山形県手をつなぐ育成会 日々徒然なること

育成会の事、関係ないことも勝手につぶやきます

手をつなぐ親の会結成に尽力した三木安正の業績

2013年08月21日 | 福祉用語
 浅井浩氏の以下のホームページに掲載している「福祉」にかかる論述を、ずっと連続して引用している。
 その第75回目。

 三木安正は、文部省の視学官として知的障害教育施策に大きな業績を残した。
 また、東大教授として知的障害教育研究を常にリードした人物である。
 以下、その業績が記述されている。 
      
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【引用始め】

http://www.asai-hiroshi.jp/newpage1.html   

日本の障害児(者)の教育・福祉

作成 2012.7.1/更新2013.6.15

日本の障害児・者教育と福祉の原点

 日本の教育や福祉は今、大きな変革期の中にあり、
 混迷した状況もみられます。
 日本の知的障害に関する教育や福祉の原点ともいえる
 滝乃川学園の創設者である石井亮一(1867~1937年)、
 戦後では、近江学園の創設者である糸賀一雄(1914~1968年)や
 旭出学園の創設者である三木安正(1911~1984年)の
 思想や取り組みをあらためてたどってみることの意義は大きいと思います。
 そこには目指すべき考え方の拠りどころとなるものがあるはずです。

◇三木安正(1911~1984)

 1946(昭和21)年に文部省教育研究所所員となり、
 戦後の教育改革における特殊教育部門の基礎資料の作成にあたる。
 1947(昭和22)年に学校教育法が施行され、
 「六・三制」の実施に伴い
 中学における知的障害児の教育の必要性に着目し、
 教育研究所内に実験学級「大崎中学分教場」を設置し、
 数人の研究所員とともに授業を担当。
 この分教場はのちに、東京都立青鳥養護学校(現在の青鳥特別支援学校)に発展。
 間もなく文部省(現在の文部科学省)に転任し、
 戦後の特殊学級の復活・設置促進のため全国をかけめぐり、
 全日本特殊教育研究連盟(現在の全日本特別支援教育研究連盟)を設置し、
 主導的役割を果たした。
 その間、「養護学校学習指導要領」の編成に尽力。
 「手をつなぐ親の会」の結成にも参加。
 その一方において1950(昭和25)年に「旭出学園」を設立。
 旭出学園は、1960(昭和35)年に学校法人旭出学園(東京都練馬区)、
 1972(昭和47)年に社会福祉法人富士旭出学園(静岡県富士宮市)、
 1974(昭和49)年に社会福祉法人大泉旭出学園(東京都練馬区)の
 三つの法人組織に発展し、
 知的障害児・者の教育と福祉の事業を展開し現在に至っている。
 2000(平成12)年に業績に関連する著書や資料等を集めた
 「三木安正記念館」が開設された。

【引用終わり】

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 以上の他に、三木安正は、手をつなぐ親の会結成にも大きな役割を果たした。
 知的障がい児の育児にかかわる母親の役割を分析した研究もある。
 さらに、「養護学校学習指導要領」の編成にも尽力している。
 (ケー) 


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