「うぃんぐす」

技術的にはヘタクソだけど、音楽好きの「うぃんぐす」のブログ

平穏

2012-10-14 | MilkCocoa


トリミング前のCocoa。あっちこっち毛がピンピン出ていて情けない状況ですが,こういう顔はいいよなあ。

一体何を考えながら寝ているんでしょう?

たぶん食べものだとかMilkの様子だとか,そんなレベル。難しいことは絶対考えてない。

な~んにも考えてないかもしれないし。そっちの方が可能性大です。


Akkii君からBBQのお知らせが届きました。

まだ正式に返事してないんだけど,残念ながらその日に東京に行くのは無理っぽい。

また誘って下さい。(Take)

2012-10-12 | どこかの街


神社にお参りすると,必ず千社札や額を確認します。


関東圏内の神社に奉納されているお札には,東京都内の旧火消し関係,講中の町名や名前が多いんですね。東京府もある。


いつも「東都 扇子田」,「小岩 巽」,「東都 五分一」,「立石 本田原町」,「横浜 杉山町」など,自分に関係ある地名町名を探すのですが,残念ながら未だに出会えずにいます。

纏や幟のデザインが粋だね。(Take)


ここへ帰る

2012-10-10 | 小岩
  
寅さんが実家に帰るシーンの多くは江戸川土手→帝釈天参道のロケですが,反対側,京成柴又駅から参道に向かうコースもあります。

駅から参道に向かう途中,「神明会」と書かれた門(看板?)の下を通ってバス通りを渡る,あのバス通りが柴又街道です。

自分が小学生になる以前,あの道を柴又から小岩方面に向かっていくと,国道14号線千葉街道の所で行き止まりになっていました。

そこに大きな農家があり,その先に舗装されていない柴又街道の続きがあり,更に南下すると小岩二中の先,高射砲陣地の脇を通って興農用水で行き止まりになっていました。

家がこの道沿いだったので,未舗装だった頃の柴又街道のことをよく覚えています。

その未舗装道路にいずれバスが通るようになる,という話は,祖母が本所吾妻橋から小岩に移り住んだ昭和初期からあったようですが,自分を含めて沿道の住人たちは「まさかこんなでこぼこ道にバスは無理だろ」みたいに思っていました。

しかし高校一年の春,正式に柴又街道の拡幅が決まり,沿道の家は部分的に改築したり,よそへ引っ越したり。

当時の我が家は,「いずれバスが通る・いずれ拡幅される」という昭和初期の都市伝説を祖母が見込んで建ててあったので,道から3m位は庭になっていたのだけれど,更に家側にまで道が広がることになり,急遽家を壊すこととなりました。

家の解体を業者に頼んだのではなく,当時47歳の父と高二の自分と中二の弟の3人だけで,建坪60坪ほどの平屋を完全に壊して更地にしました。嘘みたいな話ですがほんとです。

家を自分の手で壊したことよりも,あのでこぼこ道に今は違和感なくバスが走ってる,そっちの方が,往時を知る自分には嘘みたいな感じがします。(Take)






空の秋

2012-10-08 | 日々


夏場の雄大積乱雲も好きだけれど,秋口に突然現れる炎のような,噴煙のような雲も好きです。

この時は庭から撮りました。

後になって「もうちょっと景色のでかい場所で撮ればよかったな。」と,後悔するところなんかは,我ながら全然進歩が感じられません。

反省。(Take)


ラー油の秋

2012-10-06 | どこかの街


ラー油ってトウガラシが浮き沈みしてたりして一見凶暴な色合いですが,じっくり見るときれいです。

夏場は暑さのせいでちょっと敬遠され気味,分の悪かったラー油。でも涼しくなるにつれ少しずつ存在感を増してきます。


自分は「ラー油ちょっと入れ」派。女房は「かなり入れ」派。

入れすぎると,なんでも「ラー油味」になってしまうんじゃないかと思うんですが,こういうのは人それぞれ,好みの問題なので,「なんでそんなに入れるの?」という質問はしないことにしています。(Take)