プーチンロシアはウクライーナから出て行け! Ⅶ
2022年03月06日(日)
私は、今、内なる敵との戦いの最中にあります。
「敵」とは、痛みを伴うことを忌避しようという、私自身の気持ちであります。
ちょっと、ややこしいですが、要するに、ロシアに経済制裁するためには、私も痛みを伴う訳であります。どこまで、その痛みに耐えることができるか、呻吟しているのであります。
政治家の人達が、プーチンに対して「言語同断」と口を揃えて非難するのでありますが、プーチンにいくら言っても、カエルの面にションベンであります。
国民に対して、説得力を持って痛みを耐えることを訴える必要があり、それができないのであれば、日本として有効な経済制裁なんてできないでしょ!
というか、政府が何をしようが、市民の方がむしろ主体となって、行動を起す必要があるのであります。
政府には、ロシア製品を炙り出していただきたい。小麦がどれだけ何を使われているのか? 天然ガスはどうか?
原油もあるかも知れません。他にも鉱物資源等もあるでしょう。私は、「忌避しよう」という気持ちと戦いながら、ロシア製品の不買を行います。
市民ひとり一人の力は、鴻毛にもなりませんが、集まると最強最大の力になるのであります。どれだけの市民を結集することができるか、これはもう一つの戦いであります。
ちょっと、話はそれるかもしれませんが、ロシア国民が痛みを感じるような制裁はするベキでないと主張している方がいますが、そんなことはあり得ません。経済制裁の目的は、正にロシア国民に対する制裁であります。プーチンを大統領として選んだ、プーチンとの連帯責任を問う必要はあるのであります。もっとも、ロシア国民を敵視するってことではありませんよ。プーチンを大統領の職から追い出すことができるのは、ロシア国民しなかないのであります。経済制裁は、その最も有効なメッセージであります。
02月23日の朝日新聞です。
全く脈絡はありませんが・・、
末尾の「私は、体験や実感が刻み込まれた日本国憲法に信頼している。」ですが、私は、この「日本国憲法に信頼している」の「に」を見て、この皮肉には脱帽いたしましたです。
本文中、石原慎太郎氏が、「平和を愛する諸国民の公正と正義に信頼して」の「に」は日本語として間違いであり・・、とあるのですが、
高橋さんは、そんなことは、全く問題ないですよ、ということを皮肉を込めて言いたかったのだと思います。
助詞が不適当な法文って、多分、山のようにあると思うんです。そんなことはどうでも良いとは言いませんが、解釈で補えば、実質的な不都合なんてありません。