アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

真説 国定忠治 其の六拾五 忠治処刑の詳細の壱六

2013年12月05日 | 近世の歴史の裏側

 

処刑場の大戸宿を中心とし、賎民視された人々の前項の動きに

対して、取締組合の一つであった大戸からほど近い須賀尾村で、

処刑の際の動静や費用などを詳細に記録したものを、

吾妻郡須賀尾の、故高橋真道氏が所蔵していた。

 

この記録名は「嘉永三成年十二月廿一目、国定村無宿忠治郎於

大戸村御仕置ニ付諸人用帳、吾妻郡須賀尾村」と表書きされている

半紙綴折り横帳である。


大戸の故佐藤氏の記録よりも詳細であり、記述も各方面に

わたって詳述されている。

いま、この高橋家の記録をもととして、さらに処刊時の大戸宿を、

中心とした動きを見てゆく事にする。

まず、岩鼻代官の手代秋(佐藤氏記録には安本とあり)汲平

(波平の誤りと思うが、以後其の原文を記載する)から出された

村民狩り出し通知に対する請書から始まっている。

 

                        続く



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