私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

ゼロ戦のことから

2018-06-26 | 車と乗り物、販売・整備・板金・保険
 先の大戦以前の我が国では、敵国語などと嫌い、あえて英名カタカナ用語を排除していたところは、色々な書物を見ても感じるところだ。例えば、現在のエンジンのことを発動機とか原動機と、そして船舶など大型のものを機関などと呼称していたのは多くの方が知るところだろう。しかし、昨今は、逆に欧米流用のカタカナ英語などが蔓延し過ぎ、我が国独自の風流さがなくなって、なんだかなーと思うのは私ばかりではないだろう。

 さて、クルマでもエンジン、トランスミション、その他一般工業製品において、型式(タイプ)を銘々するのは旧来から行われて来た。この内、統合プロダクション製品として、クルマであればネーミングが付けられ、一般人が呼び知るところとなるのだが。ここで、A6M5という型式を聞いて、それはゼロ戦の52型と判る方は相当に知る方だろう。

 何故こんなことを記すのかと云えば、Netで戦前の海軍航空機の型式(これを略符号と呼んだらしい)のことを知ったからだ。なお、ここで記すのは海軍だけで陸軍は、カタカナを使った違うもの。そこで、A6M5を例にすると、1文字目Aは艦上戦闘機を、2文字目は軍採用番号、3文字目はメーカーでMは三菱(中島N、川西K、愛知A)、4文字目が改修番号(バーション)を示すらしい。このゼロ戦ではA6M1(11型)~A6M8(54型)までバーションアップしているが、クルマでいうFMCはない。もっとも昨今のクルマもFMCといっても、エンジンは替えても車体基本骨格を異なるものにするというのは、通例2度のFMC毎と伝えられるが、それでも共用の内板骨格パネルは世代を超えて使い続けていることを伺い知る。ということで、英名カタカナを否定していた軍内部でも、アルファベットを使っていたという、建前と実際が異なるところは、今でも多くの事柄であり得ることだろう。

 そこで、先に記したA6M#のゼロ戦のことをちょっと記して見たい。本人はそれ程の軍事マニアでもヒコーキオタクのつもりもないが、特に古いものに感心を持つという程度だと思っているのだが・・・。そこで、端的な独断となるが、ゼロ戦は21型たるA6M2がもっとも完成された機能美たる機体だったと決めつけたい。それは、エンジン出力こそ、後の52型などより劣るが、排気の集合管処理だとか、翼端を折りたためて、空母に格納し易くしているとから感じるところだ。このゼロ戦は、それぞれの戦地部隊において、整備兵により不具合の修理が行われつつ戦いを挑んだのだ。しかし、あまりに愚劣な政治と軍上層部の指揮の中、とんでもない特攻というハチャメチャ命令で哀れな敗戦を迎えたのだった。

 ゼロ戦の発動機(エンジン)は中島・栄21型(二重星形14気筒)だが、点火栓(スパークプラグ)は二重点火(ツインスパーク)とか色々あって感心高く眺めて来た。これら中で、コックピット内には、油温と油圧のアナログメーターは当然だが、筒温計というのがあった様に聞いている。いわゆるシリンダー温度計だが、空冷故に必要で、おそらく100~200℃程度の範囲が適温となって、温度コントロールと手動式点火進角を合わせて行っていたと想像する。温度コントロールであるが、エンジンナセル(カバーリング)の後端が開閉式シャターで構成されており、通風量を変えてやることにより行っていたことが伺える。もちろん手動だ。以下写真は、山梨県河口湖近くにある原田コレクションで眺めたものだ。この原田コレクだが、毎年8月のみ開放される。今年は数年ぶりに訪ねたいと思うところだ。




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