毎年の秋祭り、神社では相撲入会が催された.
四人抜きの.一等賞の賞品は自転車だった
僕は毎年、必死に踏ん張ったが、ころっと引っ繰り返されて「はい、おしまい」だった
腿を擦りむいて家に帰った僕に、いつも母が言った
「辛抱せんといかんとよ」
この母の言葉は、幼かった僕の心に刻まれたのだと思う。
映画俳優という仕事に就いた僕は、一生懸命やった
『ジャコ萬と鉄』の撮影では、零下十六度の中、
ふんどし一本で北海道積丹の十二月の海に飛び込んだ
地元の漁師たちは「そんなことしたら死ぬぞ」とあまりの無謀さに呆れていた。
だが僕は、烈我夢中でロープを背負って荒れ狂う海に突っ込んでいった。
うなぎと格闘した、あの他の水の冷たさなんて比較にならないほど大変たった。
『八甲田山』の撮影では、冬の八甲田で三冬もかかった。
条件の過酷さに撮影は終わらないかもしれない、とスタッフも俳優も、誰もが思った。
『南極物語』では、撮影のため北極へも南極へも行った.
南極でブリザードに遭い、テントごと吹き飛ばされた.
〝これで死ぬのかな〟という思いが頭をよぎった。
『海へ~SecYou』では、サハラ砂漠の砂嵐も体験した。
六十六年間、一生懸命にやってきた。
ここまで走り続けてこられたのは、
『辛抱ばい』という母の言葉があったからだ。
集英社発行 想SOU より引用
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