さこういっぱく

「左後一白」は名馬の証です!

愛馬物語18(師走の中山に散る)

2009-02-28 | 愛馬物語
続き:愛馬7頭(ウイッシュ/1勝、ソウルフルダンス/2勝、トリニティー/未出走、ホルダー/1勝、ハリケーン/未出走、オリンピア/未出走、イノセント/未出走)

一口馬主歴でこれだけ喜んだことがあったでしょうか?人気薄の逃亡劇が見事に炸裂した師走の初日。明日は大雪か・・・なんて思うほど、ビックリしました。一口馬主を続けてよかった。本当に長い道のりだったけど、1日に愛馬が2勝するなんて、最初の頃は想像もできませんでした。だって、それだけ走らなかったもんね。来る日も、来る日も、「○○牧場でダグ○○m、キャンター○○mを乗られています」のコメント。月1の請求書の払い戻し部分は白紙。そんな日が続いてましたから。

さて、そんな主役達は次のレースに備えます。ホルダーは2週後の特別へ、そしてソウルフルは中1週で、な、なんと昇級初戦に格上の冬至S(1600万下)を選択。冬至Sは中山芝2500mで有馬記念と同じ条件です。こりゃ、ぶったまげです。でも、不満は全くありませんでした。というかいい勝負ができると思ったもんです。ダートで勝ちあがりましたが、元々デビューは芝で3着という結果も残していますし、DID×リアルSの血統から芝の適正を疑う余地はありません。しかも、いくら500万下とは言え、9ヶ月の休み明けで昇級初戦をあの強い勝ち方。素質がなければできない芸当です。当然、陣営もその可能性に賭けたのだと思います。
中山で出走ですから、もちろん応援に行くことに決めました。今のように口取りなどできる時代ではありませんでしたが、もし、この時にも口取りサービスがあれば、確実に申し込んでいたことでしょう。馬より私のほうが熱くなっていました。だって、初の準オープン戦ですよ。新聞を買って、相手を調べます。さすがに準オープンだけあって、強そうなお馬さんがゴロゴロいます。だって、普通に重賞に出ていた馬や、クラシックやG1、そのトライアルに出走していたメンバーが相手なんですよ。おいおい、って感じです。でも不思議とビビらなかったなあ。それだけ自信があったんですよ。私は普段あまり、愛馬が出走する時は周りの人に伝えないようにしています。ですが、さすがに今回は別。職場の人にも「明日、うちのがでるんですよ。」ニコニコしながら報告したっけ。前日の競馬予想TVでは、血統の水上さんが「今週の狙い目」でソウルフルを指名してくれたっけ。もう有頂天。そんな私に悪魔が忍び寄ろうとしていたとは全く気付くこともなく・・・。

12月15日、運命の日が始まります。友人と2人で、いざ中山へ。正直その後に起きたことが大きすぎて記憶が殆どないのですが、多分1Rから行ったんじゃないかな?東中山からバスで競馬場へ。入場券を購入し、いざ出陣。と思った時、私の目に飛び込んできたのは、「ユニセフ募金」。うん、今日は気分もいいし、募金しよう!競馬場で募金するなんて、今までしたことなかったんですけど、この日は募金をしたんですね。それはハッキリ覚えています。その後ソウルフルの出番までは何をどうしていたのか殆ど覚えていません。時間が近づくに連れ、ドキドキ感が増していくのが分かります。10R冬至Sの前9Rあたりから、パドックでポジションキープ!9Rが終わり・・・いよいよソウルフルが登場です。

1番、2番、3番、と中山のパドックに競走馬たちが姿を現します。いつも思うのですが、あの暗い馬道から愛馬が現れる光景って最高ですよね。ソウルフルは11番目に登場するのですが、さすがに準オープン。1番マイネルライツを見た時、「こりゃ、ヤバイ!」と思いました。明らかに馬が違います。この時初めてビビりました。相手になるんだろうか・・・。そして・・・

ソウルフルの登場です。1歳に北海道浦河の鎌田牧場であって以来の生ソウルフル。見た瞬間「す、すば、ら、しい・・・」。その馬体は私が追い求めていたそれでした。僅かに華奢に見えるも、マラソンランナーはスマートなもの。他の馬に全く見劣りしません。親の欲目かもしれませんが、出来は1番だと本気で思いました。と、同時に久しぶりに遭う彼の成長に感嘆し、幼かった彼を思い出し、人生で初めて親心が芽生えました。メロンパンナのメロメロパンチを食らい、もうメロメロでございます。彼しか見えません。そして、初めてオープン馬を現実的に意識し、将来は重賞で活躍する姿を思い描いていました。「ここを勝って、天皇賞春・・・そして1年後に有馬記念出走」

鞍上はオサリバンから乗替りで後藤騎手。文句はありません。返し馬で走っていくソウルフル。こりゃ、本当に勝っちゃうかも?ドキドキ感は最高潮。そして運命のゲートが開かれることになります。

一斉にスタート、ソウルフルは中段につけます。「後藤、なぜ行かない!」先行力が持ち味のこの馬にはありえない位置取り。もしかすると、行けなかったのか?いやいや、そんなことはないでしょう。とりあえず、不安な出だしです。そして、私の目の前を過ぎていきます。位置取りは変わらず中段。でも折り合っているようにみえました。しかし、いい走りです。これなら最後の直線で先行集団を捉えることができるかも?そして馬群は向こう正面にさしかかります。ソウルフルは以前中段をキープ。動く気配はありません。3コーナー手前で後藤の手綱が動きます。「あれ?ちょっとおっつけているようだけど・・・大丈夫かな?」3コーナーは私のいた位置からでは丁度オーロラビジョンと重なっていて、上手く見ることができません。そして、悪魔が舞い降りました。

「おーと、1頭ずるずる下がっていきます。どうやら競走中止のようです」

本当にこんな実況だったかは定かではありませんが、私は瞬時に「ソウルフルだ!」と感じました。多分、いや確実に私は悪魔の気配を感じ取ったのだと思います。モニターに映し出された彼は・・・絶望的でした。
思えば、丁度1年前、私の前に悪魔が舞い降りたことをすっかり忘れていました。シルクダイレクト・・・目の前で悪魔に奪われた愛馬です。まさか、また起こるとは・・・。あまりにも残酷な結果です。これだけ思い入れの深い愛馬まで持っていかれるとは思っていもいませんでした。ダイレクトの事故以降、愛馬の応援には行っておらず、ダイレクト以来の愛馬応援なのに。ダイレクトの時は、「これも競馬だからしょうがない。」と割り切れる部分もありましたが、ソウルフルの時は全く割り切れなかった。ダイレクトとソウルフル。比べるべきではないんだけれど、失った大きさは圧倒的にソウルフルが上回っていました。パンフレットで一目惚れし、1歳の時に牧場で出会い、その後の成長をわが子のように思い、結果に一喜一憂し、理想とする競走馬に成長し、初めてのレース観戦でしたから(もちろんダイレクトも可愛い愛馬に違いはありませんよ。)

その後のことは殆ど記憶にありません。僅かにある記憶は「イタイ。イタ過ぎですわ。」と何度も友人に口走っていたこと。メインRも見る気力もなく、帰宅したことくらいですか。もう結果は分かっているのに、家に帰り、「予後不良」の文字を見た時の脱力感といったら自分で言うのもへんだけど、凄まじかった・・・。

しかし、現実は受け止めなければいけません。割り切るのに時間はかかりましたけど、このおかげで一口感がグッと変わったことは言うまでもありません。「これも、競馬なんだ。走る為に生まれてきて、その舞台で命を落とすこともあるんだ。毎年、数千頭以上堵殺されていく名もなき競走馬達に比べれば・・・」と。肩の力を抜いて、応援していくことが私の一口人生なんだと。

そうは思っていても、やはり舞台の中山競馬場に愛馬応援をしに行くことは、あれ以来一度も達成されていません。やっぱり嫌ですね。もう少ししたら、殻を破りたいとは思うのですが。
そして、愛馬の出走をあまり公表しないこと。一口やってる人ならいいでしょうけど、それ以外の人だと結構辛らつな言葉を浴びせられますので(当人はそんな気持ちは一切ないんでしょうけど)、その度に凹みます。
それから、いつもしないことはすべきじゃないですね。競馬場で募金なんてするもんじゃないって思ってます。

寒風吹きすさむ師走の下旬、大好きな中山大障害も見ず、有馬記念もせず、私の心はすっかり雪に埋もれたかのようでした。事故当日に撮った数々の写真は、今でも現像することができません。もうソウルフルはいないのに、月遅れでやってくる会報には在りし日の輝かしい写真が一面にあり、その後優勝ビデオが送られてきて・・・複雑な気分でした。12月は初日に天国を見、その後僅か中1週で地獄に落とされるという経験をした月になりました。

意気消沈しているなか、ホルダーが樅の木賞に出走するもブービー。現実の厳しさを味わうのでした。

続く:愛馬7頭(ウイッシュ/1勝、トリニティー/未出走、ホルダー/1勝、ハリケーン/未出走、オリンピア/未出走、イノセント/未出走)