さこういっぱく

「左後一白」は名馬の証です!

8・12 日航機墜落

2008-08-12 | 今日のコメント
今日は、日航機123便が墜落した日ですね。
1985年8月12日でした。
あの時私は、中学3年生で千葉の習志野にいました。

この年は色々なことがあった年ですね。
野球では「阪神優勝」、「PL旋風」。
競馬では皇帝ルドルフが競馬会を制圧していました。
私生活では「なおみちゃん」という転校生に魅了され、
受験どころの騒ぎではなかったです(汗。因みに実らぬ恋でした・・・)

そんな年の一番の出来事はやはり日航機墜落でしょう。
ただ、他のことはかなり鮮明に覚えているのですが、
この出来事はうっすらとしか覚えていません。
あんな大事故だったのに。
大きな理由の1つに、次の日(13日)にクラスメイト8人で
「ねずみの国(ディズニーランド)」にグループデートをすることに
なっていたのです。
普通のイベントなら、記憶にも残らないのでしょうが、
愛するなおみちゃんも一緒でしたから、
そりゃもう、私の頭の中は「なおみ」一色だったことは間違いありません。
その証拠に、デートのことは殆ど色あせずに思い出せるからです。
(記念写真も撮っていないのにですよ)
日航機墜落直後で思い出せるのは、
12日のニュース速報で驚いたこと、習志野自衛隊から飛び立ったヘリ群(尋常な数じゃなかったです。多分、墜落現場へ急行したものだと思いますが、定かではありません)を見て、スゲーと思ったこと、
ディズニーからの帰り道に、生存者がいたことを新聞で知ったこと位です。
詳細は全く記憶にありません。

また、13日には高校野球(PL対高知商業)が行なわれることになっており、
こちらのほうが興味あったと思います。(PL、桑田・清原 対 今となっては名前を出すのも躊躇う元横浜-中日の中山)
この試合も強烈に残っています。(熱闘甲子園で見ました)

それから、当時私はマニアではありませんでしたが、
飛行機が好きでした。よく空を見上げたものです。
ですので、咄嗟にこの墜落事故をシャットアウトしていたのかもしれません。

年が経って、最近この事故について興味が出てきました。
色々な資料を読むうちに、1つ疑問が湧いてきたのです。
それは真相は究明されたのか?ということです。
発表では圧力隔壁の破損が原因となっていますが、
本当なの?と思うようになったのです。
ていうか、その当時うっすら感じた記憶が蘇ってきました。

当時、少しだけ興味があった飛行機のことですので、
もし空中(高い高度)で機体が破損し、穴やら亀裂が入ったら
どうなるのか?少しだけですが知っていました。
当時の疑問は、
「飛行機の外に投げ出された人はなんで誰もいないんだろう?」
というものでした。
通常、そのようになれば、荷物はおろか、人も飛んでいってしまうと
思っていたからです。
長い間、すっかり忘れていました。
でもやはり注目していた人はいるんですね。

調べるうちに、生存者や状況を考えると
事故調査委員会の結論には疑問が残ります。
仮説も色々出てきました。
自衛隊の誤射、米軍の誤射、という人為的ミスです。
確かにどの仮説にも説得力があり、非常に興味深いです。
私は素人ですから、詳しいことまではわかりません。

でも、本当の原因が違っていたら・・・。
ゾッとしますね。
そして亡くなった方々があまりにも可愛そうです。
当時はない感情でした(自分とは関係ない話だと思っていましたので)
が、年をとり、子供が出来て感じること。
もし、自分の子供が巻き込まれていたら・・・と考えるようになりました。
日航機にも数多くの子供達が乗っており、犠牲になっています。
明らかに小さい腕や、足などを見つけるたびに、
事故現場にいた人々の涙を誘ったと、ある記事は伝えていました。
もし、私が今その現場にいたら・・・想像を絶する光景を目にしたら・・・
考えるだけで涙が出てきそうです。
子供が犠牲になることが、正直一番辛いと思います。
それだけで胸が痛みます。

今になって興味が出るなんて、なんだか不思議な気分です。
それと同時に、その時生きていたにも関わらず、記憶が曖昧な自分にも
驚いています。
悲惨な事故でした・・・ではかたずけられない何かが存在するような気がしてなりません。

全く関係のない私が言うのも変ですが、しかも長い年月が経っていますが、
亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りします。