続き:愛馬5頭(エディフィス/1勝、イノセント/1勝、パスワード/1勝、チャプター/2勝、リベラル/未勝利)
3勝を記録した2005年も終わりを告げ、新たに2006年が幕を開けた。稼動馬全5頭中4頭が既に勝利を記録しており、飛躍の年になるのではないかと期待に胸膨らむ2006年元旦。そんな想いが見事に裏切られようとは知る由もなかった。
まず、最初に登場したのはシルクイノセント。1勝した後、なかなか思うような成績を挙げられずにいた。陣営も迷走し、芝・ダート共に使っていった。しかし、成績をみても明らかに芝のほうが良いように思えた。ダートはここまで2戦するも殿とブービー。よほど展開が向かない限り入着は厳しいだろうと考えるのが自然である。そして2006年最初のレースはまたしてもダート。陣営の考えが見えないままレースを迎える。鞍上にはシルクHC内では評判が今一つの武英騎手。ここ数戦乗り続けているのだが、この辺りのことを考えても陣営がイノセントに期待しているとはとても思えなかった。またしても殿か・・・。そんな心配をするに至ったのだが、イノセントは頑張った。こんな評価の馬ではないのだが、単勝140倍、13番人気の低評価。その評価をイノセント自身で崩したのだ。舞台は京都ダ1200m。好位からレースを進め、上位には離されたものの、苦手ダート競走で6着と踏ん張った。これで少しではあるが、目処が立った。芝のレースだともっと上位に来れる筈。そう思った。しかし、下された判断は引退。引退?寝耳に水とはこのことか!怒りにも似た感情に包み込まれる。怪我をしたわけではなく、明らかに一方的判断と解釈せざるを得ない状況であった。噂の域に過ぎないが、この厩舎とシルクHCの関係悪化が当時まことしやかにささやかれていた。噂を信じたわけではないが、なるほどそう考えるとある意味納得した。というかイノセントがこの厩舎に行ったことが全てだったと考えるより他なかった。
イノセントが残してくれたものは大きかった。募集馬検討をする際、初めてインスピレーションではなく、一つ一つのファクターを比較し、出資した最初の馬であった。今までは割りとパンフレットに写る馬体が好みであるかないか?を重要視していた。正直イノセントについてはその写真では到底出資しないであろう馬体であり、どこが良いのかと問われても答えることができない馬でもあった。勝ち上がるためにはどのように出資馬検討をすべきか模索していた当時の私にとってはいきなり結果を出してくれた。この出資馬検討(イノセント方式)は馬選びの礎となったことは言うまでもない。
その後のイノセントは地方に移籍し1勝を挙げるものの、元々ダートが苦手だったこともあり、成績を残せず引退となる。
このイノセント引退を象徴するかのように、この年は全く振るわなかった。期待していたパスワードは長期休養でこの年12月に1走するも6着。前年にはG1にも登録したチャプターは屈健炎を発症し、長期休養で出走0。前年園田競馬で4戦4勝を引っさげ中央でも1勝2着1回と好走したエディフィスも怪我の影響で本来の力を発揮することができず、僅か3戦(3着外)で引退。この時点で既に2頭が引退したことになる。期待の3歳リベラルも8戦するが、未勝利戦では勝つことができず、入障するも結果が出ず。新たに出資したイグニション(後述)も2歳としては5戦を消化するも入着することなく終わった。
輝けるはずだった2006年は僅か18戦0勝(5着1回)という散々な結果に終わることとなる。
さて、愛馬物語28でも触れているが、2004年産駒募集馬検討は困難を極めた。第一印象として出資候補に挙げていたシルクミサイルがノド鳴りで候補から外れ、その他の募集馬でもピンとくる馬がいなかった。イノセント方式で選定をしても、いい馬が現れることはなく、時が過ぎていく。そんな中、1頭の出資馬が徐々に頭角を現す。父スエヒロコマンダー 母イナズマヒバナ(byミルフォード) なんて渋い血統であろうか。まずは血統に目がいく。次に馬体、別段取り立てるところはないのであるが、募集パンフの写真からは見違えるように成長した号外の写真はこの馬の成長力を感じさせた。新種牡馬には手を出さないつもりであったが、比較的安価だったこと、他に候補の募集馬がいなかったことで、出資を決めることとなった。そして、前述のように2歳から走ったのだが、全くお話にならない状態で2歳戦を終了することになる。
毎年のことながら、当然この年も次年度の募集馬パンフが夏に届いた。第一印象は父コマンダーインチーフ 母ヒガシオリビア(by サクラユタカオー)。以前所属していたJOY(現セゾン)でも母ヒガシオリビアの産駒が募集されたことがある。名前はラスカシュロス。未勝利で終わったが、なぜかとても気になる存在であったことも理由に挙げられる。この年の募集馬パンフは血統表(ブラックタイプ)が全募集馬で割愛された箇所があり、未勝利だった兄姉の名前は記載されていない。募集馬が何番目に生まれたのかも分からないものであった。検討には兄姉の成績や、生まれた順番も私にとっては一つのファクターとなるもので、これが割愛されたのだからたまらない。ネットで色々と調べる羽目になった。同じように感じた会員さんも多かったようで、苦情があったのか、その後のシルクでは意図的な割愛はあまり行われていない。
第一印象で決めていたものの、出資には至らず、ゆっくりと検討することにした。後のシルクイーグルである。
散々な結果に終わった2006年。例年ならもっと記述することも多く、数ヶ月ごとに分割しながらこの物語を仕上げていくのだが、この年に限っては記述するほどのこともあまりないため、駆け足で振り返ることとした。
さて、2007年はどんな年になるのであろうか?
続く:愛馬4頭(パスワード/1勝、チャプター/2勝、リベラル/未勝利、イグニション/未勝利)
3勝を記録した2005年も終わりを告げ、新たに2006年が幕を開けた。稼動馬全5頭中4頭が既に勝利を記録しており、飛躍の年になるのではないかと期待に胸膨らむ2006年元旦。そんな想いが見事に裏切られようとは知る由もなかった。
まず、最初に登場したのはシルクイノセント。1勝した後、なかなか思うような成績を挙げられずにいた。陣営も迷走し、芝・ダート共に使っていった。しかし、成績をみても明らかに芝のほうが良いように思えた。ダートはここまで2戦するも殿とブービー。よほど展開が向かない限り入着は厳しいだろうと考えるのが自然である。そして2006年最初のレースはまたしてもダート。陣営の考えが見えないままレースを迎える。鞍上にはシルクHC内では評判が今一つの武英騎手。ここ数戦乗り続けているのだが、この辺りのことを考えても陣営がイノセントに期待しているとはとても思えなかった。またしても殿か・・・。そんな心配をするに至ったのだが、イノセントは頑張った。こんな評価の馬ではないのだが、単勝140倍、13番人気の低評価。その評価をイノセント自身で崩したのだ。舞台は京都ダ1200m。好位からレースを進め、上位には離されたものの、苦手ダート競走で6着と踏ん張った。これで少しではあるが、目処が立った。芝のレースだともっと上位に来れる筈。そう思った。しかし、下された判断は引退。引退?寝耳に水とはこのことか!怒りにも似た感情に包み込まれる。怪我をしたわけではなく、明らかに一方的判断と解釈せざるを得ない状況であった。噂の域に過ぎないが、この厩舎とシルクHCの関係悪化が当時まことしやかにささやかれていた。噂を信じたわけではないが、なるほどそう考えるとある意味納得した。というかイノセントがこの厩舎に行ったことが全てだったと考えるより他なかった。
イノセントが残してくれたものは大きかった。募集馬検討をする際、初めてインスピレーションではなく、一つ一つのファクターを比較し、出資した最初の馬であった。今までは割りとパンフレットに写る馬体が好みであるかないか?を重要視していた。正直イノセントについてはその写真では到底出資しないであろう馬体であり、どこが良いのかと問われても答えることができない馬でもあった。勝ち上がるためにはどのように出資馬検討をすべきか模索していた当時の私にとってはいきなり結果を出してくれた。この出資馬検討(イノセント方式)は馬選びの礎となったことは言うまでもない。
その後のイノセントは地方に移籍し1勝を挙げるものの、元々ダートが苦手だったこともあり、成績を残せず引退となる。
このイノセント引退を象徴するかのように、この年は全く振るわなかった。期待していたパスワードは長期休養でこの年12月に1走するも6着。前年にはG1にも登録したチャプターは屈健炎を発症し、長期休養で出走0。前年園田競馬で4戦4勝を引っさげ中央でも1勝2着1回と好走したエディフィスも怪我の影響で本来の力を発揮することができず、僅か3戦(3着外)で引退。この時点で既に2頭が引退したことになる。期待の3歳リベラルも8戦するが、未勝利戦では勝つことができず、入障するも結果が出ず。新たに出資したイグニション(後述)も2歳としては5戦を消化するも入着することなく終わった。
輝けるはずだった2006年は僅か18戦0勝(5着1回)という散々な結果に終わることとなる。
さて、愛馬物語28でも触れているが、2004年産駒募集馬検討は困難を極めた。第一印象として出資候補に挙げていたシルクミサイルがノド鳴りで候補から外れ、その他の募集馬でもピンとくる馬がいなかった。イノセント方式で選定をしても、いい馬が現れることはなく、時が過ぎていく。そんな中、1頭の出資馬が徐々に頭角を現す。父スエヒロコマンダー 母イナズマヒバナ(byミルフォード) なんて渋い血統であろうか。まずは血統に目がいく。次に馬体、別段取り立てるところはないのであるが、募集パンフの写真からは見違えるように成長した号外の写真はこの馬の成長力を感じさせた。新種牡馬には手を出さないつもりであったが、比較的安価だったこと、他に候補の募集馬がいなかったことで、出資を決めることとなった。そして、前述のように2歳から走ったのだが、全くお話にならない状態で2歳戦を終了することになる。
毎年のことながら、当然この年も次年度の募集馬パンフが夏に届いた。第一印象は父コマンダーインチーフ 母ヒガシオリビア(by サクラユタカオー)。以前所属していたJOY(現セゾン)でも母ヒガシオリビアの産駒が募集されたことがある。名前はラスカシュロス。未勝利で終わったが、なぜかとても気になる存在であったことも理由に挙げられる。この年の募集馬パンフは血統表(ブラックタイプ)が全募集馬で割愛された箇所があり、未勝利だった兄姉の名前は記載されていない。募集馬が何番目に生まれたのかも分からないものであった。検討には兄姉の成績や、生まれた順番も私にとっては一つのファクターとなるもので、これが割愛されたのだからたまらない。ネットで色々と調べる羽目になった。同じように感じた会員さんも多かったようで、苦情があったのか、その後のシルクでは意図的な割愛はあまり行われていない。
第一印象で決めていたものの、出資には至らず、ゆっくりと検討することにした。後のシルクイーグルである。
散々な結果に終わった2006年。例年ならもっと記述することも多く、数ヶ月ごとに分割しながらこの物語を仕上げていくのだが、この年に限っては記述するほどのこともあまりないため、駆け足で振り返ることとした。
さて、2007年はどんな年になるのであろうか?
続く:愛馬4頭(パスワード/1勝、チャプター/2勝、リベラル/未勝利、イグニション/未勝利)