山形県手をつなぐ育成会 日々徒然なること

育成会の事、関係ないことも勝手につぶやきます

◆日大山形 ベスト4!ボーイズ・ビー・アンビシャスも話題に!

2013年08月20日 | 日記
やりました!日大山形高校がベスト4です!
山形県勢としては初の快挙です。

今回も強豪校相手にやってくれました。
私は今回こそ無理だろうと、またネガティブに考えていましたが
今回も気持ちよく裏切られました
こんな裏切られ方なら大歓迎ですよね。

ところで、日大山形が勝ち進んでいることで、
日大山形の校歌も大注目されています。

いきなり出だしから「ボ~イズ・ビー・アンビシャ~ス」ですものね。

検索の急上昇ワードにも「日大山形」「ボーイズビーアンビシャス」が上がっています。

日大山形高等学校クリックしてね


かなりインパクトが強いので笑っちゃっている人もいますが
「なんかカッケー!あと2回聞きたい」とのつぶやきも見ました

そういえば、最近は甲子園で聞かなくなっていましたからねぇ~

私が初めて日大山形の校歌を聞いたのは、やはり自分が高校生の時でした。
陸上競技の大会があり、あかねが丘県営グラウンドで大会終了後に日大山形高校の
陸上部員が輪になって歌っていたのを聞いた時だと思います。

やはり、いきなりの「ボーイズ・ビー・アンビシャース」に思わず振り向きましたよ
ただ、恒例になっているようで、ウチの高校の先輩もテントの後片付けをしながら
ボーイズ・ビー・アンビシャース」と、他校の校歌なのに口ずさんでいました。

ここまできたら、行くとこまで行って「ボーイズ・ビー・アンビシャース」と
山形県民全員で歌いたいですねぇ~~~~~(F)





この子らを世の光に=糸賀一雄の福祉理念

2013年08月20日 | 福祉用語
 浅井浩氏の以下のホームページに掲載している「福祉」にかかる論述を、ずっと連続して引用している。
 その第74回目。

 糸賀一雄は、戦後直ぐ、知的障害児施設「近江学園」(滋賀県)を創設した。
 日本の知的障がい者教育・福祉の先駆者の一人である。
 糸賀について、以下に述べている。
      
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【引用始め】

http://www.asai-hiroshi.jp/newpage1.html   

日本の障害児(者)の教育・福祉

作成 2012.7.1/更新2013.6.15

日本の障害児・者教育と福祉の原点

 日本の教育や福祉は今、大きな変革期の中にあり、
 混迷した状況もみられます。
 日本の知的障害に関する教育や福祉の原点ともいえる
 滝乃川学園の創設者である石井亮一(1867~1937年)、
 戦後では、近江学園の創設者である糸賀一雄(1914~1968年)や
 旭出学園の創設者である三木安正(1911~1984年)の
 思想や取り組みをあらためてたどってみることの意義は大きいと思います。
 そこには目指すべき考え方の拠りどころとなるものがあるはずです。

◇糸賀一雄 (1914~1968)

 戦後日本の障害児教育・福祉の先駆者として業績を残す。
 1946(昭和21)年、戦後の混乱期の中で、
 知的障害児等の施設「近江学園」(滋賀県)を創設。
 近江学園は、1948(昭和23)年の児童福祉法の施行に伴い
 県立の児童福祉施設となり現在に至る。
 重度の障害児であってもその成長発達は
 保障されなければならないとして
 重症心身障害児・者を単に保護の対象としてではなく、
 発達の主体としてとらえることが大切である
 という思いを「この子らを世の光に」ということばにこめて、
 重症心身障害児の療育に尽力した。
 その精神は現在に受け継がれている。
 著書に「福祉の思想」(NHKブックス67)

【引用終わり】

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 糸賀一雄は、「近江学園」を創設してから、落穂寮、信楽寮、あざみ寮、日向弘済学園などの施設を設立していった。
 さらに、「びわこ学園」(1963年)という重症心身障害児施設を創設している。
 糸賀は次のような言葉を残している。
 「この子らはどんな重い障害をもっていても、
 だれと取り替えることもできない個性的な自己実現をしているものである。
 人間と生まれて、その人なりに人間となっていくのである。
 その自己実現こそが創造であり、生産である。
 私たちの願いは、重症な障害をもったこの子たちも
 立派な生産者であるということを、認め合える社会をつくろうということである。
 『この子らに世の光を』あててやろうという
 哀れみの政策を求めているのではなく、
 この子らが自ら輝く素材そのものであるから、
 いよいよ磨きをかけて輝かそうというのである。
 『この子らを世の光に』である。
 この子らが、生まれながらにしてもっている
 人格発達の権利を徹底的に保障せねばならぬということなのである」
 (「糸賀一雄著作集Ⅲ」より)
 知的障がい者が自ら輝く「世の光に」なることを目指した。
 
 さらに、糸賀は
 「人間と人間が助け合い、受け入れ合う、理解と愛情で結ばれる社会、
 すなわち共感の考え方に支えられた社会」という、理想社会の実現に力を注いだ。
 
 共生社会づくりに一生を捧げた。
 (ケー)