アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

映画「八甲田山」

2013年06月03日 | 近世歴史と映画

 

 映画 八甲田山

              

監督      森谷司郎

脚本      橋本忍

製作      橋本忍

野村芳太郎

田中友幸

出演者   高倉健       

北大路欣也

三國連太郎

加山雄三

音楽      芥川也寸志

撮影      木村大作

編集      池田美千子


 

高倉健の話

東映から外に出て仕事をしてからいろいろなことを学びました。東映のときは毎日

毎日、同じスタッフで仕事をしていたでしょう。ぽかぽかとした日向にいるような気

分で仕事ができました。会社だって心地のいい人たちを前面に押し立てて僕に仕事を

させようとするよねえ。それが外の風に当たるとまったく違った。ひとりで考えなく

てはならないことが増えました。

 それで『八甲田山』。

 あれはもう仕事を通り越してた。三年間、コマーシャルやらなかったし、

インタービューにも出なかった。

そんな余裕は無かった。史実では弘前連隊三十八人は十一日間の予定で雪中行軍したことになっているんです。

ところが演じ方の僕らは三年間、百八十五日も雪のなかにいたんですから。

自衛隊は今でも八甲田山で雪中訓練をやっているんですが、昔と違って現代的な装備で、

それほどきびしい条件ではないようです。けれども僕らは明治時代の服装でロケをやったわけでしょう。史実のままでした。

 毎日、朝四時半に起きて……。朝か弱いなんて言ってられないよ。

軍隊の装備をつけてメークアップして六時に点呼をとる。それからロケ地まで三時間くらい進軍して(笑)、

帰ってくるのなんか夜中の二時、三時ですよ。演技なんか考えている余裕はな

かった。どうやって体を持たせるか。撮影のない夏にはジムに通って健康管理して。

僕だけじゃありません。なかには体の弱い仲問もいたから、そいつにはオフの間の

トレーニンダ方法やビタミン剤の飲み方まで教えたりもしました。

 あのときは芝居なんて考えられなかった。雪のなかで立ってるだけでやっとの演技

で、まるでドキュメンタリーを撮ってたようなもんだよ。ただ、まわりの俳優さんは

「高倉健が我慢してるんだから」と何も言わないでやってたところもあるよね。今に

なって思えば僕が代表して「こんなことはできません」と言えばよかったのかもしれ

ないなあ。でも、言わないんだよ。僕には言えない。何も言わないで厳しいところへ

 それでも映画のセリフのなかでいくつか忘れられないものはあります。

 たとえば『八甲田山』のなかで、飯泉の嫁をやった秋吉久美子さんが僕ら軍人を

案内するシーンのセリフがそれです。暴風雪のなかをかよわい女性が先頭に立って、

軍人たちを案内する。道案内を終えた秋吉さんにお礼をするために、僕が号令をかける

場面があるんです。

 「全員、整列」

 「案内入寂に向かって、かしらI、右」

 一列に並んで敬礼をするんですが、あのときは出演者みんながシーンとしました。

映画のなかでも印象に残るシーンなんです。つまり、あのセリフ自体は特別な言葉じ

やないけれど、場面がいいからセリフが印象に残る。いいセリフとはいいシーンで使

われるものなんじやないでしょうか。



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