処刑場の大戸宿を中心とし、賎民視された人々の前項の動きに
対して、取締組合の一つであった大戸からほど近い須賀尾村で、
処刑の際の動静や費用などを詳細に記録したものを、
吾妻郡須賀尾の、故高橋真道氏が所蔵していた。
この記録名は「嘉永三成年十二月廿一目、国定村無宿忠治郎於
大戸村御仕置ニ付諸人用帳、吾妻郡須賀尾村」と表書きされている
半紙綴折り横帳である。
大戸の故佐藤氏の記録よりも詳細であり、記述も各方面に
わたって詳述されている。
いま、この高橋家の記録をもととして、さらに処刊時の大戸宿を、
中心とした動きを見てゆく事にする。
まず、岩鼻代官の手代秋(佐藤氏記録には安本とあり)汲平
(波平の誤りと思うが、以後其の原文を記載する)から出された
村民狩り出し通知に対する請書から始まっている。
続く
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