前回の内容は高崎から大戸への忠治護送の行列の順序である。
先頭に棒(六尺棒)を持ち、刀をさした者が二列に並び、
その次ぎに道案内として地元の三の倉村と大戸村惣右衛門がゆき、
続いて沿道の小頭役が続き、次ぎに関八州取締出役、その家来が
続き、処刑の支配役車善七の手下が続いた。その次ぎが、
忠治を所罰することを高札に認めて一般に公示する捨札がゆき、
手伝人足のあとに囚人すなわち忠治の龍が続いている。
最後に岩鼻代官の手代がゆき、手代のあとに下級の武士などが
数知れないほど従っている。
万一途中において、忠治を奪還する者かあるかも知れないので、
警護十分の備えで、あったことがわかる。
続く
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