った方がいいかもしれないオールドなサウンドだ。
とくにオルガンの音がレトロチックで、とても味がある。
ギターもファズが効いててよろしい。
曲はサイケやロックンロール、ブルース、フォークなどなかなかバラエティに富んでいる。
そして何よりロックしている。
メンバーの見た目も、昭和40年代の映画に出てくる素行の悪い若者のようである。

すはらしか「すはらしき」。
これは和製ローリングストーンズといった感じで、力強いブリテッシュロック風だ。
歌詞の世界観はちょっと忌野清志郎を感じさせる。
今もこんなに汗の匂いを感じさせるロックンロールをやってるバンドがあったなんて、少し驚きである。
ブルース風の曲も、黒人のソレというより、ストーンズがカバーしてるような雰囲気だ。

フーテン族「フーテン族の世界」は路線としてはゆうやけしはすに似ているが、こっちの方がよりロックンロールな感じがあり、すばらしかほどではないけど、ストーンズっぽくもおる。
なかにはギター弾き語りな曲があったり、ファンク調の曲があったりなど、表現の幅が広いのもいい。

工藤裕次郎はギター一本弾き語りで、歌メロやコード進行は70年代フォークそのものだ。
一曲がとても短いので、あっという間に全部聴いてしまう。
わりと好き嫌い分かれるタイプだと思うけど、好きな人はツボにハマると思う。

今回紹介されたアーティストおよびアルバムは、あくまでも古いタイプのロックが聴きたい人向けなので、別にこういうのが流行ってるわけではない。
そして、これが重要なところだけど、彼らは別に中高年向きにこういう音楽をやってるわけではなく、あくまでも同世代やもっと若い人に聴いてもらいたくてやってるのである。
若い人からすると、逆に新鮮に聴こえることもあるだろう。
興味のある方はYouTubeかサブスクで検索して聴いてみてはいかが?

話は「ロックは死んだ」に戻す。
少し前にSNSの某コミュニティで「私たちの世代は血の通った音楽を聴いてきた世代だから、最近のは受け付けない」と言ってる人がいた。
これもロックは死んだと同じようなものだろう。
つまり、今の音楽を聴かない自分は正しい、だって今のロックは死んでる、あるいは血が通っていないのだから。
と、正当化しているのである。
誤解してほしくないのは、中高年が今の音楽を聴かないことそのものは別に問題はないということ。
30歳すぎると人は新しい音楽を聴かなくなる人が多いという統計結果も出ている。
なので、自分はもう歳だから新しい音楽にはついていけないんだ、というのは普通のことであり、なんの問題もないことなのだ。
それなのに、今の音楽は死んでるとかいって自分を正当化しているのは、リスナーとして死んでるようなものなのだ。
ロックが死んだのではなくオマエが死んでるのだ。