札幌市中心部、札幌市電の走る電車通りに面している神社です。
三吉神社 (みよしじんじゃ)
(札幌市中央区南1条西8丁目17)
ご由緒は、明治11年5月に秋田県出身の木村藤吉氏が故郷の三吉神社の分霊を豊平川河畔に
奉斎しましたが、「この地所は火除地に接するを以て除宮すべし殊に参詣人を許さず」との達しがあり
翌明治12年4月に渡島通り121番地(現在の中央区南1条西8丁目)(木村藤吉の所有地)に遷座し
明治42年に現在地に遷座しました。5月8日を例祭日と定めますが、この日は雨が多いので、大正
13年に例祭日が5月15日に変更されます。
ちなみに、一ヶ月後の6月15日は、北海道神宮の例祭日です。
古くから言われている事ですが、三吉神社の例祭日5月15日が晴れると、北海道神宮の例祭日である
6月15日は雨が降り、5月15日が雨なら6月15日は晴れると言われています。
御祭神は、大己貴神・少彦名神・藤原三吉神 配神は金刀比羅宮・天満宮です。
狛犬 (左・吽像 右・阿像)
社殿
能舞台
社殿の右隣りには 出世稲荷社
境内にあった碑です
御使御差遣記念碑
桂月菊花為千秋碑
左 三吉神社 旧社名碑 ・ 右 三吉大神
参拝に行った日は、ずいぶん前で5月12日。
お祭りの準備をしていた氏子さんと神主さんが境内で花見をしていたのですが・・・。
御朱印が・・・。
良い記念となりました。
撮影日 5月12日
白石区にある神社です。
川下八幡宮
(札幌市白石区川下2564)
明治23年にこの地の開拓者、神谷仁三郎氏・児玉文蔵氏が発起人となり創立されました。
昭和11年に行幸記念に拝殿を建立したそうですが、現在の社殿はその時のものではないようです。
御祭神は 八幡大神 です。 例祭は9月15日です。 書籍による
社殿
社務所がありますが、無人です。
神社が出来た当時は、下厚別八幡宮と呼ばれていました。当時、この辺りは下厚別と呼ばれていました。
また、ネットによりますと、正式名称は八幡宮だそうです。
神社の前に「八幡宮前」というバス停があります。
白石区東米里にある神社です。
東米里八幡神社
(札幌市白石区東米里2124)
明治26年に山田三之助氏が開拓者として入植する折、富山県宇佐八幡宮から勧請して祀ったのが
始まりだそうです。
御祭神は 八幡大神 比売大神 神功皇后 です。
鳥居
社務所がありますが、無人です。
社殿
境内には碑がひとつあります。
馬頭観世音碑
この神社のすぐそばには、旧札幌市立東米里小中学校がありました。
昭和24年12月27日に東米里小学校が創設され、翌年4月、信濃中学校東米里分校が併置されました。
昭和34年4月には中学校が独立して、小中併置校として卒業生を送り出してきましたが、平成23年3月末
に閉校しました。
米里地区の開拓は、明治23年(1890年)から米作りを中心に始められ、水田にちなんで『米里』と
名づけられそうです。
札幌市中央区にある神社です。
伏見稲荷神社
(札幌市中央区伏見2丁目2~17)
明治17年4月に、札幌神社の禰宜(ねぎ)であった、初代神主の野村茂氏が京都の伏見稲荷神社の
御分霊を奉戴し札幌区南5条東1丁目に奉斎しました。明治33年に琴似村十二軒(現在の中央区宮の森)
に遷座し、さらに明治40年に現在地に遷宮されました。
以来、この辺りはこの神社にちなみ、伏見と呼称されるようになりました。
御祭神は 倉稲魂命・大山祇命・大國主命・事代主命・天鈿女命 です。
例祭は 9月9日です。
鳥居の数は25
石段が続きます。
石段を登りきる手前に小さな石碑が
御遷座記念
裏には明治四十年二月と刻まれています。
石段を登りきると社殿と社務所があります
社殿の前には 願石
元々は、社務所のある場所に半分ぐらい顔を出して埋まっていたそうですが、ある人がこの石は
生き石だから大事にしなさいと言われたそうで、掘り出してしばらくは社殿の横に野ざらしで置かれ
ていたそうです。氏子さんがこの石に願掛けをしたところ成就したとの事で、いつしか願石と呼ばれ
社殿の前に屋根もかけられました。パワースポットとして人気があるそうです。
社殿
社殿の右側には
左から 明治天皇歌碑 荒魂社 大山祇神
明治天皇歌碑 (大正5年建立)
刻まれている文字は雨風で見えなくなっています。
資料によると 我国は神のすゑなり神まつる むかしのてぶり忘るなよ夢 と言う歌だそうです。
荒魂社
大山祇神
社務所の前には
藻岩白龍大神 (昭和29年5月建立)
昔はこの場所に湧水が出ていたそうです。龍神様です。
駐車場の脇に碑がたくさんあります
左から
上田一徳翁之碑 (明治43年5月建立・のちに境内に移設)
円山村の発展に尽力した人物です。
阿由葉宗三郎翁之像 (昭和9年9月建立 銅像部は金属供出され 昭和59年3月像が復活)
札幌の火災予防運動に尽力した人物です。
火防碑
火災予防組合連合会の活躍を称える碑
火産霊神 (ほむすび)
火の神様です
石狩調役 荒井金助之碑 (昭和元年12月建立)
箱館奉行所の石狩調役だった荒井金助、江戸時代末期に石狩や札幌の開拓に貢献した人物です。
御朱印
神主さんに御朱印を戴いた時に、境内の碑についてお聞きしたところ、とても丁寧に教えていただきました。
ありがとうございます。
地域の地名にもなった歴史ある神社です。
神社って地域の歴史も学べるとてもいい場所です。
撮影 4月30日 6月23日
琴似屯田兵の週番所(中隊本部)があった場所は現在、札幌市西区役所の前庭があります。
琴似本通を隔てた向かい側には、琴似神社があります。
神社の境内には、琴似屯田兵に関する碑が3つあります。
琴似屯田 授産所趾
現在、琴似神社のあった場所は、授産所と言うものがあって、養蚕を行っていたようです。
桑は屯田兵村の周囲の畑で生産したようです。
(中央区にある桑園地区は、明治9年に現在の山形県酒田地区から庄内藩士族が入植し、桑畑を作ったことから
地名の由来となったようです)
琴似兵村五十年記念塔跡
大正13年9月に、琴似屯田兵村開村50周年を記念した塔が建立されました。
高さ3.5m・直径45cm・弾丸をかたどった形状で、塔の先端には星章がついていました。
しかし、老朽化が進み、平成10年9月に解体されてしまいました。
忠魂碑
全国各地にも忠魂碑と呼ばれる碑があります。日清戦争・日露戦争に出征して戦死した方々の霊を祀っています。
琴似神社境内にある忠魂碑は、日露戦争で戦死した4人の方の霊を祀っています。
日露戦争当時、琴似屯田兵は後備役が満期になり、多くは新琴似兵村の人々で84人が出陣したそうです。
そして、琴似屯田兵にゆかりのある神社です。
琴似神社
(札幌市西区琴似1条7丁目1-30)
明治8年5月、琴似屯田兵に応募し琴似に移住した、仙台亘理藩の有志は旧藩祖の伊達藤五郎成実公の神霊を
武早智雄神として、現在の山の手2条1丁目・日登寺の境内に神祠を建立したのが始まりです。
明治20年に武早神社と改称しました。明治30年に現在の山の手5条1丁目に御遷座し、琴似神社と改称しました。
明治44年に、大国主大神を御増祀しました。大正4年に現在地に御遷座しました。昭和28年11月に現在の社殿が
建立されました。開道百年の昭和43年に天照大御神と豊受大神を御増祀されました。平成6年5月に、旧会津藩祖の
保科正之公の神霊の土津霊神を御増祀しました。
御祭神
境内は3500坪あり、先に紹介した屯田兵屋もあります。
第一鳥居
演舞場
第一鳥居の狛犬 昭和60年8月建立
吽形 阿形
第二鳥居
社殿前の狛犬 昭和33年5月建立
吽形 阿形
社殿
御朱印
境内社があります
安全神社
御祭神 天御中主大神
祀職の始祖の神々をお祀りしています
報徳神社
御祭神 大国魂神
氏子中の靖国の英霊と琴似屯田兵240柱をお祀りしています
御門山琴似天満宮
御祭神 菅原大神
菅原道真公を祀りしています
琴似屯田兵と共に、琴似の街の歴史を作ってきた神社です。