私の思いと技術的覚え書き

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車体の防錆について

2018-01-20 | 車と乗り物、販売・整備・板金・保険
昔の記事だが、一部内容を追記して再掲する。

旧車をレストアする場合、一番問題になってくるのが車体の腐食程度だろう。メカニカル部品や内装などは、機械加工や俗に云う「内張り屋」さんでシート表皮などの張り替えにより、費用は要するが復元は比較的に容易だが、車体(主に鋼板)は、薄板(外板は0.85程度、内板の厚板部でも1.6(各mm)程度の比較的薄板鋼板で形作られ、錆の進行と共に孔食しボロボロとなってします。この錆を完全に除去しないまま塗装を施しても、1年もしないで内部から腐食が生じていまう。完璧なレストアを行うには、腐食鋼板を切断し、別途の新鋼板を同形状に仕上げて切り継ぎして仕上げていく作業が必要になるのであって、膨大な作業時間を要するのだ。

 私が初めてクルマに接し出したころ、野外保管のちょっと古いクルマ(といっても新車から5、6年ほど)では、接着式ウインドガラスのモールの脇や、トランクリッドのウェザーストリップの淵、ドア下部の内板との合わせ目付近、サイドシル(ロッカーアウターパネル)などなど、車体外面からでなく、内面からの発錆により塗膜がかさぶた状に盛り上がって来ているなんていう光景は日常茶飯事だった。それが、昭和50年代中旬の排ガス対策が完了した頃から、各メーカーでの様々な防錆対策が行われ、海辺の海産物屋さんなど、よほど過酷な環境でない限り、先の様な発錆の姿を見ることは少なくなった。

 ここでは、車体の防錆のため、各メーカーが取り入れてきた技法の一部を紹介してみる。
①ED(Eletric Deposition)塗装の発展
 この車体の妨錆については、50年ほど以前から、鋼板表面の裏表および袋状部の内側まで隈なく下塗り塗料を塗り込む、浸漬塗装法(ディッピング)が行われてきた。しかも、塗料と車体に電位差を設け、それにより塗料を車体に吸着させるという技法が採用されて来たのだ。当初はアニオン電着(塗料を-、ボデーを+)として行うED塗装であった。

 一方、この電着塗装前の行程では、素の鋼板ボデーを水洗した後、リン酸亜鉛溶液中に浸漬させ、鋼板表面にリン酸亜鉛の薄い被膜を作る化成皮膜処理行程がある。この化成皮膜処理だが、ごく薄いリン酸亜鉛の被膜による防錆効果もあるが、主目的は鋼板表面を酸により適度に荒すことで、次行程での塗膜の密着を良くする、「足付け研摩」というのが主目的の様だ。このこと知ってもらった前提で、ED塗装の電極印加がカチオン電着に変化した。つまり、浸漬塗料が+、ボデーが-というもので、電位差としては1万ボルトを超えるレベルのものであるが、その利点は前工程でのリン酸亜鉛被膜が析出してしまうのを防ぐ効果があると聞く。

 なお、浸漬塗料としては、アニオン時代から導電性のある水生塗料が使用されているのだが、これは想像となるがカチオン電着と共に、エポキシ樹脂を基材とした塗料樹脂に変化していると思われる。何れも熱硬化型で、塗料中に含まれる熱硬化剤により昇温により過熱硬化させる。また、近年の一部情報にから伺えることだが、ED塗装の塗料層を深くし、浸漬中のボデーを360度反転させつつ、移動せしめるライン化がなされている様である。これにより、袋状部などで従来エア混入などで塗料が入り込めなかった部位にも隈なく塗料を浸漬せしめるということだ。もうひとつ、現代では、大型バスの車体(12×2.5×3.8各m)でもカチオン電着塗装が施される様になったが、これはこの10年程前からと、乗用車に比べれば、およそ20年を超えて遅い採用となる。このことが、三菱ふそうなど、20年を超える車齢となる大型バスにおいて、車体腐食からサスペンションアームが脱落する不具合を生み出し、リコールにまで発展した大きな要因だと思っているのだ。

 それと、乗用車でもスズキで、サスペンション廻りの腐食から、同様のアーム脱落が生じるとしてリコールが告知されているが、これは常々同社の車体下部やサプライヤーに作らせている個別部品の防錆処理とスズキ社における部品管理が杜撰だということを表しているのだろう。つまり、サスペンションアームなど、別にキズ付き塗膜が剥がれようが、概観でなく構わないという管理体制があるから、同社のクルマの新車ですら、下回りを観察すると錆が目立つということになる。

②亜鉛メッキ鋼板の採用
 先のED塗装と同時期頃から、亜鉛メッキ鋼板が使われ出した。日本車より欧州車の方が早く、ポルシェなどでは亜鉛メッキ鋼板仕様になってから、10年間の錆保障(孔食限定)を提示していたと思う。
 なお、自動車ボデー用の亜鉛メッキ鋼板の採用に当たっては、プレス成形性や塗膜品質の悪化が生じ、それぞれ工法が改善されるなどして、実用化に至ったことが知られてる。この中で、塗膜品質の悪化だが、どうしても亜鉛メッキ鋼板の表面平滑度は悪くなりがちなことと、塗料の付着性も低下しがちなことがあったそうだ。そこで、自動車ボデーの外板となるような部位の亜鉛メッキ鋼板では、車体外部側の亜鉛メッキ層の上に鉄成分の多い亜鉛メッキ層を形成する複層構成とし、問題を解決しているそうだ。この鋼板の商品名だろうが「エクセライト鋼板」などと呼ぶ様だ。
 補足だが、自動車以外の橋梁や標識柱、水銀灯柱などの構成品は、各物品の製作後に亜鉛溶射(ようしゃ)という工法で、亜鉛コーティングを行っている。この溶射とは、亜鉛に限らないが、溶射物を過熱溶解もしくは軟化させ、空気圧などにより射出して対象物へのコーティングを行う、吹き付け塗装に近い原理の工法となる。

③ボデー構造面の考慮
 先に記した如く、旧車において発錆するのは、水掃けの悪い部位である。従って、構造面を見直し、適当な形状にしたり、排水用のホールを持たせたりと構造面での考慮がなされる様になった。

④妨錆ワックスの塗布
 現代車においても、特に水掃けの悪く長く水が滞留し易い箇所(例えばボンネット前単とかドア内部の下部)には、適宜防錆ワックス(蝋)の塗布が行われている。今や旧車となるがゴルフ1など、大量の防錆ワックス(ホットワックス処理)が行われており、フロントフェンダーの内面だとかフロントサイドフレームの内面に大量に注入されていた。ゴルフ1のフロントフェンダーはボルト固定であるが、すべてのボルトを外しても、フェンダーが変形しそうになるまで力を加えても剥がれないなんていう経験をした方もいるのではないだろうか。また、フレーム修正において、サイドフレームの座靴変形を直そうと過熱すると、液化したワックスが発火すると共に、大量に流れ落ちるという経験をした板金屋さんもいると思う。

⑤艤装部品の取り付け考慮
 フロントフェンダーライナー(インナーフェンダー)の装着は、今や極普通のことだ。しかし、旧車では、フロントドア側への泥水進入を防ぐための極小型のスプラッシュシールドだけで処理されていた。従って、フェンダーエプロンやフロントサポート(ランプサポート)などの内部骨格への飛び石による塗膜チッピングからの発錆も多かったが、これらは大幅に激減した。そして、今や、後部にもライナーが装着されるクルマも多くなっているが、これは防錆面もあるが、雨中での清音効果もあるのかもしれない。
 その他、車体内外面へのモールディングや艤装品の取り付けについても、従来は鋼板面に直接スクリュー(いわゆる鉄板ビス)を無造作に使用していたが、現代車においては、中間に樹脂グロメットを介在させたりして、塗膜を破壊しない手法が取られると共に、両面テープなどによる接着式が大幅に増えている。

参考
 
電着塗装誕生から50年のこと
 元ホンダの塗装関係の技術者である田辺幸男様という方のHP(下記リンク)を紹介する。
 クルマの防錆性能に極めて重要となる車体の下塗り塗装に採用されている電着塗装(EDコート:electrodeposition )について、詳細に記述されており参考となる内容だ。。電着塗装とは、車体全体を水溶性塗料液に浸漬して、電位差によって塗料を袋状の車体構造の隅々まで付着させ塗膜を形成するという工法となる。田辺氏によれば、この電着塗装は、米国フォード社により50年前に発明されたとのことだ。そして日本での採用から、45年(執筆時点)になるとのことだ。
 電着塗装は当初のアニオン電着(被塗物がプラスで電極がマイナス)から、カチオン電着(被塗物がマイナスで電極がプラス)に変更されると共に、塗料自体もエポキシ樹脂を主剤としたものとなり、防錆性能も大幅に向上して現在に至っている。思い起こせば、1977年当時に触れあった新車は、現在に比べると大きく防錆性能が劣っていた記憶が甦える。そして、このちょっと後にアニオン電着からカチオン電着に変更され、従来より大幅に防錆性能は向上したのが実感される。同HPには、これら電着塗装にまつわる歴史や、技術的内容が実に詳細に記されている。
 
田辺幸男 自動車塗装の自分史とSL写真展

追記
 元ホンダの塗装技術者である田辺幸男様のHPには、電着塗装のことの他に、「自分史への試み」として、ホンダでの30年の塗装技術者としての膨大な記述がある。この内容の総ては私も目を通し切れてはいないが、以前私のブログで記述したホンダ車が初採用したサイドパネル一体構造の採用経緯のことが記されている。この初採用車は、私はホンダZだと思っていたが、初採用車はホンダ1300クーペ(1970年2月)であることが判明した。

 このサイドパネル一体構造は、ルーフパネルとの接合を、ルーフサイド部の凹部で行い接合部をモールディングでカバーリングする構造(田辺様曰くモヒカン構造)だ。ホンダでのこの採用理由は、本田宗一郎氏からの「半田付け作業を止めろ」という指令により開発されたものだと知れた。従来のクルマはクォータパネル(リヤフェンダ)とルーフの継ぎ目を半田盛り成形で仕上げていたが、このサイドパネル一体構造で、半田仕上げが不要となったのだ。従前にも記したが、今やこの構造は、世界中の乗用車でデファクトスタンダードとなる構造であり、正にボデー構造の革新たるものだ。田辺様とのEメールのやり取りで、田辺様からの返信にも記されていましたが、正に隠れた本田宗一郎氏のもの作りの真骨頂であると感じられる。

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