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望月山荘にずっと置きっぱなしになっていたハスラー50に乗って,長野県北佐久郡望月町望月原から小岩まで戻ってきたのは1977年早春,ようやく2浪から解放された直後でした。
体操部OB会で栂池(白馬?)までスキー合宿に行った帰り,一人だけ小淵沢で中央本線を降りて小海線経由,たぶん岩村田下車バスで望月へ。
翌日中山道を約200キロ走って小岩へ。
その後,小岩の家に置いてあったハスラー50に最初に声をかけてくれたのは,Hiropon君の弟さんでした。「乗らないんなら適正価格で譲ってもらえませんか?」
父との約束で「乗らない」ことになっていたハスラーでしたが,当時まだ手放す気はなかったので,その話は先に進むことなく終わりました。
でも「乗らない」バイクは傷むのが早い。このままではかわいそうだな,と思っていた時に,「俺に売ってくれ!」と声をかけてくれたのは,ほかならぬAkkii君でした。
その後彼はハスラー50,CB125,ホークⅡ400と順調に乗り継ぎ(記憶違いがあったらごめんなさい),ある日FZR1000というとんでもないバイクを,なんと菅原橋の自宅からTake実家まで押してきたのでありました。新小岩小岩間の約半分の距離,しかも途中には小岩大橋の登り坂がある。
「逆輸入」という言葉がまだ浸透する前の時代,Akkii君はそれをしてしまったのです。しかもですね,「まだ免許がないから押して見せに来た。」だって
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大型二輪免許が教習所で取れなかった時代,難関だった大型免許をどうしても取りたい,何が何でも大型に乗りたいから先にバイクを買ってしまう,という考え方はいかにも彼らしい
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そういう訳で,ハスラー50にしっかり乗ってくれたのはAkkii君なのです。
写真が残っていないとずっと思っていたハスラー50だけれど,ハンドル右側の写真が1枚だけありました。
そうそう,こういうグリップだったなあ。これを握って上野から小岩まで歩いて押してきたんだ。望月から小岩まで走ったんだ。
バックは望月山荘,ミラーに映っているのは誰だろう。(Take)
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なにかふとした拍子に建物などの構造物が「顔」に見えることがあります。
そうして一旦「顔」としてそれを認識してしまうと,常に顔に見えてしまう。そういうことってありませんか。
Vmaxのエンジン部分も,「向かって右になびく銀色の髪,黒目のない銀色の丸い目とその下の四角い口」に,どうしても見えてしまっていました。
今はもう,知らない誰かにどこかで乗られている2003Vmax。こうして改めて写真を見ても,やっぱりエンジンが顔に見えてしまうのです。(エンジンの大きさに比べていかにもフレームが細いよなあ。急加速時にヨレる。それもまた味でした。)
街中にも探せばいっぱい「顔」がありそうです。
でもそればかり意識していると街歩きが疲れるので,意識的に「顔」を探すことはしないよう心掛けています。(Take)
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引っ越し荷物と一緒に4トン車に積載されて望月山荘に移送されることになったハスラー50は,1973年5月から1977年冬までほとんど乗られない状態で山荘室内保管されていました。
何しろ50㏄のバイクだから,気軽に家の中に持ち上げられる,保管できる。Vmaxでは無理ですね
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で,1977年2月,2年間の浪人生活を無事?終えた自分は,体操部OB会スキー合宿(なんで体操部がスキーなんだろう?)の帰路,小淵沢でみんなと別れ,小海線経由で望月山荘に向かったわけです。
「浪人生活から解放されたら,ハスラーを自宅に連れて来よう。」というのが夢だったので。
それまでほとんど乗ってやれなかったハスラーだけれど,キック30発くらいで幸いエンジンがかかりました。
そうして望月→百沢→塩名田→岩村田→軽井沢→碓氷峠旧道→横川…東京まで走って来ました。
ほぼ初心者状態での初ツーリングは,中山道望月宿から板橋・北千住・金町→小岩。
キャラメルブロックのタイヤで,50ccで,バイク経験ほぼゼロで,この距離をこの季節に走るのは今思うと無謀・暴挙だけれど,やっぱり20歳という若さだとこういうことができちゃうんだなあ。
熊谷あたりで一旦力尽き,美女木あたりで「もうだめだ」と思い,それでもなんとか走り切って小岩に到着した頃には午前0時を過ぎて日付が変わっていました。
「土手以外では乗らない。」という,父との約束があったから,自宅まで乗ってきても置いておく以外方法がない。
そんな中,意外な人がこのハスラーを通してバイクの道に入っていくのでした。
この話はあと1回くらい続くかもしれません。(Take)
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ハスラーというのは某二輪車メーカーが生産していたオフロード車(当時は「トレール」とか言ってたっけ)で,排気量の小さい順に50,90,125,185(175だったかも),250,400ccの単気筒2stエンジンを搭載していました。タイヤはキャラメルブロック。
この大小ハスラーたちは別社のHT~RTのラインナップのような「デザイン的な統一感」があるシリーズとは正反対で,アップマフラーとダウンマフラーが混在していました。
自分としては400のデザインが好みでしたが,如何せん「原付」ですから50cc以外の選択肢はない。
上野の中古車店から小岩まで押してきて,すぐに長野県北佐久郡に送られてしまったハスラー50ですが,このバイク,後に結構いろんなきっかけを生んでくれたのでした。
まず東大島BUNさんが,ハスラー50のⅡ型を購入。たぶん新車だった。
その後すぐ,砂町KUNI君がAT125を購入。DT125になる前のAT。
KUNI君の凄いところは,大型二輪免許が「聖域」となる直前,滑り込みで自動二輪免許と取得したということで,我々その他大勢は大変悔しい思いを味わったものです。
最終的に自分も50歳で大型取ったから,まあそれはそれでよしとする。
その後,このほとんど乗られることのなかった(東京にいて長野のバイクは乗れない
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