さこういっぱく

「左後一白」は名馬の証です!

愛馬物語4

2007-10-01 | 愛馬物語
続き・・・(愛馬5頭:サンフラワー・ダイレクト・ウイッシュ・エージェント・エクセレンス)

2000年が幕を明け、私もウイッシュ・ダイレクトの追加出資を実行し愛馬が過去最高の5頭を記録することになりました。しかしながら、期待して出資したサンフラワーはいつになっても調子が上がらず、入厩できません。さすがにイライラし始めます。周りの一口仲間からも馬鹿にされる始末。段々シルクが嫌になってきました。走らない・情報ない・勝負服かっこわるいの3点セットが私の頭でリフレイン。そんな時に転機が訪れます。

会社の先輩が私に影響され?一口を始めることになりました。その時、色々なクラブのパンフを取り寄せ、検討に花を咲かせます。結局その先輩はロードに入会することになりました。彼は一気に3頭に出資をして私を驚かせます。(先々この3頭が全て勝ち上がる快挙をやってのけるのです。3頭で6勝です。唖然です・・・。しかも満口で出資を諦めた1頭がいましたが、それがレデイパステルだったのですから、もう何も言うことはありません。)

私も彼に影響されました。もうシルクでの出資はしないと決め、別のクラブを選定することにしました。そんな折、1冊のパンフが届きます。宛名は『JOYレースホース』そのパンフに衝撃を受けました。クラブの代表馬にリアルヴィジョン。その他にも知っている馬が多数。(トップコマンダーはこの後だったと思います)勝負服も赤と白のストライプで私の心を動かします。しかも、勝てば無料でビデオが貰え、副賞もオークションでいただける、馬名がかっこいい、いい騎手が乗ってくれるなどの得点満載。完全に虜です。「これでシルク地獄から逃れられる・・・」

そのパンフの中でまさにインスピレーションを感じた馬がいました。父ダンスインザダーク 母ノックマイソウル(リアルシャダイ)。素晴らしい馬でした。一目ぼれです。しかし当時の私には募集価格2800万はとても高価。でもどうしても欲しいと思った私はキャッシングをして購入するのでした。その馬は後に2勝を挙げるソウルフルダンスです。シルクの募集馬とは馬の質が違うぜ!・・・単純な私はそんな錯覚を覚えました。
そんな検討を行なっている最中にシルクサンフラワーが案の定、脚部不安で引退。「そら見たことか!俺の選択は正しかった・・・。」と思うのでした。

その夏、タイムリーなことに当時の会社の社員旅行がなんと北海道。これには飛び上がって喜びました。ただし、行き先は「ルスツリゾート」スキー場などで有名なところです。日高とは正反対。しかし、馬好きが北海道で黙っているわけがありません。自由行動の前日、レンタカーを手配し、自由行動当日の朝4時半にロードの先輩と共に、日高へ向け出発です。いったいどれくらい車を運転したのかなあ。5時間くらいはかかったような気がします。なんといっても一番の目的はソウルフルダンスに会うこと。牧場は浦川町の鎌田牧場。事前に予約を取っていました。

鎌田牧場での見学は凄かったなあ。いきなり牧草地に案内され、中に入れてもらえました。「えっ、こんなところ入っていいの?」すると、牧場の方がソウルフルダンスを呼んでくれます。「ノーック!(まだ名前がついていないので、母馬の名前で呼んでました。」するとどうでしょう、それまで遠くで牧草を食っていたソウルフルが仲間を引き連れてこちらにやってくるではないですか!そして体を触り、なでなで。私デレデレ。いやはや恐縮です。ちなみに先輩はソウルフルに膝を噛まれました。いつか大きくなったら、競馬場で会おうね!

鎌田牧場の他に色々なスタリオンを回り、気が付けばもう夕方。あっという間の1日でした。素晴らしい時間をありがとう!って感じです。この時はシルク関係の牧場は見向きもしませんでした。あっ、そうだロードの先輩の愛馬を見に、当時の花形であったファンタストにも行ったなあ。その時、場長が「お前らにいいもの見せてやる」といって引っ張ってきた馬がいました。「どうや、凄いやろ、これは凄い馬になるぞ」その馬は、父シーキングザゴールド、母ウインドインハーヘアの牝馬。そう後のレディブロンドです。(ディープインパクトの姉っすね)5歳未出走で、正直大した馬じゃなかったと思っていたのですが、デビュー後5連勝を決め、スプリンターズSでも4着。やはり凄い馬でした。その弟がディープでしょ。やっぱ凄い馬なんですね。場長は正解でしたね。

こうして、JOYが大半を占めシルクは脳裏の片隅へ追いやって行きました。愛馬5頭(ダイレクト、ウイッシュ、エージェント、エクセレンス、そしてソウルフルダンス)。その年のシルクの募集馬には見向きもしませんでした。

つづく。