立待岬に建つ、砂山影二の句碑。
わがいのち
この海峡の浪の間に
消ゆる日を想ふ
そしてこの歌のように、連絡船から海峡に身を投げた。享年20歳。
ひと頃、夭折した者たちが残した日記やら詩、とくに遺書を強く求めていた時期があった。高校から大学位の頃だった。インターネットなどない時代にどこでどうやって調べたのかさっぱり思い出せないが、今でも10や20のフレーズは諳んじることができる。砂山影ニの句もそのひとつだ。
原始林の中にあるという湖をさがそう
そして岸辺にたたずんで
一本の煙草を喫おう
煙をすべて吐き出して
ザックのかたわらで静かに休もう
高野悦子「二十歳の原点」から。
悠々なる哉 天壌、
遼遼なる哉 古今
五尺の小軀を以て
比大をはからむとす。
ホレーショの哲学
竟に何等の
オーソリチーを値するものぞ。
万有の真相は唯一言にしてつくす、
曰く「不可解」我この恨を懐て煩悶、
終に死を決す。
既に巌頭に立つに及んで、
胸中何等の不安あるなし。
初めて知る、
大いなる悲観は
大いなる楽観に一致するを
藤村操 「巌頭之感」
これを木に刻んで、華厳の滝に身を投げた。
上温湯隆、奥浩平、山田かまち、岸上大作、原民喜、中城ふみ子などなど、
なんでそんなに熱狂していたのかさっぱりわからない今を哀しむべきなのか。