かつて母方の伯父が伏見に住んでいたので,小さい頃はその伯父に連れられて,京都の街中を何度もぶらぶら歩きました。
いわゆる名所旧跡を見に行く,観に行くという旅とは対極にある,歩いて何かに出会うことが目的の旅。ひたすら歩く,たまに嵐電等に乗る,また歩く。
「『檸檬』と書いてなんと読む。」と伯父から聞かれ,「わからない。」と答えた自分に,「お前もいずれ読むだろうから,この題名の本に出会ったらこの場所を思い出せよ。」と言われたのが京都○善だったり,その初版本が父の蔵書の中にあったり。
小学校4年生時の,最初の京都彷徨は鮮烈な思い出となって現在の自分にも未だに大きな影響を与えています。
路地とか辻とか樹とか言葉とか,古都の空気感は東京とは随分違っていたなあ。
そういえば自分の名前はこの伯父から一字を頂いたもの,弟の名前は伯父の弟の一字を頂いたものだったということを,今思い出しました。(Take)