浅井浩氏の以下のホームページに掲載している「福祉」にかかる論述を、ずっと連続して引用している。
その第68回目。
法に定められた障がいのある人に対する教育のあり方について、以下では述べられている。
障がいのある人の状態や程度に応じた教育が求められている。
それには、多様な教育の場や機会が必要だと訴えている。
*************************************************
【引用始め】
http://www.asai-hiroshi.jp/mysite5/index.html
教育を受ける権利の保障 2013.4.12
教育の機会均等について
日本国憲法の第26条には、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」 「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。」とあります。
教育基本法の第4条には、「すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、~」 「国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。」と定めています。
憲法の、「その能力に応じて、ひとしく教育を受ける」 「普通教育を受けさせる義務」 ということと、教育基本法の、「その障害の状態に応じ」 ということは、教育を受ける権利の問題を考える上できわめて重要なことだと思います。
「その能力に応じ」というのは、能力的個人差や能力的発達の程度や状態に応じるということですから、その場合の 「ひとしく」 というのは、教育の内容や方法が教育を受ける人すべてに、まったく同じであればよいということではなく、また同じことを強要するものでもないはずです。つまり 「ひとしく」 というのは、「一律に」 ということとは違うということです。
また「普通教育」とは、どのような教育内容をいうのか漠然としていますが、それは一応、人としてあるいは社会の構成員として生活していくうえで必要な教育だとか、次代を担うために必要な教育だと解釈すれば、それは文化レベルや生活習慣あるいはその時代状況など社会的環境条件との関連で相対的に考えられるものだということになります。
しかもその教育の内容や方法は、教育を受ける権利を有する側によって考えられるのではなく、教育を受けさせる義務を負う側の価値観や判断基準に基づいて考えられるものだということになります。まさに学校教育における教育内容や方法はそういうことになります。その点でどのような教育の内容や方法を考えるかということがきわめて重要なことになるわけですが、ひとしく教育を受けさせるということと、一律的・画一的な教育を受けさせるということが無差別平等論の下に混同されている現状があると思います。
教育の分野では障害児の教育を、いわゆる地域の普通の学校や学級に統合して行うインテグレーション(統合教育)をさらに発展させた考え方であるインクルージョンがノーマライゼーションと並ぶ新たな理念となっているわけですが、教育を受ける権利に対応した多様な教育の内容や方法があり、多様な教育の場あってよいはずです。それが本来の教育の機会均等ということではないでしょうか。
【引用終わり】
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以上のように、教育の機会均等が画一的一律的な教育を訴えているものでない。
障がいのある人の程度・状態に応じて適切な教育が受けられる条件を保障することである。
それには、教育の場や内容・方法が障がいのある人一人ひとりに即する必要がある。
そのために、通常学級における配慮ある教育、特別支援学級に少人数による教育がなされている。
そして、特別支援学校における個別支援計画に則った教育がなされているのである。
(ケー)
その第68回目。
法に定められた障がいのある人に対する教育のあり方について、以下では述べられている。
障がいのある人の状態や程度に応じた教育が求められている。
それには、多様な教育の場や機会が必要だと訴えている。
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【引用始め】
http://www.asai-hiroshi.jp/mysite5/index.html
教育を受ける権利の保障 2013.4.12
教育の機会均等について
日本国憲法の第26条には、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」 「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。」とあります。
教育基本法の第4条には、「すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、~」 「国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。」と定めています。
憲法の、「その能力に応じて、ひとしく教育を受ける」 「普通教育を受けさせる義務」 ということと、教育基本法の、「その障害の状態に応じ」 ということは、教育を受ける権利の問題を考える上できわめて重要なことだと思います。
「その能力に応じ」というのは、能力的個人差や能力的発達の程度や状態に応じるということですから、その場合の 「ひとしく」 というのは、教育の内容や方法が教育を受ける人すべてに、まったく同じであればよいということではなく、また同じことを強要するものでもないはずです。つまり 「ひとしく」 というのは、「一律に」 ということとは違うということです。
また「普通教育」とは、どのような教育内容をいうのか漠然としていますが、それは一応、人としてあるいは社会の構成員として生活していくうえで必要な教育だとか、次代を担うために必要な教育だと解釈すれば、それは文化レベルや生活習慣あるいはその時代状況など社会的環境条件との関連で相対的に考えられるものだということになります。
しかもその教育の内容や方法は、教育を受ける権利を有する側によって考えられるのではなく、教育を受けさせる義務を負う側の価値観や判断基準に基づいて考えられるものだということになります。まさに学校教育における教育内容や方法はそういうことになります。その点でどのような教育の内容や方法を考えるかということがきわめて重要なことになるわけですが、ひとしく教育を受けさせるということと、一律的・画一的な教育を受けさせるということが無差別平等論の下に混同されている現状があると思います。
教育の分野では障害児の教育を、いわゆる地域の普通の学校や学級に統合して行うインテグレーション(統合教育)をさらに発展させた考え方であるインクルージョンがノーマライゼーションと並ぶ新たな理念となっているわけですが、教育を受ける権利に対応した多様な教育の内容や方法があり、多様な教育の場あってよいはずです。それが本来の教育の機会均等ということではないでしょうか。
【引用終わり】
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以上のように、教育の機会均等が画一的一律的な教育を訴えているものでない。
障がいのある人の程度・状態に応じて適切な教育が受けられる条件を保障することである。
それには、教育の場や内容・方法が障がいのある人一人ひとりに即する必要がある。
そのために、通常学級における配慮ある教育、特別支援学級に少人数による教育がなされている。
そして、特別支援学校における個別支援計画に則った教育がなされているのである。
(ケー)