アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

上野国伊勢崎藩と、米沢藩の関係 其の五

2015年05月25日 | 近世の歴史の裏側


公断じて疑わず、在藩の日、幕府を奉じ、士民を撫するを以て己の任となす。

おもえらく幕府を奉ずるは即ち天朝を奉ずるゆえんなり。辺海多事、朝幕不協の際に当り

鞠躬朝廷に畫力す。ついにその忠を諒とし、天下皆其の義を称す。

他に一誠の格す所なき也。公学術を重んじ、暇には即ち国枝に到り、儒臣に経を講ずるを命じ

専ら実学を主とす。傍ら詩及び国歌を善くす。武技に於いてはあまねく通ぜざるはなく、

尤も騎法及び剣術・銃術に精し、常々剛強を以て華族をひきい、撃剣を学習院子弟に教授す、

天子吹上禁宛に競馬を観る。特に公に命じて旧式を用う。公くつわをとり絶駆し

衆よく及ぶものなし。時に年六十をこゆ。其の健かくの如し、性は至孝、晶寿夫人に仕え

少より老に至るも色養衰えず疾病には躬ら湯薬を進じ衣帯を解かず、

既に葬るも毎晨墓を拜し風雨を以ても廃せず、事叡聞に達し面褒嘉し物を賜う、

旧藩士族禄を夫い自ら存する能わざるを憂え製糸場を館山に設け、

大いに産業を興し以て生活に資す、

                                                                                     

                                                                続く



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