差上申一札之事
国定村無宿忠治郎儀、当御関所近辺ニおゐて磔ニヒ抑付、
今廿日(註、寛永三年十二月二十目)大戸村泊り相成候間
村役人差添昼夜警固人足差出、異変無之様心付、村内勿論
村外並裏手迄も繁々見廻り、非常者不及申、囚人え荷担人と
見掛侯ハハ無用捨差可訴上候。警衛等閑有之侯ハハ、可様之
御咎ニも可ヒ仰付候。依之御請証文差上申処如件。
当御代官所 上州吾妻郡萩生村
嘉永三年十二月 与頭 茂 ハ
同断 七郎即兵衛
本宿村
名主 半 四 郎
与頭 与五右エ門
須賀尾村
名主 伊 兵 衛
年寄 勘左衛門
大柏木村
年寄 弥左府門
与頭 治右衛門
大戸村
名主 市郎左衛門
与頭 (欠)
前書御仕置当村も大戸組合之故ヲ以警固人足等差出候儀之旨申
上候処、御聞済相成、右ニ付而者前同様可相心得旨ヒ仰渡承知
奉畏候。依之継添御受申上候。已上
清水領知同国同郡三島村
年寄 太右衛門
名主 権兵衛
林部善太左衛門様御手代
秋 汲 平 様
続く
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