さこういっぱく

「左後一白」は名馬の証です!

悲しみに包まれて

2010-06-03 | Baseball
"Jr.swang on deep right field, to the truck, to the wall, fly away!
Ken Griffey Jr. game winning 2run shot, My Oh my!!"

シアトルマリナーズの名物アナウンサー デーブニーハウスの声が私の頭の中で木霊する。
ついにこの時がやってきた。
ケングリフィーJr.が引退を表明。
一時代が幕を閉じた・・・。

私がMLBに興味を持った年、1989年に彼は19歳という若さでデビューする。
ビックレッドマシーンの一員であったケングリフィーを父に持ち、そのDNAを受け継いだJr.
「モノが違う」とはこのことである。と言えるほどの活躍を見せ付けるのであった。

3拍子揃った選手はいくらでもいる。
しかし、彼はそれに+αの「華」があった。
まさにスーパースターと呼ばれるそれである。
順調にスーパースターの階段を登る彼。
同世代のスーパーヒーローとして、以降私の心に君臨し続けることになる。

彼が不運だったのは、怪我に泣かされたこと。
怪我さえなければ、歴史を塗り替えたに違いない。と思わせるほどの活躍だった。
また、90年代を代表するスラッガー達に薬物疑惑がある中で、
Jr.には疑惑の「ぎ」の字もでなかったことも加筆させてもらう。

生涯630本塁打は偉大な記録として後世に語り継がれていくことだろう。
しかし、本質はスラッガーではないと私は考える。
いや、異質のスラッガーと言ったほうが正解か。
力で持っていくスタイルとは一線を慨し、
そのしなやかなスイングとセンスでボールをスタンドに「運ぶ」。
カンセコ・マクガイヤ・ソーサ・ボンズとは明らかに違いがあると思える。
そんなJr.が630本塁打を記録したことは改めて異次元の世界だったと考えるのである。

オールスターに13度選ばれ、通算打率が.440も驚異的なら、
1995年に出場したディビジョンシリーズでは、強敵ヤンキースから5試合で5本塁打は
マリナーズ至上の残る快挙の1つといえる。

忘れてならないのが、守備。
これだけの成績を残せる選手で守備も凄いという選手は少ない。
彼がなぜスーパースターとなったのかは、この華麗なる守備があってこそ。
守備範囲の広さ、強肩は常にリーグのトップだった。
あのランディジョンソンも何度彼のスーパープレイに助けられたことか。
守備でも観客を唸らせることの出来た数少ない選手だった。

また、愛くるしい笑顔、温厚な性格とどれをとってもスーパースターと呼ぶに相応しい。
この先、確実に殿堂入りし、彼の背番号24はマリナーズの永久欠番となるであろう。
もうこんな選手には巡り合うことはないだろう。

1995年、マリナーズの快進撃。
Rジョンソン、Eマルチネス、Tマルチネス、Jビューナー、キングドームそしてJr.・・・
私にとっての光り輝く年であったことは言うまでもない。
"Magical Mariner Ride in 1995"
今日は昔のビデオを見ながらJr.の功績を讃えると共に、時代の終焉を感じ取りたい。