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「四国88lヶ所巡り 第9回2日目」

2011-07-25 17:17:00 | ノンジャンル
23日、7時40分ホテル発。
いま道後はちょっとした「坂の上の雲」ブームにあやかろうと、
あちこちに関連したものを展示したり、幟を立てたりしている。
我々の止まったホテルでも、玄関ロビーには海軍、陸軍の制服が並ぶ。



どうしてもモッくんのイメージが消えないが…(^_-)-☆
しばらくバスで走り、46番札所浄瑠璃寺へ。
淨瑠璃寺は松山市にある8ヶ寺のその最初の札所である。
石段を上って境内へ入るとたくさんの樹木が生い茂っている。
この奥に本堂があり本堂前には、大きいソテツとイブキビャクシンの老樹が
茂り、このイブキビャクシンは天然記念物に指定されているという。


お参りを済ませて裏庭にある蓮池を見に行く。




朝、まだ早い時間なのにカメラを据えて写真を撮る人がいっぱい。
あさ露を含んだ蓮の蕾が可憐だ(*^_^*)

浄瑠璃寺から八坂寺までは歩いても20分ばかりの1本道。
なだらかな丘陵地で、松山市が眺められる。
八坂寺につくとすこし風変わりな山門である。



一見、鐘つき堂のような幅と奥行きが同じくらいの門だ。


山門の天井画がきれい。
この寺の境内には、地獄の道、極楽の道というのがあり、トンネル状に
続く道の壁面には極楽浄土の絵が描かれ、敷き石は丸くなだらかな小石。
次に続くのが地獄の絵巻が書かれた道で、足元には尖った石が敷かれている。



なんだか超現実的(^_-)-☆

民家が続く遍路道をまた20分くらい歩くと、別格9番文殊院に着く。
日が高くなり、だんだん歩くのもきつくなってくる。暑い暑いの連発だ!

このお寺は、四国霊場発祥の地といわれ、四国遍路の元祖とされる
衛門三郎の屋敷跡と伝えられている。

説話によるとある日、門前にみずぼらしい身なりで托鉢をしようとした
弘法大師を三郎が追いかえし、お大師様の持つ托鉢を地面に叩き付け、
鉢を8つに割ってしまった。

その後、三郎の家では 次々と8人の子供が亡くなり、それによって
自分の罪に気付いた三郎は、自分の行いを懺悔して、全てを捨て、
お大師様を追い求めて四国巡礼の旅に出る。

これが、四国遍路の始まりなのだそうだ。
境内の石像(?) とお大師様と衛門三郎夫妻の像…これはネットから拝借。




11時、少しバスで走り48番札所西林寺へ。
ここは前を流れる川より低く、橋を渡って石段を5、6段下がったところに
仁王門がある。橋の上から仁王門を撮る。


本堂、大師堂も建物が新しく、庭も庭師が入り手入れ中。



大師堂の横には小さな蓮池があり蓮の花がきれい。



バスで10分ほどで49番札所浄土寺着。


民家の続く道から眺めた山門と寺の森。
この寺の大師堂のたたずまいが素朴でとてもよい雰囲気だったので
振り返り振り返り何度も見る(^_-)-☆



11時40分ころお参りを済ませ寺を出て30分余りで昼食場所へ…
今日は松山鮓。松山には、昔から祝い事や訪問客をもてなす際に「ばら寿司」を
つける慣わしがあり、「瀬戸の小魚」をちりばめた「松山鮓」は、
その中でも最高のもてなしであったという。
明治25年、大学予備門の学生だった夏目漱石が初めて松山を訪れ、
正岡子規の家に立ち寄ったとき、母・八重がもてなしたのが「松山鮓」で、
和服姿にあぐらをかいて、ぞんざいな様子で箸を取る子規の前で、極めて
つつましやかに紳士的な態度の漱石は、洋服の膝を正しく折って正座し、
「松山鮓」を一粒もこぼさぬように行儀正しく食べていたそうで、
その時の様子は、同席していた高浜虚子が、後に「子規と漱石と私」という
書物の中で回想しており、あわせて司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」の中にも
その場面が出てくることから、後々に語り継がれているという。
 

いわゆる大阪のばら寿司とチラシを合わせたもの…(^_-)-☆

51番札所石手寺に1時到着。
近郊は道後温泉が近く観光地として賑わい、参道には出店が並んでにぎわうと
前もって聞いていたが、真夏のま昼ということであろうか、あっけないほど
人がいないので「今日はお休み…?」なんて言い出すほど。



門前は絵馬堂の回廊になっている。
四国霊場でも随一の寺宝・文化財を有する名刹と言われる。
お遍路創始者である衛門(えもん)三郎が生まれ変わったといわれる
河野息方(やすかた)が、このお寺ではじめて左の手を開き、
握っていた石を落としたといわれ、この伝説により寺の名前を石手寺に
改められたといわれている。
三重の塔は、 鎌倉末期建立の重要文化財、本瓦葺き屋根の和様の
高さ22m88cmの建造物



本堂、大師堂のお参りののち、洞窟・都卒天洞(とそつてんどう)へ入る。
四国八十八ヶ所霊場と四十九修行場が設けられている。


暗い祠の中を左手を壁に沿わせて歩くが、少し水も流れていて
足元が覚束ない。「あっ!痛い」友人が思わず声を上げた。
真ん中に立っているお地蔵様に脛をぶつけたらしい(^_-)-☆
奥の院まで行くが、廃墟のように荒れ果てて、お堂の中もなんだかカビ臭くて
早々に退散。ここまでは誰もお参りにも来ないみたいだ。

今回最後のお参り、50番札所、繁多寺へ2時前到着。


少し早いが、夕べのお勤めを兼ねて読経をし2時40分帰途に…
今回は別格も入れると11ヶ寺のお参りがあり、
何やら頭の中がややこしい(@_@。
間違えたことを書いているかもしれない事をお断りしておかなくては…

松山道、徳島道、明石海峡、第2神明、阪神高速と乗り継ぎ8時半すぎ梅田着。
途中トイレ休憩でパーキングエリアに寄るものの、中型バスでこの距離は
ほとほとしんどいことで~す(@_@;)

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (kuritan)
2011-07-25 22:54:46
mamaGONさん

 今日の行程だと石段がなくてよさそう。これならば私もなどと不謹慎なことを思いました。(信仰心ではなくどちらかというと観光・・・バチあたりな)

 蓮池は今真っ盛りなのね。

 それにしても浄瑠璃寺はなにか格式が感じられるわ。山門も立派、天井絵もすごいのね。

 ばら寿司とチラシ寿司に違いがあるって、私は知りませんでしたわ。どちらでもいい。食べたいなあ。
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Unknown (mamaGON)
2011-07-26 20:35:02
kuritanさん☆

信仰心より観光…罰あたりかもしれませんがmamaGONもそうですよ!
何より先ず楽しくなくっては続きませんものね~
この年までお経も何も知らずに来ましたが、みんなで声をそろえて読経をすると心がすっきりする気がします。
感謝しなくては…喜ばなくては…と今の境遇を振り返りしおらしくなりますが、帰宅すれば元の木阿弥…
バラ寿司とチラシ寿司…私も一緒だと思います。
松山鮓…なんて名がついているけれど我が家で作るお寿司じゃん!…と思いました(^_-)-☆
岡山の祭り寿司もよく似ています。
結局は人をもてなすご馳走だった…ということでしょう。
お寿司って美味しいよね~私も大好き(*^_^*)
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Unknown (シャドー)
2011-07-26 22:53:54
いっぱい見るところがあってずっと読んだけれど覚えられない位ですね。どれもどれも由緒があって、お遍路さん発祥のお寺のお話もすごい。八人の子供が次々と・・・残酷!弘法大師も罪作り!なんて言ったらいけないんでしょうね。!!!
蓮の花が美しいわね!
暑いときだけれど計画してくれるから行けるのよね。いいな!
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Unknown (mamaGON)
2011-07-27 20:41:04
シャドーさん☆

いっぱいあり過ぎるくらいあって早くまとめなければ…焦るほどでした!
弘法大師の説話にはこういう話が多いです。
きっと後生の人たちがお大師様の偉大さを伝えるために作った話でしょうが、因果応報がはっきりしすぎていて…またか~?と思うことも…(@_@。

今日は山歩きをしてきました。また書きます。
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