思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

ミニコミ誌『野宿野郎』の高尾山頂野宿に参加した 

2006-09-19 19:00:35 | 野宿
2006年9月19日、東京都八王子市にある高尾山の山頂にある二等三角点(599m)。そしてその後方にあるのが、今回、「野宿野郎」たちが「のじゅくの日」を祝い、寝床にした東屋。(おそらく今年一番の)この上なく清々しい朝を迎えることができた。


昨夜から今日の午前にかけて、16日に発売された週刊誌「AERA」06年9月25日号の63ページでも取り上げられたミニコミ誌『野宿野郎』の野宿の催しに参加した。今回は東京都八王子市の高尾山(599m)の山頂で行なわれた。僕は7月下旬の銀座→勝どき橋野宿に続き、2回目の参加。

これは『野宿野郎』のウェブサイト内にあるブログの、9月19日の「のじゅくの日」を祝う? という告知で知ったのだが(なぜこの日に設定しているのかは、『野宿野郎』本誌もしくはウェブサイト内のブログを参照のこと)、昨日は台風の影響もあって夜も雨が降るのか否かが気になり、しかも前日に友人と終電まで飲みに行ったおかげで二日酔いだったこともあって体調もやや悪く、行くのを少し迷っていた。
が、ブログの告知最後の「来れるもんなら来てみやがれっ!」というかとう編集長の挑発的な文句が引っかかっていたので、登山に一家言ある僕としては、たとえいかにも観光地という様相の高尾山であったりなかったりしても一応はそこもれっきとした山で、そうなると聞き捨てならんっ! なんか登山者全体が舐められている気がするぞっ! ということで、なにくそっ、と少々興奮しながらその話に乗ることにした(最近、かとう編集長の文体が伝染しつつある)。

ただ、僕は19日は休みではあっても18日は出勤だったので、野宿の前段階の高尾山中腹で夏期に開設しているビアガーデンに行く話と、それに合わせて運行時間を21時すぎまで延長しているケーブルカーには間に合わず、京王線高尾山口駅に22時すぎに降り立った僕としては、山頂に行く方法は山麓から歩いて登るしかなかった。
で、22時30分にケーブルカーの山麓駅を出発し(すぐそばに旧環境庁が整備した「東海自然歩道」の起点の碑がある)、申し訳程度にある外灯の蛍光灯の明かりと、携行したヘッドライトの白色LEDの明かりを頼りに、真っ暗で人気のない参道を額や背中から大汗をかきながら登り詰めていった。
心配していた天気は夕方から徐々に良くなり、登り始めた頃からは空には数日ぶりに星が瞬いていた。途中、ケーブルカーの山頂駅からは東京都心や横浜の夜景がバッチリ見え、しばし見とれたりもした。
そういえば、高尾山は過去に5、6回あらゆるルートから登ったり降りたりしていて慣れているつもりだが、真夜中に来るのは初めてで、いつもと雰囲気が違う。明るい日中とは異質の真っ暗闇の景色のなか、“ひとり肝試し”状態で風の音を聞きながら進む。
ただ、山頂手前の薬王院は夜間は通行できないために1か所だけ道に迷い、日付が変わる0時までに山頂に到達できるかどうか微妙だなあ、と少々焦りながら、真っ暗闇のなかでほかのルートを探りながら早足で進む。やはり夜の登山は暗いぶん難易度がちょこっと上がる。

そして結局は山頂には0時の3分前に辿り着き、なんとか日付が変わる前に告知にある山頂そばの東屋でほかの参加者と合流できた。今回は翌19日が平日ということもあってか編集長を含めて3人編成と少なく、僕が飛び入りで加わって4人になった。
ホントにある意味奇特な全員が揃って19日を迎えたところで「のじゅくの日」を祝うクラッカーを鳴らし(まあ今回はほかに誰もいない山頂だから周りにそんなに迷惑にはならないか)、これまた祝いのケーキが振る舞われ、その後は各々が持ち寄った酒やつまみを飲み食いしながら、こぢんまりと、だらだらと、ゆるゆると、今後の野宿企画の展望や下ネタを交えながら、深夜の山頂で「のじゅくの日」を噛みしめた。結局、全員が寝袋に入って寝る体勢に入ったのは今回も3時頃だった。
ちなみに、僕は今回は大学時代から12年来愛用しているゴアテックスを採用したシュラフカバーのみで寝た(東京都新宿区高田馬場の登山用具店・カモシカスポーツオリジナルの青色)。山岳部・ワンゲル出身者ならわかると思うが、今の時期の標高の低い山や北海道以南の平地であれば、寝るときはこれだけで充分なのよね。

そして翌朝、と言っても寝付いてから3、4時間しか経っていない6時か7時頃に太陽の陽射しがカッと力強く照る頃になると各々が適当に起き出したが、湿度は低くてよく晴れた清々しい朝になったため、僕以外の3人は2度寝に入り、結局全員が再び起きたのは9時前になった。
実はその間にもほかの登山者(大半が50代以上と見られる)がぽつぽつと山頂に登ってきて、東屋を占拠している僕らに対する白い目もうすうす感じていたので、深夜の酒宴の残り物を少し味を変えてから片付け、身の回りを掃除し、10時すぎに東屋を離れた。

一応ここでの野宿について補足しておくと、高尾周辺は明治の森高尾国定公園の範囲内なので、国立公園と同様に指定地以外の場所でのキャンプ(テントの設営)は不可であるが(テントは法律上は建造物とみなされるため)、寝袋のみで寝るぶんには何も問題はないはずだ。それに、たとえ国立・国定公園内であっても、東屋という人工物の床やベンチ(木・コンクリート・モルタル)の上に長期滞在するわけではなくひと晩だけお邪魔するだけなんだから、すでに自然のなかに思いっきり人の手が加わっているその上であればテントを張ってもべつに問題ないと思うのだが、お役所関係の方々、どうだろう? まあ今回は天気が良かったので寝袋だけで済んだから良かったけど。

さすがにこの時間になるとすでにケーブルカーの運行は始まっているから、僕らが山頂から下山しているときは逆にふつうに登ってくる登山者と多くすれ違った(平日午前なのに、50~60人くらい)。やはり東京都内でも特に有名で交通の便も良い山だから、そのくらいの人数は日常茶飯事か。
それにしても、参道は下水道や環境整備の工事を施している箇所が多く、登山者の通行にも響いていたのだが、なんでだろう? というのが昨夜から気になった。以前は工事なんてほとんど見かけなかったが。現在、麓で延伸工事中の圏央道の影響なのだろうか。

そして、11時すぎにケーブルカー山麓駅、さらに徒2分の高尾山口駅に到着し、ここで解散。また野宿のあとのやや寝ぼけた頭と汗でべたついた肌を家へ持ち帰ることになった。しかも平日なのでちょっとした罪悪感もあるが、でもまあ、ちゃんと休みを取ったりして時間を作ったうえで「高尾山頂で野宿する」という確固たる意志のもとに4人とも集まった(と思う)から、何の目的もなく惰性で生きている人よりは少しは僕らのほうが主体的に行動しているぶんましだと思う。そう考えると『野宿野郎』でかとう編集長が言うほどは、現代社会のなかであえて野宿が好きだ! と公言したり、実際に野宿したりしたとしても、人生はそんなに低迷してはいないのかもしれない。

発行日は未定だが、近日中に発行されるらしい『野宿野郎』の5号に、今回の催しの感想か何かを書け、と下山中に編集長に言われたのだが、とりあえずは久々の夜間登山が楽しかった、ちょこっとだけ野生の勘を取り戻した気がする、ということしか思い浮かばない。僕は基本的に面白おかしいことは書けないから、難題だな。まあこれは宿題にしておいて、後日じっくり考えることにする。
また近いうちに野宿の催しがある、らしい。でもまずは5号の発行が急務なのかな。僕も誌面のどこかで登場するかもしれない。


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