アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

真説 国定忠治 其の参拾五 ○連累者への判決

2013年09月29日 | 近世の歴史の裏側

 

   差上申一札之事

 国定村無宿忠次郎、所々悪事いたし申付一件、再応御吟味 之上、

 左之通り被仰付候。

一、次郎左(右)衛門、七兵衛儀は、次郎右衛門沢は、同国境

  町地内外ニケ村、同国神谷封地内外三ケ所、其外銘々野山、

  山林等に於て無宿忠次郎並に国定村清五郎外三人貸元と

  成り、賽賭博催候節に、名住所不存之者共一同手合加り、

  其外次郎右衛門者、忠次郎儀召捕方厳敷、関内立廻り候を

  遠慮し、奥州応へ立退候積存立、元居付近辺に於て右

  路用才覚中、御手配御見逃賈含以て、世良田幸助頼み

  申し、関東取締御出役道案内等相心得候木埼町佐三郎へ

  差送り代金子入用書状、忠次郎申付を受、幸他方支持参り

  忠次郎儀病気付候節に於ては、清五郎え任中、私共申合品々

  世話致し渋沢始末方不屈に付、両人共追放校似付沢。

  

 

                  つづく

 

 

 



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