アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

真説 国定忠治 其の五拾九 忠治処刑の詳細の壱拾

2013年11月30日 | 近世の歴史の裏側

 

 前回の内容は高崎から大戸への忠治護送の行列の順序である。

先頭に棒(六尺棒)を持ち、刀をさした者が二列に並び、

その次ぎに道案内として地元の三の倉村と大戸村惣右衛門がゆき、

続いて沿道の小頭役が続き、次ぎに関八州取締出役、その家来が

続き、処刑の支配役車善七の手下が続いた。その次ぎが、

忠治を所罰することを高札に認めて一般に公示する捨札がゆき、

手伝人足のあとに囚人すなわち忠治の龍が続いている。

最後に岩鼻代官の手代がゆき、手代のあとに下級の武士などが

数知れないほど従っている。

万一途中において、忠治を奪還する者かあるかも知れないので、

警護十分の備えで、あったことがわかる。

                     続く



最新の画像もっと見る

コメントを投稿