とんぼのめがね
秋の風物詩であるとんぼ、誰でも知っている童謡「とんぼのめがね」を聞くとほのぼのします。
青い空を見てたから青色めがね、お天道様を見てたからぴかぴかめがね、夕焼け雲を見てたから赤色めがね。
ふと考えました。
青色めがねで見たら空が青く見えるかしら。
ぴかぴかめがねで見たらお天道様がぴかぴかに見えるかしら。
赤色めがねで見たら夕焼け雲が赤色にみえるかしら。
色眼鏡をかけると、違ったものに見える経験をしたことがありませんか。
そう、心の目です。
今も心に深く突き刺さっていることがあります。
小学4年生の頃のことです。
転校生の男の子が来ました。
きりりとした顔立ちの男の子です。
人なつっこい私はすぐに友だちになり、いっしょに遊んだり、しゃべったりするようになりました。
あるとき、祖母が「あそこは朝鮮人だから」というのを聞きました。
後の言葉は覚えていませんが、朝鮮人という言葉はしっかりと耳に残りました。
朝鮮人がなんたるかはまるで分からない私ですが、何となく・・・だからの後に続く言葉が
心地よいものでないことは感じることができました。
そのうち、学校ではこんなはやし言葉がささやかれるようになったのです。
「チェニカトモッタラ、ピールッピンノチェンダッタ」
(銭かと思ったら、ビールびんの栓だった)
その子の家は廃品回収業のようでした。
ビールびんや金属を回収して生計を立てていたのでしょう。
いつの間にかクラスの中でささやかれ、彼はいじめの対象になっていったのです。
それまでなんのこだわりもなく、遊んでいた私も、彼を見る目が変わってきたのでしょうか。
身ぎれいだし、言葉もふつうでいい子だったのに、次第に離れていきました。
クラスで友だちが少なくなっていった彼は、ある日何かのひょうしに、突然大きな声で言いました。
「チョウセンチョウセン、ドコチガウ。オンナシメシクテドコチガウ!」
(朝鮮朝鮮、どこが違う。同じ飯食ってどこが違うんだ!)
私はびっくりしました。いわゆるキレタって言う感じで叫んだのですから。
その後、彼はまたよその学校へ転校していきました。
今もってその時の言葉と、彼の悔しそうな顔が忘れられません。
50年以上も前なのに。
当時の社会を思うと、祖母がつぶやいたのはごくふつうの感覚だったかもしれません。
でも、そのふつうの感覚こそが、今も根深くある日本人の心かと思うと悲しくなってきます。
心の目を曇らせる色眼鏡、だれの心にもあるのではないでしょうか。
とんぼの複眼で、360度、世界を見渡していきましょう。
秋の風物詩であるとんぼ、誰でも知っている童謡「とんぼのめがね」を聞くとほのぼのします。
青い空を見てたから青色めがね、お天道様を見てたからぴかぴかめがね、夕焼け雲を見てたから赤色めがね。
ふと考えました。
青色めがねで見たら空が青く見えるかしら。
ぴかぴかめがねで見たらお天道様がぴかぴかに見えるかしら。
赤色めがねで見たら夕焼け雲が赤色にみえるかしら。
色眼鏡をかけると、違ったものに見える経験をしたことがありませんか。
そう、心の目です。
今も心に深く突き刺さっていることがあります。
小学4年生の頃のことです。
転校生の男の子が来ました。
きりりとした顔立ちの男の子です。
人なつっこい私はすぐに友だちになり、いっしょに遊んだり、しゃべったりするようになりました。
あるとき、祖母が「あそこは朝鮮人だから」というのを聞きました。
後の言葉は覚えていませんが、朝鮮人という言葉はしっかりと耳に残りました。
朝鮮人がなんたるかはまるで分からない私ですが、何となく・・・だからの後に続く言葉が
心地よいものでないことは感じることができました。
そのうち、学校ではこんなはやし言葉がささやかれるようになったのです。
「チェニカトモッタラ、ピールッピンノチェンダッタ」
(銭かと思ったら、ビールびんの栓だった)
その子の家は廃品回収業のようでした。
ビールびんや金属を回収して生計を立てていたのでしょう。
いつの間にかクラスの中でささやかれ、彼はいじめの対象になっていったのです。
それまでなんのこだわりもなく、遊んでいた私も、彼を見る目が変わってきたのでしょうか。
身ぎれいだし、言葉もふつうでいい子だったのに、次第に離れていきました。
クラスで友だちが少なくなっていった彼は、ある日何かのひょうしに、突然大きな声で言いました。
「チョウセンチョウセン、ドコチガウ。オンナシメシクテドコチガウ!」
(朝鮮朝鮮、どこが違う。同じ飯食ってどこが違うんだ!)
私はびっくりしました。いわゆるキレタって言う感じで叫んだのですから。
その後、彼はまたよその学校へ転校していきました。
今もってその時の言葉と、彼の悔しそうな顔が忘れられません。
50年以上も前なのに。
当時の社会を思うと、祖母がつぶやいたのはごくふつうの感覚だったかもしれません。
でも、そのふつうの感覚こそが、今も根深くある日本人の心かと思うと悲しくなってきます。
心の目を曇らせる色眼鏡、だれの心にもあるのではないでしょうか。
とんぼの複眼で、360度、世界を見渡していきましょう。