さこういっぱく

「左後一白」は名馬の証です!

愛馬物語34

2012-10-13 | 愛馬物語
続き:愛馬4頭(パスワード/2勝、イーグル/1勝、ナデシコ/1勝、ラスカル/未出走、ハヴアドリーム/未出走)

2008年が終わりを告げ、2009年が幕をあける。勝ち上がった愛馬はいるものの、やや低調に終わった2008年。しかしながら、集大成とまでは行かないが、今後急浮上できる要因が垣間見えた年でもあった。

2009年の前半戦は低調に終わった2008年後半を引きずるかのごとく惨敗が続いた。厩舎の大将格であるパスワードが年明けから始動するものの、惨敗を続け放牧。イーグル・ナデシコも準備が出来ておらず、ラスカルに至ってはデビューの目処もついていない。そして空気も心も寒い2月を迎えることとなる。

話を戦力補強に移そう。2008年中に新戦力として黒い芦毛のハヴアドリームをドラフト1位で獲得も厩舎としてはまだ十分な戦力補強とは言えず、少なくともあと1頭の戦力補強が必要であり、間違いのない選択をすべく、日々研究に勤しんだ。この年は非常に粒ぞろいだった印象があり、絞りきるには時間を要した。候補に挙がった馬達は10頭を軽く超えたが、どの馬にも出資するにはパンチ力不足だった。4月になり2度目の号外が届いた。この号外で候補を絞ろうと考えていたのであるが、私の目を虜にしたのは候補に挙がっていた馬たちではなく、全くノーマークに近かった1頭。いや、厳密に言うと、ラインナップ速報時の字面では候補に挙げていたものの、パンフの馬体で落選していたあの馬だった。父グラスワンダー 母ティアドロップス(母父 SS)。そう後のシルクアーネストである。何がそこまで私の目を虜にしたかと言えば、「成長力」と「オーラ」であった。成長力とはパンフの落選した馬体からは想像しえなかったものに成長しており、とくにトモの成長には目を見張るものがあった。オーラとは号外の写真から感じ取れる他馬とは明らかに違う何かを感じえたのであった。そして出資を決定付けたのは陣営のビックマウスであったことも付け加えておこう。「順調ならばクラシック・・・」この一言にKOされたようなものだ(笑)

日差しが徐々に暖かくなった3月に今まで眠っていた馬達が始動し始める。まずはラスカルのデビュー戦が決まった。ラスカルについてはあまり考えず、あの大好きだったトリニティーの長男という事だけで出資を決めた愛馬。そういえば、母トリニティーのデビュー戦も年明け3月だった気がする。そこまで似なくてもいいのだが。デビュー前の調教は水準並であり、いきなりというものではない。しかも、新馬戦には間に合わず、未勝利戦でのデビューは明らかに不利。過去にはイノセントが未勝利デビューを10番人気で勝利したことはあるが、そんな事はそうあるものではない。まずは無事にレースを終えることが優先である。舞台は中山D1200。父ラスカルスズカ 母シルクトリニティー という血統からD1200の馬ではないと思われるのだが、競馬を覚える為のデビュー戦なら致し方ないところか。ただ鞍上は蛯名が務めることになった。レースは思ったとおり、スピード不足で付いていけず、後方からレースを進める事になる。デビュー戦のD1200で後方からレースを進めるのは「勝ちを諦めている」と思わざるを得ず、公開調教と瞬時に位置づけた。これで少しは変わってくれれば・・・。結果は8着。しかしながら母譲りの末脚を後半繰り出したようで、適正とは思えない舞台で2番目の上がりタイムを記録したことは今後の視界が広がったかに見えた。
好事魔多し、分かっちゃいるけど・・・。素質を垣間見たラスカルはレース後故障が判明、僅か1戦で放牧に出た。こうなってみると、なぜその舞台で走らせたのだろう・・・という疑問が出てきた。

ラスカルのデビュー戦の翌日はナデシコが始動。年末に夢散ったG1の舞台。春は桜花賞・オークスと出走にはまだ時間がある。春に1勝追加できれば、桜花賞に出走の可能性も十分に残っていた。もちろん目標は桜花賞出走。そのため「君子蘭賞」に出走するも8着惨敗。やはり距離が長すぎたのか。ここのところ大事に乗ろうとして結果が出ておらず、ちぐはぐになっているのは気付いていたが、修正する事も出来ずただレースを使うという状態が続いていた。この後6月に1走するが、やはり歯車が噛み合わず惨敗。その間に夢舞台は通り過ぎていった。

4月になると次期大将格の資格があるイーグルの復帰戦だ。舞台は福島D1150。2着をしたこともある相性のいいコースではあるが、スピードが要求される舞台でもあり、本来イーグルにとって敵鞍でない舞台と思っていただけに、レース選択を間違えているのではないかと陣営を批判したものだ。しかし、抜けた馬も見当たらず、2着の時と同タイムで走れさえすれば、好勝負になると思われた。5番人気ではあったものの、レースでは危なげない横綱相撲で2勝目をゲット。ここまでの惨敗が嘘のような快勝劇であった。しかしながら、今でもイーグルが短距離で結果を残したことに驚いている。血統や馬体からは中距離でこその馬だったように思うからである。兎に角久しぶりの2勝馬誕生の瞬間であった。
そのイーグル返す刀で1000万下に出走する。今度の舞台は府中D1400。私は正直喜んだ。イーグルの血統は母父にサクラユタカオーであり、府中を疾走することを夢見て出資したからであり、この時まで府中での勝利はなく、なんとかイーグルで達成したいとの願いもあった。距離延長も歓迎するところであり、500万下を勝ったばかりであるとはいえ、勝ち負けだと思っていたのだが・・・陣営が選んだ鞍上は草野太郎騎手。「へっ!?誰!?」申し訳ないがこの時まで草野騎手を知らなかった。地方の騎手かとも思ったのだが、調べるとなんとあんちゃんではないか。ここまで舞台が揃っておきながらなぜ陣営は実績のないあんちゃんを乗せるんだ!と相当憤った。他にも依頼出来そうな中堅~ベテランがいたのだからなおさら怒りは増した。世間の評価も福島の500万下を、しかも1150mを勝ったくらいの馬に評価を与えず11番人気。しかし、人の心配をよそにイーグルは走った。外枠からスッと2番手に付けると、直線入り口では先頭に並びかけ、一気に突き放す。鞍上草野のアクションも次第に大きくなる。後方から詰め寄られるが、歯を食いしばり懸命に駆け抜けようとするイーグルと鞍上草野の気迫が勝り、後続を完封。見事2連勝を達成するのである。過去にはソウルフルダンスが2連勝を飾った事はあるが、中間に放牧をはさんでおり、完全なる2連勝はイーグルが初。府中での優勝も初。1000万下優勝も初と初物尽くしのレースとなった。未だにあれが騎手草野太郎の最高のレースだったと思っている(障害レースは別)。ちなみに3勝馬はチャプター以来2頭目。

その後イーグルは福島・新潟で特別レースを連戦するが、善戦はするものの勝ちきることが出来ず放牧となる。ただ、能力は1000万ではなく、もっと上のクラスでこそ通用する素質を兼ね備えていたと考える事ができるような内容であった。

2009年前半戦はイーグルが2連勝を決めたものの、ナデシコやラスカルが続く事ができなかった。後半戦はこの3頭にアーネスト・ハヴアドリームといった2歳馬が活躍してもらうとこの年は華やかになるのであるが・・・。

続く:愛馬6頭(パスワード/2勝、イーグル/3勝、ナデシコ/1勝、ラスカル/未勝利、アーネスト/未出走、ハヴアドリーム/未出走)

愛馬物語33

2012-01-21 | 愛馬物語
続き:愛馬4頭(パスワード/1勝、イーグル/1勝、ナデシコ/1勝、ラスカル/未出走)


 2008年後半戦が幕を開ける。前半戦にてイーグル・ナデシコがそれぞれ勝利を挙げ、後半戦も当然のごとく期待した。目指すはイーグル2勝目、ナデシコは暮れの大一番、阪神JF出走である。仮に、ナデシコが出走したら、愛馬では初のG1(Jpn1)出走という事になる。小倉2歳S4着の実績があるナデシコであるから、当然この時点では出走できてもなんら不思議ではないと考えていた。

 後半戦回顧に行く前に、この年の戦力補強について触れておこう。世代1頭出資が数年続いた影響か、稼動馬が少なく感じていた。事実この時は稼動3頭(ラスカルは入厩前)しかおらず、放牧や引退が重なるとすぐに稼動0となってしまう危険性があった。幸い稼動3頭共にタフに走ってくれたおかげで寂しい思いはせずにすんでいるのだが、将来的には戦力補強が急務であると考えていた。来年デビューの1歳馬に興味を注ぐ日が続く。この年は個人的に魅力のある馬が多かったように記憶している。比較的安価で良さそうな馬が多かった。当然のことながら1500万募集以下の馬からドラフトに入る。検討に検討を重ね、指名したドラフト1位は父クロフネ 母マイドリームビギン(父メジロマックイーン)の牝馬であった。後のハヴアドリームである。指名の理由として大きかったのが、毛色。以前より黒い芦毛を探していたのだが、価格が高いなどの理由で出資を諦めてきた経緯があった。しかし、今回は800万円と安価であり、当然予算の範囲内である。また、予定厩舎も栗東吉田厩舎であったことも大きな理由だ。ただ、牝馬とはいえ、クロフネ産駒。800万は安すぎるのではないか?何か欠陥があるのではないかと不安になった事も確かだが、不安には目を瞑り指名。残りは1枠or2枠。ドラフト2位はどの仔にするかさらに検討を続ける事になるが、指名は次年度とする。

 なかなか上昇できないパスワード。年齢も考えなくてはいけない時期に突入している。安定してた成績を残す事が、1日でも長い競走馬生活に繋がる。ダート短距離だけにこだわらず、中・長距離、芝などにも挑戦してもらいたいと願っていたのだが、結局ダート短距離を引き続き使われる事になる。秋になっても上昇の気配がなく惨敗を続けるパスワード。休養明け初戦の夙川特別はなんと殿負けを喫してしまう。まさかの殿負けである。「こんな馬ではない!」といい続ける事すら負け犬の遠吠えのように思えてならなかった。そんな泥沼の中で、突然光が差した。秋3戦目に陣営はどういうことなのか、なぜ今まで選択肢になかったのか不思議であった府中での出走を決断した。しかも鞍上には幸騎手。久しぶりの上位騎手である。そのレースでパスワードは6番人気に支持される。特別レースとはいえ、この秋15着、8着の馬にこの人気。正直人気しすぎなんじゃないの?と思ったくらいだ。しかし、レースではこちらがビックリすくらいの変わり身を見せるのである。このところ強かった時と比べて明らかに前につける脚がなくなっていたのだが、この時はどういうわけかすんなり先行できた。府中の長い直線も坂道も苦にする事はなく、ゴールに向かって疾走するパスワード。レース展開が前残りになったことも当然見方したのであろうが、気づけばあわや2着と思わせる3着と大健闘。驚いたと同時に、当たり前だという気持ちが入り乱れた。環境を変えたことがパスワードにはプラスになったのではないだろうか。しかし、残念な事に輝きは一瞬だけだった。この年、数戦するが輝きは戻る事はなかった。

 とりあえず未勝利戦を勝ち上がったイーグルは余裕ができた影響か、いろいろな条件を試される事になったが、芝・ダート・短距離・中距離といずれも無難にこなした。陣営もなかなかイーグルの適正を見出せずにいた。秋初戦は福島D1150m。またしても私の理想とは違う短距離を使ってきた。正直、もう短距離はいいと思っていたのだが、イーグルは後方からレースを進めると最速の上がりを繰り出し、2着。こんな条件でも結果を出すイーグルに脱帽するしかなかった。続く秋2戦目も同じ舞台。今回はレースを前で進めるも6着に惨敗。しかし、2着の時からタイムをコンマ5秒縮めていることの注目した。タイムが速く、負けはしたのだが悲観する内容ではなかった。彼自身、進化を続けているのだ。その後放牧へ。

 この秋1番の注目といえば、ナデシコがどこまで突き進むのかである。小倉2歳Sで4着と健闘後、陣営は目標を阪神JFに定める。そのためには1勝のままで出走のは困難である。2勝目を挙げに行くか、権利を取るか。そして次走はファンタジーSに決定する。出走馬の中には超良血ワイドサファイアがいるものの、他のライバルたちはそれほど恐れるものでもない。実績から考えても勝ち負けと当然考えた。鞍上は引き続き小牧。この1戦で結果を出せば、目標は達成するのである。力が入らないわけがない。しかし、競馬の厳しさをまたしても味わう事となる。後方から脚を溜めるかと思いきや、スタートが良かったせいか、思っていたより前でレースを進めた。そしてこれと言って見所のないままレースは終了。終わってみれば思いもしなかった9着惨敗。小倉で負かした相手にも先着される結果となり、私の夢は泡と消えた。しかし、陣営は阪神JFに出走させるべく、自己条件(白菊賞芝1600鞍上藤岡康)に出走を表明。ここに勝てば、出走の可能性は大きく広がる。牝馬限定戦であること、怖い存在がいない事で初距離となるが当然勝ち負けになるであろうと考えていた。後方からレースを進め、末脚を伸ばすが3着に敗れる。勝ち馬はレディルージュ。小倉の借りを返された形となる。その後阪神JFには登録はしたが、抽選に漏れOUT。初G1の夢は翌年以降へ持越しが決定した。残念ながら暮れの大一番には出走できなかったが、最後にもう1走することになった。阪神2歳500万下芝1400mに橋本騎手で出走。後方からレースを進め、本来の鬼脚を披露。上がり最速の35.2を繰り出すものの、前には届かず4着。惜しいレースが続くも勝てずにこの年を終了することになった。

 結果的に1勝も挙げる事が出来なかった2008年後半。しかし一口人生初となるG1出走への夢を見させてもらった事は大きな喜びであった。残念ながらその夢は叶うことがなかったが、期待と落胆が入り混じった中身の濃い半年間だったと感じる。上手くいったり、いかなかったり。これが一口の楽しみである。ということを感じさせてくれた。2009年はナデシコで牝馬クラシック路線を進みたい。イーグルは1000万下へ駆け上がり、さらに上へ。パスワードは輝きを取り戻し、ラスカルはデビュー。そして期待のドラ1、ハヴアドリームでナデシコの叶えられなかった夢をリベンジしたい!そして2008年が静かに幕を下ろした。

続く:愛馬4頭(パスワード/1勝、イーグル/1勝、ナデシコ/1勝、ラスカル/未出走、ハブアドリーム/未出走)

愛馬物語32

2011-08-20 | 愛馬物語
続き:愛馬3頭(パスワード/1勝、リベラル/未勝利、イーグル/未勝利)

 2008年のスタートは愛馬3頭で始まった。チャプターが引退し、戦力補強が必要であった。2007年募集ではパンフが到着する前に出資がほぼ決まっていた仔がいた。父ラスカルスズカ 母シルクトリニティーの牡馬である。募集価格は何と500万円。「安さ」という魅力もさることながら、元愛馬であり未勝利であったものの、私の中で一番だったあのトリニティーの長男である。
 一口の醍醐味の一つに「愛馬の仔に出資する」と言うものがある。長らく一口をしていたものの、愛馬が繁殖にあがることは簡単ではなく、現にこの時点で繁殖に上がれた元愛馬はトリニティー、オリンピア、チャプターの3頭。もちろんチャプターは繁殖に上がった直後であったため、まだ仔はできていない。実質2頭のみである。しかも、元愛馬の仔が必ずシルクHCで募集されるとは限ったことではない。その点においても、私としては初めての体験となり、余程の欠陥が認められない限り出資することが確定したのであった。後のシルクラスカルである。
 余談であるが、マイシンザン産駒として中央唯一の勝利を記録した元愛馬ウイッシュも繁殖に上がることはできなかった。貴重な血統を残したいと思ったのだが、現実は厳しいものである。

 ラスカルを除いた募集馬の中から、いの一番に注目した馬がいた。父ステイゴールド 母チャンネルワンの牡馬。そう後のシルクメビウスである。結局のところメビウスには出資しなかったのだが、なぜ出資できなかったのか・・・それは私の「天邪鬼根性」がでてしまったことが一番の理由であった。
 年末の号外にて、ラスカルが順調に成長していることで出資完了。1世代1頭体制が3年ほど続いていたのだが、経済的余裕もできたことで、追加で1頭出資することに決めていた。もちろん第一候補はメビウスである。残口にも余裕があり、締切まで十分に検討するつもりであった。第二候補には父フジキセキ 母ピサノヒビキの牝馬。のちのシルクナデシコ。3番手に父チーフベアハート 母イエローダンサーの牡馬。のちのシルクジャーニー。あと数頭いたと思うのだが、覚えているのはこの3頭。
 4月の号外が出てもこの3頭を中心に考えていた。この辺りからメビウスの評価が上がってきたように思う。各方面でのメビウス評が鰻上りであり、私にとっては嫌な展開となってきた。以前も同じようなことがあった。愛馬物語にも記載しているが、第一候補であったシルクボンバイエに決定していたにも関わらず、ツアーでの凄まじいまでの人気に「天邪鬼根性」を如何なく発揮した結果、直前でシルクホルダーに変更したのだ。またしても同じことを繰り返してしまい、結果的にシルクナデシコに出資を決めた。
 ドラフトの外れ1位(ちょっとニュアンスは違うけど)となったナデシコではあるが、私としてはかなり魅力のある仔であった。馬格はないものの、バランスが良く、根性がありそうな目つきなどは出資段階としては水準以上であり、また管理予定が栗東の宮先生というところが出資理由となった。

 2008年のスタートを飾ったのはシルクイーグル。デビュー戦から続けて芝を使われてきたのだが、ダートに矛先を変更し復帰戦を迎えた。中山ダ1800m。レースはスタート直後からハナを切る。初ダートで戸惑いもあったのだろうが、結果は5着と初ダートで掲示板を確保。その後もダート中心に使われることになるのだが、同条件の次戦では4着。舞台を府中に移したD1600m戦ではシルクエンデバーには屈するものの3着を確保。1戦ごとに着順を上げていく。距離短縮で挑んだ府中D1400mでは圧倒的1番人気のリーサムクラウンに完敗するものの2着を確保。初めて勝ち負けになった。そしてデビュー8戦目に歓喜の時が訪れる。 
 中山未勝利D1200mに津村騎手で挑む。私はイーグルについて決して短距離馬ではなく、適正は中距離と考えていた為に、陣営が距離短縮していくことには納得がいっていなかった。しかし、私の不安をよそにイーグルは結果を出し続ける。そしてこの時も。このレースには社台RHの良血馬ファイナルスコアーが鞍上武豊でデビュー戦を迎えるのである。前走でも評判のリーサムクラウンに完敗していることや適正距離を考えると不安は尽きなかった。しかし、ここでもイーグルは力を発揮する。なんとファイナルスコアーを1馬身3/4突き放し快勝したのである。しかも2着のファイナルスコアーから離されること8馬身後方に3着のエミネムシチーがいたのであるから、ビックリするほど強い競馬だった。そのファイナルスコアーはOP馬になるのであるから、デビュー戦とはいえ負かしたことは勲章と言っていい。雑草血統が良血を打ち負かす光景は気分爽快である。これが競馬の面白さでもある。
 優勝後、短期放牧を挟みターフに戻ってきた。新潟で復帰するもエノク(後のOP馬)の7着。芝千直を使うも7着。舞台を中山に移しても7着。と7が3つ並んでフィーバー・・・という成績であった。ただ、そのどれも見所があり、特に新潟芝千直ではまさか7着に頑張るとは思いもしなかった。今までのイーグルから考えるとあまりにも条件に合わないと思っており、10着以下になることも想定していたのだから。どのような条件でも安定して走る。それがイーグルであった。

 出資後すぐに入厩→デビューとなったのが、シルクナデシコである。小倉芝1200牝馬限定が決定した。調教過程もよく、3番人気に支持された。久しぶりに新馬で勝ち負けかも?と期待した。鞍上は藤岡康。宮厩舎ではよく依頼する騎手である。レースは後方から進めるが、レースに戸惑ったのか直線に向いたところではテレビ画面から完全に消えてしまった。これは大敗かもしれない・・・しかしナデシコは画面の映らないところで鬼脚を披露していたのだ。上がり最速で終わってみれば負けはしたが6着。きっちり上がりをまとめていることから、そのうちチャンスが来ると思った。
 そのチャンスがいきなりやってくる。舞台は同じ小倉芝1200m。鞍上は小牧騎手に変わった。レースは同じ勝負服のシルクブリッツがハナを切る。ナデシコはデビュー戦同様後方からレースを進める。デビュー戦を叩かれたことで一変したのか、4角から徐々に押し上げ直線を向いた時には完全に前を捉える状態であった。最速上がりを叩き出し、2着に1馬身1/4をつけ優勝。最後は追っていないため、追っていればもっと着差は広がったことだろう。
 この勝利で次戦に重賞「小倉2歳S」に出走することになった。私にとっては初めての重賞挑戦となる。今まで特別レースすら勝ったことがないのに、重賞など勝てるわけがないと思う一方で、ナデシコならやってくれるかもしれないと密かに期待していた。そんな折、レース当週の東京スポーツにナデシコの記事が出る。「小牧、本気でホレた シルクナデシコ」と題がついており、大きく写真も掲載されたのである。小牧騎手のコメントもあり、密かな期待が大きな期待へと変わっていくのが分かった。しかし、内枠を引いたことが不安材料であり、直前の雰囲気からも勝ち負けとまではいかないような気がしていた。レースはその不安が的中することになる。やはり後方からレースを進めたが、内々を進んだことが影響してか、なかなか外に持ち出せない。直線に向いた時にはまだ後方で、小牧騎手も馬郡を裁くのに時間を費やしてしまった。漸く外に持ち出せた時は時既に遅く、前を捉えることはできなかった。4着。惜しくも優勝は逃してしまったが、私にとっては十分楽しめた。実はこのレース、後の重賞3勝馬ワンカラット、重賞2着2回のレディルージュ。ナデシコ4着、ワンカラット5着、レディルージュ7着。今となっては完全に逆転されているが、この時はナデシコに軍配が上がっていたのだ。
 
 その他の現役愛馬は精彩を欠いた。シルクリベラルは矢野進調教師の最後を飾るべく出走するが、惨敗。矢野厩舎解散に伴い粕谷厩舎に転厩となり障害レースを使うものの、結果が出ることはなかった。そして脚部不安を発症し引退となる。平地のレースでは全くいいところがなかったが、障害に転向してからは飛越センスが発揮された。残念ながら2着が最高着順ではあるが、入障以来11戦、1度も落馬転倒をしたことがない。もう少し平地の脚があれば優勝していたことだろう。
 もう1頭のパスワードもリベラル同様であり、2008年前半戦は4着が最高着順だった。こちらも完全にクラスの壁を突破することができない。あれほどまでに期待した馬。もう一花咲かせたい気分である。

 そして2008年後半戦へ・・・

続き:愛馬5頭(パスワード/1勝、イーグル/1勝、ナデシコ/1勝、ラスカル/未出走)

愛馬物語 番外編(シルクイーグル)

2011-07-15 | 愛馬物語
それは突然やってきた。想定外の出来事と言っていい。
まさかあのイーグルが・・・。

最初は募集馬パンフレットだった。父コマンダーインチーフ 母ヒガシオリビア(父サクラユタカオー)の牡馬。この年の第一印象馬だった。何の特徴もない鹿毛の馬体からはお世辞にも見栄えのするものではなかったが、その馬体からかもし出す雰囲気と血統に惚れたのだった。「順調に行けば勝ちあがれる馬、500万下でコンスタントに出走し、入着できる馬」そう評価していた。既出ではあるが、私は以前JOY(現セゾン)に在籍したことがあり、私が入会したときにラスカシェロスという所属馬がいた。その時の母名を覚えていたのだ。また、母父にユタカオーという血統にどことなく憧れを抱いており、将来、当時まだ勝った事がなかった府中で勝ち星を挙げてくれることをイメージしたことが出資要因だった。

デビューは思いのほか早く、2歳6月。当初は芝を使われていたのだが、勝ちきるまでは行かなかった。ダートへ矛先を向けた最初のレースで5着すると、そこからは1つずつ着実に成績を上げ、ついには念願の優勝を果たす。その後上のクラスでも善戦すると、クラス慣れしたころに2勝目。勢いそのままに挑戦した府中の1000万下では、私の思い描いていた通りのことが現実となる。11番人気ながら横綱相撲で優勝。素晴らしいレースだった。今でも彼の勝利の中で一際輝く1戦である。

この時点で、イーグルの能力が相当高いと認識し、準OPを目指すことになるのだが、暫く1000万下で善戦が続いた。いつでも勝てそうで勝てないもどかしさが続く。特に鞍上にはヒヤヒヤさせられたものだ。馬は十分に勝ち負けできるレベルにあるのに、鞍上だけが問題だった。全て鞍上の責任ではないのは百も承知であるが、さすがにこの状況では敗因を騎手に求めるのも自然の流れだったように思う。今となっては懐かしい思い出だ。

そんな彼もついに1000万下の壁を突き破ることになる。鞍上が柴田善騎手に替って僅か2戦目で結果を出したのだ。もう少し早く交替してくれていれば・・・そう思ったものだ。この頃のイーグルは一番脂がのっていたかもしれない。能力の高いメンバー相手に準OPでも入着できるほどに成長。OPはすぐ目の前だった。

彼の戦跡でもっとも素晴らしいのは、生涯(32戦)を通じて2桁着順がないということ。勝ち鞍は全てダートで、一見してダート馬のように見られるが、芝1000でも7着、芝1800でも4着、と一定の結果は残している。どんな条件でも大崩れすることなく走れる馬はそういるものではない。

私は愛馬を目の前で失ってから長い間、愛馬を生応援することを拒んでいた。本当に怖かった。「行こう!」という気すら起こらなかった。しかし、2010年11月、ついに足を運ぶときがやってきた。イーグルは前走の安達太良Sを2番人気に支持されるも7着と結果を出せず放牧に出ていた。そして、この時が復帰戦。
「イーグルを見たい!応援したい!」心からそう思った。もちろん不安もあったが、応援したい気持ちが僅かに勝ったことが私の足を府中に向かわせた。レースは残念な結果になったものの、アクシデントが起こることもなく無事に終わった。久しぶりに充実した一口ライフだった。その後、鬼門だと思っていた中山でも生応援をすることができた。私を競馬場に向かわせてくれたのは、シルクイーグルだった。

私が彼を直接見たのは32戦中3戦しかない。その3戦は全て最後の方の戦いだ。生で見た彼は、どことなく野武士のような雰囲気をかもし出し、凄くかっこよかった。「いつでも勝てるぜ!」そんな風に彼が行っているようにも聞こえた。

最後に見たのは、今年の招福Sである。この時はこのブログにも書いているが、夢を見ている。
詳しくは・・・
http://blog.goo.ne.jp/wazzu0727/d/20110105
http://blog.goo.ne.jp/wazzu0727/d/20110107
を見ていただきたい。まさに結果以外は全てミラクル。最後の最後で私とイーグルらしい結果で終わってしまったのだが。
その後もイーグルの夢を見ている。愛馬の夢を見ることはたまにあるのだが、イーグルほど私の夢に出てきた愛馬はいない。

いつでも会える・・・それが私にとってのシルクイーグルだったような気がする。
シルクイーグル 32戦4勝 享年6歳

愛馬物語31

2011-07-02 | 愛馬物語
続き:愛馬5頭(パスワード/1勝、チャプター/2勝、リベラル/未勝利、イグニション/未勝利、イーグル/未出走)

古馬陣がなかなか上昇とはいかない中、2歳のイーグルが6月にデビューを迎えた。過去にも2歳でデビューした愛馬もいたが、2歳の6月デビューは始めてのケースであり、これだけ早くデビューできたことに喜びを感じていた。そのデビュー戦は福島芝1200m。2歳戦とはいえ、さすがにイーグルには忙しく、6着に敗れるも、今後の活躍を予感させるには十分であった。

ついに、ついに厩舎期待の星チャプターが帰ってきた。未勝利で5馬身差の圧勝劇を挙げ、500万下も3着のあと、簡単に卒業。先々が期待されていたが、まさかの屈腱炎発症。この暗黒の3文字が意味するものは・・・正直お先真っ暗という感じである。今までも屈腱炎を発症した愛馬は多いが、殆どが復帰できず、復帰したとしても1戦大敗で再発。競走馬には多い疾病であることは間違いないが、復帰は困難なケースが多いと思われる。特にオープン馬でないチャプターには「引退」の文字もちらついた。牝馬で2勝していれば、酷くなる前に繁殖へあげることも重要な選択肢の1つであろう。しかし、陣営は復帰を目指し、彼女はそれに応えたのである。

7月、小雨振る小倉に彼女は舞い降りた。川田騎手を背に復帰戦に挑む。1度勝っている500万下。長期休養明けとはいえ、6番人気に支持される。本当に大丈夫なのか?私の心配をよそに彼女はスタート直後から果敢にハナに立った。元々先行することの多かった彼女だが、さすがに屈腱炎後の復帰戦からハナを切るとは思わなかった。このままあっさり勝ってしまうのか?と思った勝負どころで置いていかれる。さすがに1年半の休養明けでは息が持つわけがない。15着大敗。結果としては大敗だったが、まずは無事復帰戦ができたことに喜びを感じると共に、レース後の彼女が不安でしょうがなかった。
「レース後特に変わりはありませんが次走は未定です」聞きなれた、ややもすれば聞き飽きたシルクのコメントがこんなに嬉しく喜ばしいと思った瞬間はない。また次がある・・・ホッと胸をなでおろした2007年初夏であった。

この夏はイーグル・チャプターが厩舎を引っ張った。イーグルの2戦目は札幌。鞍上に横山典騎手を配し、札幌芝1500mに挑んだ。陣営の期待も伝わってきており、血統馬体からも距離延長は歓迎だった。しかし結果は7着。デビュー戦のリプレイかと思われるような走りで伸びずバテず。一定の能力は再認識したのだが、勝ち負けには程遠い結果であった。続く3戦目は札幌芝1800m。距離延長は歓迎だし、忙しくない分好位からレースを進められるのではないかと考えた。レースは好位というより、逃げたのである。デビューから2戦は10番手くらいからレースを進めた彼が、いきなりの脚質転換。ちょっとビックリ。しかし思惑どおり、距離延長はメリットとなり、道中は程よく走れていた。さすがに逃げ切るまではいかず、4着に敗れてしまうのだが、勝ち馬からはコンマ4秒、5着以下には5馬身以上離しており、今後に期待を持つことができるレースになったのは言うまでもない。そして放牧へ。尾形厩舎であり、ひょっとして長期か・・・と心配したが、3ヶ月程で帰ってきた。ただ、2007年中の出走はなかったが。

一方のチャプターは復帰2戦目を小倉の同条件を選んできた。無事に復帰2戦目を迎えることができた。鞍上は芹沢騎手。脚元の不安はあるものの、長期休養明けを叩いての変わり身は期待できる。今回も前回同様逃げるのか?しかし、ここは逃げずに先行集団からレースを進めた。前回は休養明けが響いて息がもたなかったが、今回はしっかり最後まで全力を出し5着。屈腱炎から復帰後、たった2戦で掲示板を確保したことは能力のなせる業か。走りも良い頃の彼女に戻りつつあり、3戦目はさらに期待することになる。

脚元の影響もあり、続けて使えない彼女は1ヵ月後3戦目を迎える。舞台は阪神ダ1800m。鞍上には蛯名騎手。陣営も手応えを掴んでいたのだろう。そしてファンもよく知っていた。当日は2番人気に支持される。パドックから伝わる彼女の馬体は500万のそれではなく、もっと上のクラスで走ってもなんら不思議はないと思えた。
レースは蛯名騎手を背に果敢に逃げた。彼女の持てる能力をフルに発揮するかのような走りを披露。ここでは役者が違うとばかりに後続を完封。2着の1番人気に2馬身半つける快勝劇を演じた。素晴らしい、素晴らしすぎる結果にただ酔いしれる。今後の活躍を期待した。

「好事魔多し」
競走馬に携わるものが良く聞くフレーズであり、実際に体験することも多いものだ。快勝後に骨折したり、病気になったり。私自身も数多く体験してきた。過去にはイノセント、ソウルフルダンスが優勝後に骨折した。そして、まさにこの時も・・・。
聞きたくない、絶対に、絶対に聞きたくない魔の3文字が再度彼女を襲う。2度目の先には未来はないと思うしかなかった。シルクチャプター引退。悲しい出来事ではあるが、原因が原因であるため、比較的冷静に受け止めることができたように記憶している。最後の勝利もこうなることを知っていたのではないかとさえ思えた。そう思うとドラマを感じる。

10戦3勝。たった10戦しか彼女はレースをしていない。しかし、彼女の残したものは私にとって極めて大きなものとなった。1歳時の彼女に牧場で出会った時には衝撃を受けたことを今でもはっきり覚えている。「これは走る!」私の期待にたがわぬ成績を残してくれた。脚元さえ丈夫だったら・・・・・。
屈腱炎からの復活ができることも証明してくれた。最後の3戦はそれこそ死闘だったに違いない。私に初の3勝馬をプレゼントしてくれたこと引き換えに自身が引退した。残念ではあるが、彼女には次の仕事が待っている。「いつの日か君の子供が夢を引き継ぐよ。」

2007年はチャプターの勝利と引退で早めの幕を閉じることとなった。2008年は古馬陣がどこまで頑張れるか。そしてイーグル2歳戦で見せた素質を見事開花させることができるのか。が注目ポイントとなる。チャプター・イグニションが引退したことで、戦力補強も必要である。さすがに所属3頭では明るい未来はやってこない!?
2008年はどんな年になるのか・・・それは次回の講釈にて。

続く:愛馬3頭(パスワード/1勝、リベラル/未勝利、イーグル/未出走)

愛馬物語30

2011-06-25 | 愛馬物語
続き:愛馬4頭(パスワード/1勝、チャプター/2勝、リベラル/未勝利、イグニション/未勝利)

散々な結果に終わった2006年も幕を閉じ、2007年がやってきた。
2006年当初はイノセント・パスワード・チャプターと勝ち上がり組みが活躍すると見られたが、まさかの未勝利に終わった。1年経っても回復の兆しは見られない。何せ期待したリベラル&イグニションが全く振るわなかった。

しかし、回復の兆しは突如やってきた。元々、障害馬を描いて出資したリベラル。平地では結果を残すことができず、思い通り入障するも、府中のスピードについていけず、大敗を喫していた。元来障害好きの私はどうも府中の障害は好きではない。飛越よりスピードが要求されるからである。リベラルも飛越は上手いがスピードがない馬であり、中山に変わってから・・・と思っていた。2006年終盤にその期待した中山で出走も大敗。やはりこの馬は障害でもダメなのか・・・。入障後3戦していいとこなし。普通なら戦力外通告を受けても文句は言えない成績であった。しかし、リベラル陣営は障害の名伯楽と言われた矢野進調教師である。こんな成績のリベラルにも障害センスを見出していた。
1月リベラルは障害4戦目を中山で迎える。過去3戦全て2桁着順の彼には13番人気が妥当であった。レースはお得意の飛越で無難に障害をこなし、勝ち馬からは放されたものの3着と結果を残した。漸くそのセンスが結果となって帰ってきた。その後舞台を府中に移すが8着。これは想定の範囲内。続いて中山に戻り、さらに鞍上を水出騎手から金子騎手に変えてレースに挑む。ここは勝ち負けを想定した。人気も9番人気とお買い得。彼は懸命に走った、いや飛んだ。彼の持ち時計を5秒近く更新するも4着。時計が早すぎたことが敗因だった。残念ではあるが、これで中山コースでは3戦し3着1回4着1回と中山巧者であることを印象付ける。なんとももどかしいところがリベラルらしい。
4月、中山に再び姿を現すと、果敢に先行集団に取り付き積極的にレースを勧める。無難に飛越を決め、未勝利脱出かと思われたが、1馬身半届かなかった。このレースは本当に悔やまれる。もちろんリベラル自身はよく頑張り、時計も詰めたので、力負けは認めざるを得なかったが、ここで勝利していれば・・・・・。
そして放牧へ。

リベラルの大変身中には、パスワードが決めてくれた。1月の中央場所では結果がでなかった。というかレースを使うたびに悪くなっていくような気がした。何かカンフル剤みたいなものはないのか?出資者ならそう思ったに違いない。能力はあるのに結果が出ないもどかしさが続いていた。陣営は地方交流を視野に入れる。そして向かった先は園田競馬。鞍上に川原騎手を迎えた1戦は相手が弱かったとはいえ、今までのストレスを一気に解消するかのような走りで堂々の1着。久々の美酒に酔いしれた。しかし、喜びと同時に「こんな馬じゃない。これくらいの勝利では喜べない」と思う気持ちが交差した。そして中央場所に戻るわけだが、昇級初戦を惨敗するも徐々にクラス慣れし、掲示板を確保できるようになってきた。しかし、この辺りから、陣営の迷走が始まる。折角掴みかけていたところなのに、鞍上も若手に変え、距離も延長したり、どこに向かいたいのか方向性に???がついた。元々小林徹騎手が主戦ではあるが、結果を出していたのはベテラン騎手の赤木・小牧・川原らの地方騎手であり、競馬素人の私でも結果を求めるなら「追える騎手」だと考えていたが、現実は反対の方向に向かっていった。

リベラル同様、当厩舎の問題児イグニションも2007年を迎える。まずはパスワード同様地方交流に活路を求めたが、パスワードの様にはいかず5着。そして中央復帰も10着とデビューからここまで7戦して見所がない。これはかなり厳しい現実である。「5戦して見所のない馬は勝ちあがれない」という持論があるのだが、イグニションは完璧なまでに当てはまった。もうダメだな、引退もやむなし。そう思っていた。だが、ここからイグニションが目覚め始める。中京ダ1700で何を思ったのか4着という結果を残したのである。12番人気、道中後方だったイグニション。突如目覚めたかのような末脚を披露した。なんとビックリ!である。それからもコンスタントに使われ、芝・ダート問わず10戦を消化。しかも結果は全て8着以内という最初の彼からは想像できないほどに結果を残せるようになった。ただ残念なことに私の持論には逆らうことはできず未勝利で引退となる。
今まで何頭もの未勝利馬に出資してきたが、イグニション程に楽しませてくれた馬はいない。未勝利戦だけで17戦を戦い、芝もダートも関係なく走ってくれたのだから。最高着順は4着でもその4着は3回記録し、未勝利を卒業してもおかしくないところまで頑張った。できればスエヒロコマンダーの代表産駒になってもらいたかった。

2007年前半の出来事の中には、新たに出資した馬がいる。募集開始当初からずっと追いかけていた馬に出資することになる。後のシルクイーグルである。目立つ血統ではないが、馬体がしっかりとしており、「野武士」的な印象をかもし出していた。天栄での動きも良く不安はない。唯一不安といえば、厩舎に放置されないかだけであった。

こうして2007年の前半戦は終わっていった。勝利はパスワードの1勝(地方交流)のみであったが、悪夢の2006年からは回復の兆しも見られ、一口生活に張りが戻った。そんな中、期待のチャプターが復帰を目指し帰厩する。彼女は屈健炎を克服し、気がつけば1年半の月日が流れていた。

この年の新規募集馬にも触れておこう。この年いきなり飛びつける馬がいた。父ラスカルスズカ 母シルクトリニティー の牡馬である。そうこの仔は元愛馬トリニティーの長男である。出資理由はそれだけであり、無条件での出資が決まる。ただ、実行するのはまだ先となるが。トリニティー長男以外において良く見えたのは父ステイゴールド 母チャンネルワン の牡馬。そう後のシルクメビウスである。メビウスはご存知の通り素晴らしい馬に成長するのであるが、結果的に出資しなかった。なぜメビウスに出資しなかったのか?いやできなかったのか?私の間違いだらけの馬選びが再び炸裂するのであった・・・・。

続く:愛馬5頭(パスワード/1勝、チャプター/2勝、リベラル/未勝利、イグニション/未勝利、イーグル/未出走)

愛馬物語29

2011-01-15 | 愛馬物語
続き:愛馬5頭(エディフィス/1勝、イノセント/1勝、パスワード/1勝、チャプター/2勝、リベラル/未勝利)

3勝を記録した2005年も終わりを告げ、新たに2006年が幕を開けた。稼動馬全5頭中4頭が既に勝利を記録しており、飛躍の年になるのではないかと期待に胸膨らむ2006年元旦。そんな想いが見事に裏切られようとは知る由もなかった。

まず、最初に登場したのはシルクイノセント。1勝した後、なかなか思うような成績を挙げられずにいた。陣営も迷走し、芝・ダート共に使っていった。しかし、成績をみても明らかに芝のほうが良いように思えた。ダートはここまで2戦するも殿とブービー。よほど展開が向かない限り入着は厳しいだろうと考えるのが自然である。そして2006年最初のレースはまたしてもダート。陣営の考えが見えないままレースを迎える。鞍上にはシルクHC内では評判が今一つの武英騎手。ここ数戦乗り続けているのだが、この辺りのことを考えても陣営がイノセントに期待しているとはとても思えなかった。またしても殿か・・・。そんな心配をするに至ったのだが、イノセントは頑張った。こんな評価の馬ではないのだが、単勝140倍、13番人気の低評価。その評価をイノセント自身で崩したのだ。舞台は京都ダ1200m。好位からレースを進め、上位には離されたものの、苦手ダート競走で6着と踏ん張った。これで少しではあるが、目処が立った。芝のレースだともっと上位に来れる筈。そう思った。しかし、下された判断は引退。引退?寝耳に水とはこのことか!怒りにも似た感情に包み込まれる。怪我をしたわけではなく、明らかに一方的判断と解釈せざるを得ない状況であった。噂の域に過ぎないが、この厩舎とシルクHCの関係悪化が当時まことしやかにささやかれていた。噂を信じたわけではないが、なるほどそう考えるとある意味納得した。というかイノセントがこの厩舎に行ったことが全てだったと考えるより他なかった。

イノセントが残してくれたものは大きかった。募集馬検討をする際、初めてインスピレーションではなく、一つ一つのファクターを比較し、出資した最初の馬であった。今までは割りとパンフレットに写る馬体が好みであるかないか?を重要視していた。正直イノセントについてはその写真では到底出資しないであろう馬体であり、どこが良いのかと問われても答えることができない馬でもあった。勝ち上がるためにはどのように出資馬検討をすべきか模索していた当時の私にとってはいきなり結果を出してくれた。この出資馬検討(イノセント方式)は馬選びの礎となったことは言うまでもない。
その後のイノセントは地方に移籍し1勝を挙げるものの、元々ダートが苦手だったこともあり、成績を残せず引退となる。

このイノセント引退を象徴するかのように、この年は全く振るわなかった。期待していたパスワードは長期休養でこの年12月に1走するも6着。前年にはG1にも登録したチャプターは屈健炎を発症し、長期休養で出走0。前年園田競馬で4戦4勝を引っさげ中央でも1勝2着1回と好走したエディフィスも怪我の影響で本来の力を発揮することができず、僅か3戦(3着外)で引退。この時点で既に2頭が引退したことになる。期待の3歳リベラルも8戦するが、未勝利戦では勝つことができず、入障するも結果が出ず。新たに出資したイグニション(後述)も2歳としては5戦を消化するも入着することなく終わった。
輝けるはずだった2006年は僅か18戦0勝(5着1回)という散々な結果に終わることとなる。

さて、愛馬物語28でも触れているが、2004年産駒募集馬検討は困難を極めた。第一印象として出資候補に挙げていたシルクミサイルがノド鳴りで候補から外れ、その他の募集馬でもピンとくる馬がいなかった。イノセント方式で選定をしても、いい馬が現れることはなく、時が過ぎていく。そんな中、1頭の出資馬が徐々に頭角を現す。父スエヒロコマンダー 母イナズマヒバナ(byミルフォード) なんて渋い血統であろうか。まずは血統に目がいく。次に馬体、別段取り立てるところはないのであるが、募集パンフの写真からは見違えるように成長した号外の写真はこの馬の成長力を感じさせた。新種牡馬には手を出さないつもりであったが、比較的安価だったこと、他に候補の募集馬がいなかったことで、出資を決めることとなった。そして、前述のように2歳から走ったのだが、全くお話にならない状態で2歳戦を終了することになる。

毎年のことながら、当然この年も次年度の募集馬パンフが夏に届いた。第一印象は父コマンダーインチーフ 母ヒガシオリビア(by サクラユタカオー)。以前所属していたJOY(現セゾン)でも母ヒガシオリビアの産駒が募集されたことがある。名前はラスカシュロス。未勝利で終わったが、なぜかとても気になる存在であったことも理由に挙げられる。この年の募集馬パンフは血統表(ブラックタイプ)が全募集馬で割愛された箇所があり、未勝利だった兄姉の名前は記載されていない。募集馬が何番目に生まれたのかも分からないものであった。検討には兄姉の成績や、生まれた順番も私にとっては一つのファクターとなるもので、これが割愛されたのだからたまらない。ネットで色々と調べる羽目になった。同じように感じた会員さんも多かったようで、苦情があったのか、その後のシルクでは意図的な割愛はあまり行われていない。
第一印象で決めていたものの、出資には至らず、ゆっくりと検討することにした。後のシルクイーグルである。

散々な結果に終わった2006年。例年ならもっと記述することも多く、数ヶ月ごとに分割しながらこの物語を仕上げていくのだが、この年に限っては記述するほどのこともあまりないため、駆け足で振り返ることとした。
さて、2007年はどんな年になるのであろうか?

続く:愛馬4頭(パスワード/1勝、チャプター/2勝、リベラル/未勝利、イグニション/未勝利)

愛馬物語28

2010-12-04 | 愛馬物語
続き:愛馬5頭(エディフィス/1勝、イノセント/1勝、パスワード/1勝、チャプター/2勝、リベラル/未勝利)

一口人生初のG1(秋華賞)に登録したシルクチャプター。芝のレースを走ったことがないのに陣営が登録してくれたことが嬉しかった。結果的に登録のみで終了したのだが、漸く一口の醍醐味を少しだけ味わったかのように感じた。

そんな折、私の人生も大きな転機が訪れる。初仔?の誕生である。私のようなデタラメな人間も一人の親となったわけだ。初仔が生まれる2日前にエディフィスが出走。前走で見せた能力は500万下のそれではなく、明らかに上級条件を思わせるものだった。しかもまだ1勝馬(中央)だったために、もう一度500万下でレースができる。これはもらった!
しかし、この日のエディフィスはいつもと違い、前々で競馬をすることができなかった。重馬場が影響したのか?京都コースが影響したのか?中段からのレースのまま結果は6着。単に着順だけ見れば十分な内容だったものの、前回同じ条件で優勝していることを考えると残念な結果だった。

初仔が生まれた週にはイノセントが秋元湖特別(福島)に、秋華賞の出走をやめたチャプターが河口湖特別(府中)にそれぞれ出走。愛馬が揃って特別レースに出走することになった。多分2連続で愛馬が特別レースに出走したことはこれが初めてではなかっただろうか。しかも自分自身にも初仔が生まれた週である。何かある→優勝する?そう感じた。
まずはイノセント。前走初ダートを使われて殿負けを喫していたためか、陣営からの勝負気配も感じられない。今回芝に戻ったにもかかわらず、鞍上には武英智。明らかに今までの鞍上からはレベルダウンが否めない。芝なら勝負になると感じていただけに、この采配には?であった。10番人気と評価は落としていたものの、イノセントは頑張った。馬券には絡めなかったものの、5着と健闘。チャプターにバトンを渡した。
チャプターの出走する河口湖特別は新宿の場外で見たことを記憶している。確か、生まれた初仔に会いに行く途中だったような気がする。そしてパドックにチャプターが現れるのだが、どうしたことか馬体重が-20キロでの出走。輸送が響いたのか?調整ミスか?ただ、ダートでは安定しているし、ここも通過点だと信じていた。レースは積極的に攻めていくが、やはりマイナス体重が影響したのか直線でバッタリ止まり、初の2桁着順(12着)という大敗を喫してしまったのである。期待が大きかっただけに落胆も大きかった。
この後イノセントもチャプターも引き続き使われたのだが、両馬とも輝きを取り戻すことなく、2005年を終了した。

期待の2歳リベラルも順調に使われているのだが、精彩を欠き入着もできない状態でこの年を終了。大将格であったパスワードも放牧から帰厩し、12月に復帰戦を迎えたが、6着まで。
エディフィス・チャプターの活躍があり秋祭りの兆しがあったが、残念ながら続くことはなかった。

リベラルの世代から数年、世代1頭の出資となるのだが、リベラル以降はこの時出資していなかった。1頭のみと決めていたことも出資検討に時間を要した。2004年産駒募集では、芦毛のミシル産駒に心を奪われていた。のちにシルクミサイルと名づけられることになる馬である。が、1歳時にノド鳴りの症状が現れたことが公表されたことにより、出資を断念。ノド鳴りは実に厄介な病気のひとつであり、ホルダーのことが頭をよぎったことは言うまでもない。またこの世代には出資意欲を掻き立てる馬が少なかったようにも思う。例年は、5頭以上はいるのだが・・・。

結局、2005年はチャプター2勝、エディフィス1勝の計3勝止まり。目標の4勝には届かなかった。この4勝という数字。以降数年目標の数字となった。

続く:愛馬5頭(エディフィス/1勝、イノセント/1勝、パスワード/1勝、チャプター/2勝、リベラル/未勝利)

愛馬物語27

2010-08-28 | 愛馬物語
続き:愛馬8頭(エディフィス/未勝利、イノセント/1勝、パスワード/1勝、チャプター/1勝、フォートレス/未勝利、ラヴリー/未勝利、リベラル/未出走)

暑さが日に日に増してきた7月、例のごとくシルク募集パンフレットが送られてきた。毎年この時期を楽しみにしている会員さんは多いのではないだろうか?私ももちろんその中の1会員である。この年もなかなかの募集頭数である。その中で1頭目に留まった馬がいた。ミシル産駒の芦毛馬。募集価格も1000万円と非常に手頃。元々、ミシルという種牡馬には非常に注目しており、さらにここまで芦毛馬に出資したことがなかった(※イノセントの公式登録が芦毛であったが、シルク募集時は黒鹿毛であった)。また、馬体も非常に良く、丈夫で長持ちしそうなこの馬に俄然注目したことは言うまでもない。この年の1頭は早くも決まったかに思えた。しかし、同年末にノド鳴りの症状が出たため、敢え無く断念。軽いものであれば出資していたかもしれないが、手術という言葉に出資意欲が低下した。

さて、現役愛馬はパスワードが北海道へ遠征。チャプターは福島とそれぞれが活躍の場を求めた。まずはチャプター。前走の鮮やか過ぎる未勝利戦勝利から福島500万下に中舘騎手で出走する。福島D1700mが舞台だ。前走も先行からの快勝だったため、中舘騎手が乗ることで、逃げることは火を見るより明らかであった。レースでは予想通りハナを切り快調に逃げていく。2番人気を背負っていること、昇級戦で古馬との初対戦も加味すれば、もっと慎重に行くべきだったであろう・・・が、私もチャプターならどんなレースをしても連勝は濃厚であると考えていた。しかし、やはり目標にされたのか、1番人気・3番人気の古馬に差され3着でレースを終えた。非常に残念ではあったが、3歳馬では最先着を果たしており、また昇級初戦で3着であれば先々が楽しめる。秋には・・・と思える内容に期待が膨らんだ。
一方のパスワードは北海道遠征。実はこの遠征が今後のパスワードに影響したと言ってもいいかもしれない程の迷走に終わることになる。まず函館D1700、距離は若干長いかと思われたが、能力的には通用するはず。1番人気に支持されるも結果は4着。勝ち馬からは放されたものの、最低限の結果は出ており、すぐに順番が回ってくるものと思えた。実際、勝ち馬はこの後、急上昇し準OPまで上り詰めるのだから、負けても仕方がない相手だったといえよう。ここまでは良かったのだが、ここから歯車が狂い始める。次のレースが函館D1000m。確かに1400mで結果を出してきた馬ではあるが、1000mの馬でないことははっきりしていた。この出走に疑問符を投げた出資者も多いのではないだろうか。私も???ではあったが、1勝しているアドバンテージがあるため、色々な条件を試すのもいいかと自分を納得させた。しかし、やはり1000mのスピードについていくことができず、9着惨敗。次に選択したレースは芝1200m。パスワードの芝適正は未知数ではあったので、芝を試してみたいという気持ちはあったものの、どうせならもっと距離を伸ばしてもらいたかったというのが正直な気持ちであった。芝1200mはやはりスピード勝負。ついていけない時点でレースは終わる。実際パスワードも着いていけず13着と初めて2桁着順を味わうことになる。これがもっと距離の長い芝のレースであれば・・・。といまさらながらに思う次第である。結局この北海道遠征は失敗に終わり、パスワードの夏が終わった。

8月はもう1頭出走している。それは期待の2歳馬シルクリベラルである。デビュー戦が8月6日。過去の愛馬では最短記録である。愛馬が2歳夏にデビューすることなんて今までになかった。そしてデビュー戦は鞍上に田中勝J。嫌でも期待してしまう。血統から明らかに不向きであった芝1200mに出走したのだが、4番人気に支持された。しかし、やはり彼には忙しすぎたか8着惨敗。舞台を芝1800mに移した次走で6着と進歩は多少できたように見えた。ただ、同時にスブさも分かり、使いつつ慣れるまで時間がかかりそうだということは分かった。

暑さも和らいでくる9月に突入する。その9月から愛馬ラッシュが開始されたのである。まずは骨折休養明けから戻ってきたイノセント。1年3ヶ月振りのレースである。舞台は小倉芝1200m。デビュー戦も未出走馬ながら経験馬相手に横綱相撲だったイノセント。長期休養明けでも・・・と思ったものの、やはりブランクの影響か11着に惨敗。次のレースでは鞍上に熊沢Jを迎え、阪神芝1200mに登場。復帰初戦より明らかに状態が良くなっており、7着でレースを終える。熊沢Jからも「この馬走りますよ」というコメントをいただき、今後の活躍を夢見ることになった。
続いてパスワードが登場。北海道遠征は失敗したものの、舞台を得意の阪神D1400mに移し仕切りなおしである。鞍上に小牧Jを迎え堂々の1番人気。しかし、ここでも単勝122倍の馬に激走され、3着確保が精一杯。能力は上位であることは間違いないが、どうも運にも見放されてると思えてきた。
パスワードが3着に破れた翌日、再ファンドで復活したエディフィスが登場する。阪神D1800m。鞍上はもちろん石山J。園田で4戦4勝の成績を残したとはいえ、やはり中央未勝利馬とあっては信頼がない。11頭中7番人気でレースを迎える。園田で鍛えたのか、いきなりハナを切るエディフィス。しかも道中も楽に走っている。元々中央でも未勝利の身であったものの、2着2回3着1回の成績を残しており、500万下でも十分戦えるレベルにあった。そして先頭で最終コーナーを回る。待望の1着が目の前まで迫るものの、1番人気馬にしっかり捕まり2着。やはりこの馬は中央で勝てないのか・・・!

歯がゆい愛馬のレースが続いた9月であったが、よく走ってくれた。そして10月に入ると、勝利にもっとも近いチャプターが復帰戦を迎えることとなる。10月1日、そのチャプターの復帰戦の前に、エディフィスが出走する。前走は2着。1着馬とも着差があったために、強気にはなれなかったが、下手なレースはしないと思っていた。主戦の石山Jが怪我のため、上村Jに乗り変わっていた。前走はハナを切ったが、今回は控えた。逃げているのは岩田Jの1番人気。ちょっと楽に逃がしすぎている感があったが、エディフィス自身も折り合っている。そして4角を回り直線に入る頃には逃げている馬がエディフィスにセーフティーリードをつけている。今回も2着か・・・そんなため息がでた残り100mでエディフィスに追い風が吹いてきた。先頭の馬がアラアラになり、それをめがけてエディフィスが襲い掛かる。リードはまだある。差しきれるのか?不安がよぎるが、エディフィスの脚色がいい。見る見るうちに先頭とのリードがなくなり、ゴール板では3/4馬身前に出ていた。念願の悲願の優勝がやってきた。園田4戦4勝は伊達ではないことを証明して見せた。この勝利は本当に嬉しかった。ダート中距離で必ず走ると思って出資した。ここまで長かったが、ようやく結果となって帰ってきた。500万下のレベルではない。そう確信したレースでもあった。
余韻に浸るまもなく翌日、チャプターのレースがやってくる。舞台は札幌D1700m。鞍上は若き松岡J。1番人気に応え堂々の優勝。勝って当たり前と思わせる内容に、心が躍る。この勝ちっぷりに、秋の活躍を考えない日はなかった。私と同様陣営も手応えを掴んだようで、G1秋華賞に登録してきた。芝のレースは使ったことないが、結構やれるんじゃないか?と思った。結果的に登録のみで、ダート路線を歩むことになるのだが、この登録は本当に嬉しかった。実際に走ってもらいたかったという気持ちもあるが、一口生活至上初めて愛馬がG1の舞台に上がる寸前までいったことが素直に嬉しかった。

一方で、結果の伴わなかったフォートレス、ラヴリーが相次いで引退した。

続く:愛馬5頭(エディフィス/1勝、イノセント/1勝、パスワード/1勝、チャプター/2勝、リベラル/未勝利)

愛馬物語26

2010-08-14 | 愛馬物語
続き:愛馬8頭(ホルダー/1勝、イノセント/1勝、パスワード/1勝、チャプター/未勝利、フォートレス/未勝利、ラヴリー/未勝利、リベラル/未出走)

パスワードの勝利から待つこと約半年、歓喜の瞬間がやってきた。主役はシルクチャプター。岡部騎手を背に新馬戦で追い込んで2着も、次走取りこぼし放牧に出ていた。復帰戦は未勝利馬を抱えている身にとってはハラハラしだす時期である。舞台を中京に移し、距離も1700mに延長した。放牧明けではあったが、メンバー的に抜けた馬も存在せず、3番人気に支持される。鞍上は2戦目同様若き藤岡祐。
復帰戦ということもあり、不安がよぎったが、いざレースでは2番手を進み、全く危なげない走りを披露。3角では勝利を意識したほどの安定感、4角から直線入口ではまだ持ったまま。もう既に勝利を確信していたが、あとは何馬身ちぎるかが焦点となる。終わってみれば5馬身差の圧勝。通常愛馬が優勝する時は直線で声が出るものだが、この時は愛馬が惨敗した時同様、全く声も出なかった。ただ、顔は緩みっぱなしだったのは言うまでもない。元々、北海道で1歳時のチャプターを見た時、あまりの素晴しさに見学者一同感嘆したくらいの素材。3歳6月のローカル未勝利を勝ったくらいでは驚けないという自信もあった。

その1週間後、パスワードの復帰戦となる。パスワードもチャプター同様、未勝利快勝後に凡走し、放牧に出ていた。舞台は阪神500万下D1400m。復帰戦がいきなり古馬との初対決となった。このレースにはうちの大将格であったシルクホルダーも参戦。ホルダーは骨折から復帰を目指していた矢先に屈腱炎を発症。約1年半年振りに復帰することになっていた。パスワードの鞍上は赤木、ホルダーは小牧と両馬とも地方出身騎手で挑むことになる。パスワードは鮮やかな未勝利勝ちが影響してか3歳馬にも関わらず1番人気に支持され、ホルダーは屈腱炎による長期休み明けもあり、ブービー人気(15番人気)であった。

私としては「初」の愛馬対決に複雑な心境であった。パスワードについては調教内容から、勝ち負けを意識できたが、ホルダーはとにかく無事に回ってくることだけを願った。実績からはホルダーも負けていない、十分勝負になるとは思っていたが。
レースでは序盤パスワードもホルダーも同じような位置取りを進み、両馬とも楽に追走している。ただ、勝負どころに差し掛かったとき、パスワードは押し上げていく一方で、ホルダーはついていけない。さすがに長期休み明けが堪えたか?そして4角をもったままでパスワードが直線に向いていく。パスワードにとっては完全なる勝ちパターンに持ち込めた。その頃ホルダーは既に画面から消え、後方を追走していたと思われる。ここに新旧世代交代が愛馬内で繰り広げられたと思った。ホルダーはともかく、パスワードの勝利はもう目の前にあり、秋に向けての第1歩を踏み出した・・・と思ったその時、外から猛烈な末脚で追い込んでくる1頭がいる。ホルダーか!?思い起こせば、ホルダーも強烈な末脚を披露したことがあった。しかし、残念ながらホルダーではなく、9番人気の伏兵ミッキーシャーマンであった。この瞬間手のひらにあった「勝利」の文字が跡形もなくこぼれていった。パスワードの上がりより約1秒も早い末脚を繰り出したミッキーシャーマンに脱帽だ。パスワード自身の上がりも2番目ということを考えると、このレースでミッキーシャーマンがいかに次元の違う豪脚を披露したかが分かるであろう。パスワードは残念ながら2着に終わった。
一方のホルダーはさすがに疲れたか、大差の殿負けに終わった。こんな馬ではない。何かあったんじゃないか?という不安が後に的中することとなる。

さて、このレースで負けたとはいえ、強い競馬を見せてくれたパスワード。3着馬以下にも差をつけていた。この条件では明らかに格上だと思われた。実はこのレースで子ども扱いにした馬の中に後のG1ホースであるエイシンディピュティがいたことが後に判明する。条件は違えど、パスワードは後のG1ホースをも撃破していたのだ。当時のパスワードは明らかに輝いていた。

シルクホルダー、2歳時にはいきなり新馬戦で勝利し(同日2頭出し2連勝の片棒を担いだ)、500万下ではもがき苦しむが、見事な脚質転換で勝利はできなかったものの、あと1歩(いや、あとハナ差)まで頑張った。元々ノド鳴りの持病を持ち、骨折の後に屈腱炎を患い、漸く復帰に至ったものの、このレースでまたも屈腱炎を発症。まさに満身創痍でこのレースを走ったことになる。結果引退レースとなってしまった。ここまで良く頑張ってくれた。新馬戦の逃亡劇が目に焼きついている。

ホルダーの引退はあったものの、チャプターが勝利し、パスワードが結果を出したことで、ラヴリー・フォートレスはもがいていたものの、より一層楽しみが増えた。一方で、更なる楽しみがこの時徐々に進行していたのだ。シルクエディフィスの復帰である。未勝利を勝てず一時JRAを引退し再ファンド扱いとなり、園田競馬で走っていた彼がいよいよ戻ってくるのである。晩成の血が騒いだか、園田では4戦4勝のパーフェクトな成績を引っさげてJRAに殴りこむ準備を進めていた。

そして、新たに募集が開始になる時期でもある。個人的には人生の転換期を迎えていた2005年。前年から新規出資を大きく削って(シルクリベラル1頭のみ)いたので、今回も1頭入魂!の思いで、シルクからのパンフレットを待っていた。

続き:愛馬8頭(エディフィス/未勝利、イノセント/1勝、パスワード/1勝、チャプター/1勝、フォートレス/未勝利、ラヴリー/未勝利、リベラル/未出走)