私の思いと技術的覚え書き

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コンピューター技術の発展、その光と影

2013-01-08 | コラム
 20世紀末近くに発明されたコンピュータテクノロジーは、その後現在に至るまで益々の性能・機能向上と範囲拡大への発展を続けていることはご承知の通りです。特に、マイクロプロセッサー(MPU)が発明されて以後、その小型化により、現在ではあらゆるといっていいほどの電子機器に、制御用として組み込まれています。

 最近のクルマであれば、1台当たり数十から100に近いマイクロプロセッサーが組み込まれたECUが装着されている時代となりました。こんなコンピュータ時代のクルマになって、そのドイバビリティは向上し、衝突に対する積極的もしくは受動的安全性も向上されてはいますが、クルマによる交通事故が皆無となった訳でもないし、劇的に安全になった訳でもないのだと思えます。

 結局、コンピュータ技術がクルマにもたらしたのは、従来運転者に求められていた運転操作の技量だとか感覚を甘くしたに過ぎない様に思えてしまいます。このことを言い換えると、誰でも乗れるクルマを普及させたことで、運転者に求められる価値の低下を招いたとも感じられます。

 視点をクルマから世の総ての動きに拡大させてみると、同様のことが感じられます。インターネットなど世界的な通信網の発達と個別コンピュータの連携は、メガコンペテション(世界競争)を生み出しました。低コストと新市場を求め、投機マネーが瞬時に世界を流れ歩きます。その結果として、国内市場は疲弊しつつある様に思えてなりません。そして、なんでもかんでもコンピュータによる数値管理を摘要しようとするがあまり、従来社会が持っていた仁義だとか情といった人の感情に対する許容度を制限しつつある様に思えてならないのです。

 コンピュータ技術の発達で、携帯電話やスマホなどのモバイル機器や、デジタルテレビやデジタルカメラ等々、これらが誰でも便利に使える時代が来ました。医療関係の診断機器や治療技術もコンピュータ技術の発達のおかげで、より高精度になり、結果として平均寿命も延びている訳です。しかし、それで人々が幸せになって来たのかと問われれば、否という思いとなるでしょう。それば、年間自殺者の3万人越がこの10年続いているとか、心の病(精神疾患)で休業止むなくしている方々が増大してるなどの記事を見る都度思うからです。

 コンピュータ時代の最終的な目標は、まったく人間同様に機能し人に置き換えることのできるロボットであり、クルマで云えば目的地を指令すれば自動運転で走行する本当の自動車なんだろうと思えます。しかし、それが実現されたとき、人間の価値観は、さらにさらに低下するのであって、幸福に導かれることはあり得ないと思えてしまいます。



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