アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

真説 国定忠治 平成弐拾八年 其の十一

2016年09月09日 | 近世の歴史の裏側

豪傑肌、変り者に「他人の企図し難い美徳に」正体の知れぬ僧で、随分面白き経歴にの持ち主で、

藩主の厚い信頼を得て 藩政万端に嘴を入れるようになった。

姉徳に劣らぬやり手である。 高崎藩主が後盾であるから影響力は姉徳以上である。

十月十七日の四千人か参加した直訴の集団示威のあと 大惣代等関係者は解散したと見せかけて 

栗崎村「高崎市栗崎町」地蔵寺に集まって協議を重ねていた、これを知った藩の大目付以下役人は

急ぎ駆けつける 仙岳はこれに同行した。

役人は「検見を実施し不作が判れば必ず免除することを約束するから 穏かに百姓が帰村する

よう村々を纏めよ」惣代らを説得するが両者の溝は埋まるどころか気まずい状態となった 

沈黙か続く中に仙岳か現れて弁舌を振るう。

                                            続く

 



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