金沢→東京日記

2005年7月に金沢の会社を退職して、翌月から東京住まいになりました。退職後~再就職後の毎日を書いていきます。

なんという表現がいいのか、わからないとき

2006-01-22 21:35:55 | Weblog
今朝、お米をとぎながら、ふっと思い出してしまったことがあった 

時々、印象的な画面が、いきなりフッと思い出されて、あとになってそれについて
考えることがある。
今日も、そういった感じだった 
ただ、それについて、かわいそうだとか、そういう哀れみ感情ではなく、
なぜそういうことになるのかという、そういう考えばかりが浮かぶ。

今日、浮かんだのは、もう1年くらい前のこと。

その日、会社の何かの飲み会で、飲んだ後に金沢の老舗の喫茶店「オーレ」に
何人かの人と行った 
そこで、普通に話したりオーダーしたものを飲んだりしていたが、
突然、店内に異臭(この場合、くさい臭い、だった。)がただよい始めた。

そして、どういうわけか、私はこういう時に、勘が働く 
何がそのにおいの原因かは、すぐにわかった。
ただ、それは自分が実際に見た中では、特殊な光景だった。
店内に漂うにおいの原因は、3人のホームレスだった。
そして、その3人は、母親とおぼしき1人と、2人の子どもだった。

子どもと見られる子達は、既に、性別は外見から判別し難かった。
髪は伸び放題、裸足で靴は穴があいたスニーカー、洋服は、(これは3人とも
そうだったのだが)その時期にしてはあまりにも厚着。
3人とも、大きなバッグを持ち、かなり疲れきっていた。

まわりをキョロキュロ見渡し、席に着くと(その席は、私から見てちょうど斜め右の
席で、私は失礼ながら3人の様子を時々見ていた。)
子ども達はくたびれきった様子でソファーに沈んだ。
母親とおぼしき女性は、ずっと、絶え間なく、あたりをびくびくした感じで見回していた。

周りは、「何か、変なにおいがする」「くさい」と言い始めた。
他のお客達も、あたりをキョロキョロして、何だろう?といった表情。
しかし、自分は、彼らだよ、とはその場で言えなかった。
彼らからではないか、と言えば、そのザワザワ(少なくとも自分たちのテーブルの)は
収まったかもしれない。
でも、言えるはずもなかった。

すぐに、いつもは見かけない支配人らしき男性がどこからともなくやってきた。
私は、その様子を、じっと見ていた。
彼は、ボーイに何かを耳打ちした。
ほどなく、ボーイはオレンジジュースを1杯ずつ、彼らの前に置いた。
男性は、紙とペンを、母親らしき人の前に置いた。
そして、「ここだよ」という風にその紙の一部を指差した。
彼女は、ゆっくり(目が悪いのか、字がよく読めないのかはわからなかった。)
文字を書き始めたようだった。
そして、それを書き終わるのを待って、男性は紙を受け取って、立ち去った。

その後、3人は、少なくとも私が帰るまでは、目の前に置かれた
オレンジジュースに全く手をつけなかった。
ただ、キョロキョロと、時にはびくびくと、周囲を見回していた。

一連の出来事は、これで終わり。
その後、おしゃべりは解散となり、私も帰った。


今の、しかも金沢でも、こういうことはある。
気付かなければ、何も無かったと同じこと。
でも、ここから思うことはたくさんある。
彼らは、一体、どこから来たんだろう。
日付もかわるような時間に、なぜあの2人の子どもがあの状態であの場に
いたのか。
学校は、どうして行けないのか。
あのオレンジジュースに、なぜ手がつけられないのか。

あの紙は、おそらく誓約書で、
多分、内容は、もう二度とここには来ない、というものだろうと思う。
オーレの、あの男性の対応は、
あぁ、こういう光景は珍しいものではないのだ
ということを思い知らせた。
しかし、まだ若い女性と子どもの2人というのは考えさせられた。
今まで、彼らが生きてきた人生が、一体、どんなものなのかと。

自分のようなのが、そんなことを考えても、彼らの得にもならない。
でも、日本て、いろんなシステムって、どうなっていたんだっけ??
と思わずにはいられなかった 
数々の、救済システムがある、援助がある、助けがある、
でも、それが届かない、あっても無駄な人たちは、たくさんいる。

一説によると、日本はこれから上下二分層化が進むそうだ。
最近出版された、どこかの新書の「下流社会」という本は、下流ということについて
かなりデータを元に考察しているらしく、私もR25の本の紹介ページで興味を
持っていたので本屋で二度ほど買おうか迷ってページをめくった
(でも、買わなかった)。

下流という言い方が適切かどうかは別にして、
日本がどういう国か、これからどうなるかということは、
自分たちにダイレクトに影響があるし、
国がどうなろうと、鮭の遡上のように流れをかいくぐって生きるのなら
それなりの力が必要だと思う。

なお・・個人的には、下流だろうが中流だろうが、人の区分けなど気にせずに
自分たちの幸せ度数が高ければいいと思う。
そういったことを考えるときに、特にヨーロッパ圏の一部の国々の
ワーク・ライフバランスの考察と施策の数々は、かなり参考になると思っている。


あああ。文章が長くて、読みにくくて、ごめんなさい 

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2 コメント

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Unknown (たもん)
2006-01-22 23:54:16
私は学生時代に新宿の喫茶店でアルバイトしていました。場所がらホームレスの人も来ていたことを思い出し、コメントしました。





いま、新宿では1週間に4~5人の人が凍死しているそうです。その発言をしたのが区役所のひと。知ってるならどうにかしろと思いますが、現実問題、区だけではどうにもできないのでしょうか。

街で『ザ ビックイシュー』(訳:大問題)を売る人を見ると、国がもっとこういう制度を手助けをしていくべきだと思います。

あと、Willbethere_2005さんがみたその親子への支援も。

何かしらの支援はあると思うけど、知っている人だけが特をする制度があってはいけないと思います。『知らなきゃ調べればいいじゃん』なんて事では無く、必要な人に必要な情報がいく。そんな国にしていくべきです。有効な手段を探すのは大変なことだと思うけど。
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そうですよね (willbethere_2005)
2006-01-23 20:52:02
1週間で4,5人が凍死、というのは恥ずかしながら初めて知りました。確かに、厚着したって耐えられるものでないですよね、体が燃焼する分も、食べていないだろうから。



みんながみんな、そうではないけれど、

世の中には、驚くほど無知であったり、避けようもない災難に遭う人が確かにいます。私のかつてのバイト先の先輩も、名前や住所を隠しながら生活しています。彼女は犯罪者ではないけれど、自分と新しい家族を守るために、隠れて生きていました。だから、多少ひどい目にあっても耐えて働くしかない。



みんなが大満足のいくハッピーなことだけの世界なんてありえないかもしれないけど、ハッピーが少しずつ分け合えたらいいな、と思う。
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