私の思いと技術的覚え書き

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【再掲】疑義事案との闘い(その4)

2021-10-21 | 賠償交渉事例の記録
【再掲】疑義事案との闘い(その4)
初稿2008-09-04
 モラルリスク事案との闘いについて、第4回目を記してみたい。

 保険金詐欺を前提としたモラルリスク事案には、アンダーグラウンド組織たる暴力団組織など反社組織の関わりの機会は、現在では昔よりも相当に少なくなって来ましたが、現在でも潜在的な案件はそれなりにあるものと感じている。今回は、これら反社組織との関わりの思い出として記してみたい。

 暴力団組織については、いわゆる暴対法(H3年)が制定されてから、確かに社会の表に表れる事例は減った。しかし、未だ暴力団組織は健在だし、これら組織が背後に潜むいわゆるフロント企業(企業舎弟)の存在事例を多く知られたことだろう。そんな中、私の活動ので触れ合うその世界の人々も少なくなったとは云え、皆無となった訳ではなかった。また、暴対法以前であれば相当の恫喝を受けたりしたこともあるが、現在では直接的な恫喝こそ受けやしないが、いわゆる無言の圧力を感じることは変わりはない。

 今から20年近く以前、私がアジャスターとしての活動を始めた頃だが、現在に比べれば暴力団組織が大手を振って事故案件に登場したものだった。地域的な特性もあるのだろうが、私の活動地では月に1件位は何らかの遭遇をして来た様に記憶する。これは、組織構成員が直接の当事者である場合や、友人もしくは知人と称する代理人としての関わって来た案件となる。この頃の思い出で、暴力団組織と修理工場の関わりについてだが、大体にこれら案件の車両が入庫するのは、特定の工場であることが多いものだった。

 そんな中、多数の保険会社が関わることになった、ある保険金詐欺事件については、修理工場経営者が暴力団組織員を刺し殺すという殺人事件までが起きたことが思い出される。想像するに、分け前で争いとなったのか、脅迫もしくは強要されて続けることの理不尽さ故に、その様な結末を迎えたのであろう。

 それと、暴力団組員のクルマが良く入庫する修理工場の記憶だが、そこには数十回以上も訪問したが、この工場の屋上にある経営者宅でコタツに入り、奥さんにお茶を入れてもらいながら、経営者のW氏に「何でこんな滅茶苦茶な見積を書くんだ」等と話したことが甦って来る。このW氏ですが、自らも結構にクルマ好きで、クルマ好きの若者(いわゆる走り家)の改造等を中心に営んでいた訳だが、何時の頃からかその世界のクルマばかりが入り浸る工場となってしまった訳様だ。結局、このW氏も奥さんと離縁し、工場も手放し、今は何処に居るのやら行方も知れないのだ。この様に暴力団との付き合いが、破滅に結び付いた修理工場というのは、全国各地に結構にあるのではないだろうか。

※次回以降は、私が体験した具体事例について記して行きたい。


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