山形県手をつなぐ育成会 日々徒然なること

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日本の知的障害に関する教育や福祉の原点=石井亮一

2013年08月19日 | 福祉用語
 浅井浩氏の以下のホームページに掲載している「福祉」にかかる論述を、ずっと連続して引用している。
 その第73回目。

 日本の知的障がい教育や福祉は、ごくわずかとはいえ戦前より試みられている。
 その先駆け、滝乃川学園創設者石井亮一の実践は貴重である。
 次を参照。 
      
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【引用始め】

http://www.asai-hiroshi.jp/newpage1.html   

日本の障害児(者)の教育・福祉

作成 2012.7.1/更新2013.6.15

日本の障害児・者教育と福祉の原点

 日本の教育や福祉は今、大きな変革期の中にあり、
 混迷した状況もみられます。
 日本の知的障害に関する教育や福祉の原点ともいえる
 滝乃川学園の創設者である石井亮一(1867~1937年)、
 戦後では、近江学園の創設者である糸賀一雄(1914~1968年)や
 旭出学園の創設者である三木安正(1911~1984年)の
 思想や取り組みをあらためてたどってみることの意義は大きいと思います。
 そこには目指すべき考え方の拠りどころとなるものがあるはずです。

◇石井亮一 (1867~1937)

 社会事業家であり、日本の障害児(者)教育・福祉の創始者。
 二度にわたり渡米し、故セガンの未亡人からセガンの教育論等を学び、
 滝乃川学園(東京都国立市)を創設し、
 第二次世界大戦以前における知的障害児(者)の教育・福祉の先駆けとなった。
 なお亮一の夫人筆子も滝乃川学園の運営に尽力したことが、
 最近になって映画化されたことで知られるようになった。
 筆子は華族の令嬢で、日本初の海外留学生で、
 津田梅子らとともに日本の近代的女子教育の先駆者でもある。
 結婚して三女を儲けるが、次女を病弱のため生後間もなく亡くし、
 三女と夫も病気で亡くし、長女が知的障害であったことから亮一と出会い再婚、
 滝乃川学園の経営にかかわることになったということである。

【引用終わり】

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 石井亮一は知的障がい者の教育・福祉に大きな貢献をした。
 最初は人身売買で被害を受けた孤児たちの女子教育から始まっている。
 孤児たちの中に知的障がいのある女児がいたことがきっかけで、知的障がいのある人への教育を研究したという。
 米国に渡ってその研究に勤しんだということからその熱心さははかりしれない。
 また、夫人の筆子の助力を得て、当時一流の人たちの援助があったからこそなし得た事業でもあった。
 それだけ清廉潔白、情熱に燃えた人柄であったから多くの人から信頼された。
 石井が創設した滝乃川学園は、教育機能はもちろん、農場、印刷所、さらに研究所や保母養成所などを設置した。
 石井の有名な言葉に次のようなものがある。
 「人は、誰かを支えている時には、自分のことばかり考えるけれど、実は相手からどれだけ恵みをもらっているかは、気づかないものだよ。」
 自分も人から支えられて生きていることを、常に自覚した生き方をしていたのである。
 滝乃川学園の運営は常に財政的に大変だったようだ。
 (ケー) 


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