安芸国人のフランスで嫁さん探し!

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上海ギャルと巡る上海博物館!

2016-05-21 20:37:49 | 2011-2012年度旅行
みなさん、こんばんは。

今日は。。

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徐州市博物館へ行って来ました。。

18日は国際博物館日だったんですね。何か特別展が催されてるかと思って行ったのですが。。

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常設展示しかありませんでした。。。

で。。。

今日は先日行った上海博物館のご紹介をします。

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中国でも最大級の博物館である上海博物館。。。古文字研究及び青銅器研究の第一人者であり、文字角界の河相我聞と称される馬承源先生が館長をされていたこともあり、特に青銅器関係は超一級品が揃っています。。。

僕自身は今回で三回目の上海博物館ですが、実は前の二回はいずれもリアル女性と二人で入場してました。。

いや、冗談抜きでマジですよ。。。

なので一人で入るのは今回が初めて。。。

まあ、一緒に見て回るギャルは現地調達すればよいのですけどね。。。歴女のナンパには定評がある僕ですから。。。

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並んで入場・・・・ですが、土日じゃなかったので、すぐ入れました。。休日は長蛇の列ですからね、ラッキーです。

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特別展が開催されてました。

なんと。。

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菩提の世界(醍醐寺芸術珍宝展)。。。

日本の醍醐寺の仏教展示でした。。。いやあ、上海、日本料理屋も多いし、こういった特別展も堂々と開催できるなんて。。。すばらしいですね。。。。。

ただ。。。

中国の博物館は普通写真撮影OKなのですが、特別展は撮影禁止。。。特別展に関しては日本スタンダードで開催されてました。。。が、その辺理解してない中国のお客さんたち、皆さん写真を取り捲っていて、警備員が常にやかましく「写真は撮るな」と叫び続けてました。。。

撮影禁止だったので、僕は特別展の写真は撮ってませんが、かなりすごい逸品が展示されてました。。豊臣秀吉の肖像画なんて、教科書に載ってるやつでしたし、まさか中国でこんなすごい二本の展示品が見られるとは思ってもいませんでした。。

でも。。。

あくまで上海博物館に来た目的は。。

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青銅器コーナーです。

出口から入ってしまったので、時代の遅い順に見て回ることになってしまったのですが、ちょっとご紹介してみたいと思います。

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これは、戦国時代から漢代にかけて、主に雲南省で作られていた貯蔵のための箱です。。同じような箱は雲南からベトナムにかけて見られますね。

それから。。。

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彼女が見ているのは、呂黛鐘。。。戦国時代の鐘です。。

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お、彼女、二人組だったんですね。。。今回は彼女たち二人と博物館を回ることにしました。。

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彼女たちが見ているのは、呉王夫差鑑。。。春秋末期(BC5世紀)の春秋五覇の一人にも数えられる呉王夫差が作った甕です。。


つづいては。。

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でっかい鐘。。。彼女もびっくりしてました。。

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こちらは晋侯蘇鐘。BC9世紀ごろの品。元々は墓荒しに盗掘されて、香港から海外に流出しそうだったのを、馬承源先生が見つけて買い戻したいわくつきの器です。。。あ、でもご覧ください、鐘は14個しかありませんね。王侯レベルの鐘は16個を1セットとするのですが、二つ足りません。。実は同僚の先生から聞いた話だと、一部日本に流出してしまったとか。。。盗品を買うなんて・・・・ほんま許せんことですね。

なお、晋侯蘇鐘には400字もの文字が刻まれています(この時代の青銅器の文字は基本的に青銅器を作るときに鋳込まれるのですが、この晋侯蘇鐘は例外です。戦争か何かの戦利品で後から刻んだものかも)。。内容は、晋侯蘇が王の遠征にしたがって活躍して、後に王から厚い恩賞を受けたというもの。。です。

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こちらは師エン(ウ冠に袁)簋。。簋というのは、穀物を盛る器のことです。。この器にも長文の銘文が鋳込まれていて、銘文をブツブツ読んでたら、彼女が「この人、この文字が読めるの??」と憧れの目を僕に向けてました。


気をよくして、100文字以上の銘文を最後まで読んだのですが。。。。彼女たち、いつのまにか先に行ってしまってました。。。

まってくれーーーっ。。。

続いては。。。

上海博物館の逸品中の逸品。。。

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大克鼎です。。。鼎は肉を煮たりする器です。西周時代最大の鼎として大克鼎は有名なんですよね。。

彼女たちと一緒に撮って、大克鼎の大きさを皆さんにも理解していただこうとおもったのですが。。。

さっきの師エン簋銘を最後まで読んでいたせいで。。。

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彼女たち先に行っちゃってたーーーーっ!

この大克鼎も。。。

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400字近くの銘文が鋳込まれてます。。。読んでるうちに彼女たちの姿はなくなってしまいました。。

仕方がないので、ここからは一人辛い旅を続けます。

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こちらは徳鼎。。。紀元前1100年ごろの青銅器です。恐らくは西周の2代成王の時代の器だと思われます。

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銘文が鋳込まれています。

王は徳に貝20朋を賜う。用って宝イを作る。。(王は徳さんに貝20セットを下賜した。それで徳さんはこの器を造りました)。。。

という内容ですが、注目していただきたいのは、二文字目です。

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この字は今の漢字では「賜」。。。元々「賜」の字は「易」と表記されていて、偏にあたる「貝」の字はなかったんですよね。。今では「易」は「かえる」「やさしい」などと訓じますが、元々は「たまう」も「易」で表記されていて、1つの文字で3つも意味があるのは不便だろうということで、「たまう」は「貝」をつけて、「賜」の字に分化していったんですよね。

で。。。

この徳鼎の「易」の字は他に例を見ない書き方をされていて。。。

「易」の字は。。当時。。。

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こんな形で書かれるのが一般的でした。青銅器の文字だけでなく、その前の殷の甲骨文字もこの形で表記されていました。

でも、これだと何の象形かわかりませんよね。

で。。。

この「易」は殷の時代、「易日(日を易える→天気が変わる)」というように「かわる」の意味と、「たまう」の意味の二つの意味で使われていて、「やさしい」はそれよりも後、戦国時代に加えられた意味だと考えられるのですが、果たして「易」の原義はどちらなのか・・・・・・。

徳鼎の「易」の形を見ると一目瞭然ですよね。

そう。。。

「易」の字は、カップに入った飲料(お酒)を他の人に注いであげる・・・・様子を描いた象形だとわかるわけです。

それが文字を簡略にするために、カップの取っ手の部分とお酒が流れる様子を描いた三本の/の棒だけを残して残りは省略。そして、それが今の「易」の字になったというわけです。元々「たまう」の意味が原義だったのに、「たまう」は貝偏をつけて「賜」と別の字になってしまい、元々の原義ではない「かえる」「やさしい」の意味だけが残ってしまったという、面白い例ですね。

あ。。。薀蓄ばかり語っていたら、完全に彼女たちに置いてけぼりにされてしまったのですが。。

モーマンタイ。。。

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ちゃんと彼女たち、僕を待っててくれました。

今日はここまで。。。

明日もギャルの写真が楽しめるかも。。

お楽しみに。